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流転の尻地獄

 

漢字検定準1級の試験が終わった。試験中、隣席の男の鼻息がうるさくてかなり集中力を削がれた。鼻息のリズムが一定していれば次第に慣れてくるのかもしれないが、フンスー、フンスー、フフフフンスー、とトリッキーな変拍子を入れてくるので最後まで慣れなかった。

周囲の仲間にモールス信号的な感じで答えを伝達する新手のカンニングか?と邪推したりもした。

しかしそうして集中力は削がれたものの、日頃の勉強の甲斐もあって試験はよくできた。あとは結果を待つのみだ。座席を片付け、帰り支度を終え、さあ帰ろうと思っていたら、隣席の鼻息男が声をかけてきた。

「あのー、お酒好きそうですよね、今から暇ですか?もし良かったら一緒に軽く呑みに行きませんか?フンスー」

阿呆かと思った。こいつはホモか?とも思った。しかし俺は酒が好きだ。俺は今から缶ビール片手に街を徘徊して適当な店で飲み食いして帰ろうと思っていた。それに漢字の話もしたかったので、丁度いいと思った。

「いいですね、行きましょう」

その鼻息男は小太りで長髪で眉毛を細く剃り込んで花柄のシャツを着ていて、ホスト崩れのアイドルオタク、或いはオカマバーを兼業しているインテリヤクザ、或いは役作りの為に太ったらそのまま痩せれなくなった三流俳優、みたいな風貌だった。

とても漢字好きには見えないが、こういう奴に限ってやたらと漢字に詳しかったりするのだろうな。何かにのめり込んだらとことん執着するタイプなんだろうな。とも思った。

そんな鼻息男は言った、

「安くて美味しい日本酒が呑める立飲み屋があるんですよ、日本酒は好きですか?フンスー」

「めっさ好きでっせ」

「良かったヨカッタ、すぐそこなんで、ほな行きまひょか、フフフフンスー」

試験会場を後にし、休日で人通りの多い繁華街を連れ立って歩く。少し話してみると、鼻息男は俺と同世代で、そこそこ趣味も合う、なかなか面白い奴だった。昔V系バンドのギタリストをしていたらしい。俺も本気で作曲家を目指した事があったので音楽の専門的な話が出来るのも嬉しかった。

「あっ、こっちです、フンスー」

と鼻息男は言って、繁華な道を抜け、安い飲み屋の多い細い路地に入った。道幅が狭く、向かいからも通行人が来ており、横並びではきついので、鼻息男が俺を先導するように前を歩く。俺は鼻息男の後ろを歩く。鼻息男は中途半端な肥満体型のくせにシュッとした細身のジーンズをタイトな感じで穿いていて、体幹が弱いのか骨格が悪いのか知らんが腰をクネクネしながら歩いているので、歩くたびに尻がプリプリして気持ちが悪い。だから出来るだけ前を見ないようにして歩いた。

しかしガヤガヤした狭い路地で、前を見なければうまく歩けないので前を向く、尻がプリプリ、左を向く、焼鳥屋がある、前を向く、尻がプリプリ、右を向く、原価酒場「勧善懲悪」、前を向く、尻がプリプリ、尻がプリプリ、尻がプリプリプリプリプリプリプリプリプリプリプリプリプリプリプリプリ・・・・・

鼻息男のプリプリする尻の不規則な動きを見ていると、目が回ってきて、脳がグラグラしてきた。三半規管に異常きたしているような感じだった。まるで荒れ狂う嵐の海原を小さなボートで漂流しているような、ぐわんぐわんした感覚になってきて、意識が朦朧としてきた。脳がプリプリしてきた。もうあかん、と思った。俺はその場に卒倒した。

***

どれくらい眠っていただろうか。目が醒めると、そこは漢字検定準1級の試験会場で、まだ試験の途中であった。俺は自席に座っていた。

俺は試験中に眠ってしまったのだろうか。だとしたらさっきのは夢?

静かな試験会場、書きかけの答案。

隣から鼻息が聴こえる。

フンスー、フンスー、フフフフンスー。

 

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