平成29年4月26日、今村雅弘復興大臣が辞任した。
相次ぐ失言が原因だが、その一端に筆者も関わったので(後述)少しだけ感想を述べてみたい。
というのも今回の事態を振り返って筆者なりに分析してみたとき、この事件について様々に言われていることとは違って、我々はもっと別のことに気づかなくてはならないのではないかと感じるからである。
以下に述べることは今村元大臣をかばうためのものではない。また明確な事実をもとに述べるものでもない。ある種の仮説である。それもできれば現実であって欲しくない仮説である。
筆者はこう感じる。ここにはどうもある力が作用している。それは得体の知れない亡霊のようなものであり、そして筆者には考えるのも嫌な力である。
本稿では今回の事態を読み解くとともに、その力の存否を考えていく。そしてそれが存在しないのなら良い。でももし少しでもその力に思い当たる節があるのなら、今の日本の社会状態についてなにがしかの修正を加えていく覚悟を多くの人に持って欲しいと考えるのである。
「これはかなり危ない状態なのではないか」――この焦臭さに多くの人に気がついて欲しい。そういう思いで筆をとった。
まず大臣の問題発言群である。誤解を招くのが恐いのだが、これらは本当に問題なのだろうか。
ここでは時系列で次の三つを分析してみる。
①筆者は3月12日のNHK日曜討論で今村大臣と対論し、その際に大臣から「(避難者たちが)ふるさとを捨てるのは簡単だ」という言葉が出たときにたしかにギョッとした。
ギョッとはしたが、筆者が別の所でも解説しているように(拙稿「誰も語ろうとしない東日本大震災『復興政策』の大失敗」参照)、政府は原発避難者たちの長期待避・順次帰還を認めていない。早期帰還か、さもなくば移住せよという政策だから、この発言は政府の立場としてはありうるものである。
避難者たちには、ふるさとを捨てて移住するという選択ではなく、早く戻ってふるさとを再建する選択をしてくれ――この発言はそういうメッセージだと読み解くことができる。
②また4月4日の記者会見で大臣は記者の質問に対し、自主避難は「本人の責任でしょう。(不服なら)裁判でも何でもやればいいじゃないか」と発言しているが、これも政府の立場をそのまま表現したものである。
政府は基本的に自主避難を認めていない。だから「自主」避難なのだ。むろん現実に多くの自主避難者が出ている以上、政府としても対応せざるを得なかったわけだが、平成29年4月までに帰還困難区域を除く多くの避難指示区域の指示解除が行われて、これまで強制避難を強いられてきた地域のほとんどが帰れるようになった。
強制避難者でさえこれから自主避難者にかわる。もはや避難指示も出していない地域から避難している人々を、これ以上政府が支援する必要はないはずだ(拙稿「この国は『復興』をあきらめたのか? 帰還政策が奪った『福島の未来』」参照)。
それでもなお避難を続けるというのなら(強制避難者から自主避難者へと切り替わる人たちと同様に)その避難は本人の責任であり、政府の責任を問うのなら、どうぞ裁判でもしてもらって司法の場で争いましょう、我々は合法的に粛々と帰還政策を進めているだけですよと、そういうことなのである。
このように、大臣の発言は、政府の立場をそのまま示した発言したものにすぎない。政府の論理を隠さず表に出したことで今回これほどの大きな問題となった。であれば、問題の核心は発言した今村大臣というよりも、こうした政策を推し進めている政府そのものだということになるはずだ。