古本屋の歴史

かつて街の古本屋は、居の近隣に暮らす周辺住民の読書欲を満たしてくれる、言ってみれば日用品を扱う盾と同様の役割を担っていました。そして、古本屋が付けた値段が、本の内容の評価を表すバロメーターだといわれた時代もありました。そうした状況が変わったのはここ二十年あまりの、バブル期以降の話です。とはいえ、変化の種は、1970年代の大量出版時代にすでにまかれていました。読書という行為がもつ意味が、それまでと微妙に変わってきていたのです。まず、1973年の石油ショックを境に本の値段が急上昇し、読者が求める文学も、その頃から様変わりしてきました。映画やテレビと連動したメディアミックスによる宣伝が幅を利かせ、エンターテインメント文学が読者を拡大する一方で、古典や「純文学」は教養人のたしなみともいえる、ごく一部のマイノリティーが愛好する趣味のようなものになっていきました。もはや日本人としてもつべき教養という概念も通用しない時代になったのは、この頃からです。

それまでは、マルクス主義や実存主義など流行の思想は、政治から文学・哲学・芸術(さらに科学)まで、横断的につながる普遍的な教養ともいえるものでした。それが、1970年代以降になると、例えば、かつては芸術という大きなくくりで語ることができた文学、美術、音楽などの各ジャンルが、互いに関連して一つの文化を作るのが難しくなっていったのです。

そうした影響は当然、書店にも及び、新刊書の世界では、まず十坪(一坪は約三・三平方メートル)以下の小規模書屈が消えていきました。販売方法が対面販売から陳列販売に大きくシフトしたからです。

つまり、店の奥に居主が座っているスタイルから、棚自体が本を売る現在のコンビニエンスストア式が主流になり、お客様が自由に店内を「回遊」できるように、ある程度、床面積を広げる必要が生じました。そこで個人経営の新刊書店は、三十坪程度の「中規模書店」のカウンターにアルバイト店員を立たせるスタイルにして、なんとか延命をはかったのです。

1975年に、大規模書店が郊外に進出し始めたのもこの頃です。気軽に読み流せるおしゃべりのようなエッセーや小説がベストセラーになる一方で、新たに人文書というジャンルが読者を獲得し、大規模書店を支えていきました。それまで読書には、集団的意思形成の一つの手段という側面もありましたが、この時期から完全に個人の趣味的なものへと変質していったように思います。

一方、古書店のほうはこうした時代の変化に対して、これといった策を講じてきませんでした。諸物価が上がるときには、在庫を多くもつ古物商は何もしなくとももうかります。古本屋は、従来どおりの商売をしていても十分に経営が成り立っていたので、何かを工夫する必要性を感じていなかったのです。

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