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【私説・論説室から】

ポポロとポピュリズム

 初任地の飛騨高山に「ポポロ」という名の古びた喫茶店があった。老店主は登山者の世界で知られた元山岳画家。店はいつも閑散としていたが年に一度、にぎわう日があった。

 偉大な指揮者、フルトベングラーの命日(十一月三十日)。店主は出兵先の南方戦線で民家から聞こえてきたフルトベングラーに衝撃を受けた。そんな逸話から、店主を慕う全国の山仲間が毎年集まるようになったのだ。

 ある日、寡黙な店主は店名の由来を教えてくれた。「ポポロとはイタリア語で『民衆』の意味」。店の雰囲気にぴったりだった…。

 古い話を思い出したのは「ポピュリズム」が世間をにぎわせているためだ。言葉の原典的な意味は「人民主義」だ。人民が中心で人民の望むところを代弁する。そうであるならば政治家はポピュリストであっていい。

 だが、違う顔を持つのがポピュリズムの怖さだ。大衆迎合主義と訳すが、むしろ民衆扇動に近い。民衆の不満につけ入り、敵を仕立て、攻撃する。差別や排斥につながる危険性がある。仏大統領選の決選投票に進んだルペン氏の政治手法は、その典型だ。

 十五年前、彼女の父がよもやの決選投票に進み、国民は大いに慌てた。極右当選は阻止せねばと、こぞってシラク氏に投票。反シラクの人も「洗濯ばさみで鼻をつまむか」「ゴム手袋で投票するか」と真剣に悩んで。極右への警戒が薄れる今回はさて−。 (久原穏)

 

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