最近たくさんの女子高生と会う機会があって、その眩さに目を細めたくなった。
みんなキラキラ輝いていてとても可愛らしい。
若いということはそれだけで綺麗だし、かわいらしいのだ、としみじみと感じた。
髪も肌も輝いていて、真新しかった。
かつての私によく似た、メガネでぽっちゃりで少し垢抜けない、前髪で世界を遮断しているような女の子もいた。でもそんな姿も純朴に見えてかわいらしい。
高校という小さな輪の中にいた時は、自分がどうしようもなく浮いてしまっている、みっともないと思われている…と卑下してばかりいたけれど。
輪の外に出て長い時間が経ってみると、かつての自分によく似た女の子は純朴な女子高生で、かわいらしいとしか思えなかった。
大人っぽい子、幼く見える子。よく目を凝らせば様々な差異が見つかるのだけれど、離れた場所から、異なる立場から眺める彼女達は「女子高生」という大きなグループにしか見えない。
輪の中にいた頃、外から眺める輪。
立つ位置で世界はガラッと違って見えるから、長生きして良かったと思う。
私が女子高生だった頃、クラスで一番の美少女を眺めては溜息ばかりついていた。
お仕着せの制服、メイクはもちろん禁止、長い髪はいまどき三つ編み。
そんな校則の厳しい学校でも、何もしていないはずなのに綺麗な子、というのがクラスに一人は存在していた。
日に透ける髪、長いまつ毛がキラキラ光っていて、アイラインを引かなくても大きな目は小鹿のようだった。横顔は彫像のように整っていて、折れそうに細い首は同じ人間のものとは思えない。
そんな彼女と、自分の真っ黒な、しめ縄のような三つ編みを見比べては落胆していたあの頃。
瓶底メガネで、様々なストレスで過食に走り、たくましく太っていて。
あの頃の私はとにかく自分に自信がなくて、下を向いてばかりいた。
絵と本が好きで、描くか読むかをしていれば教室の中でも辛くないので、毎日机で内職ばかりしていた。
クラスで一番綺麗な女の子の横顔をこっそりデッサンしていたのもその頃だったと思う。
今は遠い町に行ってしまった女の子。
本当に綺麗で、どうしてこんなバランスに生まれつけるのだろう?と毎日こっそり描かずには居られなかった。
美術部のデッサン練習で描いたメディチ像の首の角度は思い出せないのだけれど、彼女の首は思い出せる。
とても色の白い女の子で、青白く透けて見えるようで、真珠に似ている、とあの頃の私は思っていた。
きっと完璧に丸い、特別製の真珠。
それにひきかえ私はB級品か、それとも模造品なのかも…と嘆いてばかりいた。
自分の中にある、真珠の欠片を求めてばかりいたあの頃。
つつがなく仕事が終わり、最後に女子高生達の記念写真を撮った。
寄せ合う顔、覗く白い歯。
あっ、と私は気がついた。
彼女達はまるで、真珠のネックレスみたいだと。
もちろんじっくり眺めれば特別綺麗な粒、少し歪んだ粒もあるのだろう。
でも繋ぎ合せてしまえばみんな綺麗なネックレス。
外からはどれも綺麗、にしか見えない。
でも真珠の側から世界を見たら、センターを飾る綺麗な粒を羨んだり、端っこにいる自分を恥ずかしく思ったり。
色々なしがらみがあるものなのだろう。
かつて感じた劣等感はもう遠い。
それでも『今ここにあるもの』を素直に認めるのは難しくて、過去や未来ばかりを探してしまうのだけれど。
『ここにいる私』をもう少し認めて生きていけたら、と思う。
真珠の首飾りだった頃を経て、今の私は誰と繋がっているのか、それとも一人なのか。欠けた今夜の白い月を見ながら、そんなことを考えたのです。