元阪神投手・奥村武博さん 高卒の僕を公認会計士にさせた妻の熱い言葉
【異業種で輝く元プロ野球選手:元阪神投手・奥村武博さん】「プロ野球選手が公認会計士になったのは初めてのようなのでうれしいのですが、ここに来るまでには時間がかかりましたから」
苦笑いの中に過去の苦労がにじみ出る。
奥村さんは1997年のドラフト6位で阪神入り。入団当初は精度の高い制球力が評価され、名将・野村克也監督からも将来を嘱望された。ところが、故障続きで4年で戦力外通告の憂き目に遭った。2002年、チームの打撃投手として再出発するも、その職すらわずか1年でクビを通告された。
「それまで野球ばかりの人生だったので最初は将来について戸惑いました。そこで、まず興味のあった飲食業に飛び込んだのですが、圧倒的な社会経験不足を痛感しまして。その先の人生への不安がさらに強まったのです」
2年程度で飲食業を離れ、悶々とした日々を送っていた04年秋。再び転機が訪れた。
「高校時代に日商簿記2級に合格していたので、その資格を生かす仕事がないかと資格辞典で職を探しました。その時に公認会計士が目に留まったんです。偶然にも06年から受験資格が緩和され、私のような高卒でも受けられると。それで、バイトをしながら夜間学校に通い始めることにしたのです」
だが、日本で最高峰の国家資格。口で言うほど簡単には合格できない。平日は平均3時間、休日には1日10時間以上の勉強も、06年から2年連続で一次の短答式試験すらパスできなかった。その後、資格予備校の社員となり、学習環境を整えたおかげで09年、短答式試験に合格する。ただ、その後は二次の論文式試験が壁となり、再び低迷期が続いた。
6度目の受験に失敗したころ「もう自分には無理」と、蓄えた知識を生かせるコンサルタント会社への就職にかじを切ろうと考えた。そんな時、妻がこう言ってくれた。
「プロ野球も公認会計士も中途半端で逃げ出したら、この先もいろいろなことに言い訳をし続ける人生になる。今、あなたに必要なのは何かを成し遂げたという自信。だから絶対にあきらめたらダメ」
胸に突き刺さるひと言が男を奮い立たせた。再び、猛勉強の日々を送り、平日は昼休みの1時間を含め約5時間。休日は早朝から深夜まで寝食時間を除く14時間を勉学に費やした。その結果、13年に見事合格。挑戦から苦節9年、努力が報われた瞬間だった。
「この時ですね。『人間、努力すれば何でもできる』と思ったのは」
現在、都内の監査法人に勤務しながら、3年間の実務経験を終えようとしている奥村さん。順調にいけば今夏にも正式に公認会計士としてデビューする。
「プロ野球界からは毎年何十人もの選手が戦力外になる。でも、自分もあきらめずにやれば夢がかなった。この経験を伝えながら今後はプロ野球のセカンドキャリアをサポートしたい。同時に、野球選手は多額の契約金が入る割に金銭の扱いに無頓着な気がします。その点も公認会計士としてお手伝いしたいですね」
挫折や苦悩から何度も這い上がった。新たな分野での活躍を誓うその表情には充実感がみなぎっていた。
☆おくむら・たけひろ=1979年、岐阜県生まれ。県立土岐商高から97年のドラフト6位で阪神入団も2001年に戦力外通告を受け現役引退。02年に阪神打撃投手に就くも1年で解雇。04年から公認会計士を目指し、13年に合格。14年から優成監査法人に勤務。日本公認会計士協会準会員会代表幹事として現在に至る。右投げ右打ち。
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