話しは数年前にさかのぼる。ずっと答えが出せないまま気持ちを引きずっている。
出張先に行くために駅に向かった。都合のいいように会社に言い訳をし、前泊を理由に午後退社したため時間は十分にある。
数本、遅めの新幹線に乗車しよう。僕は駅前の本屋に向かった。
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「さっきね、ゴミいたよゴミ。1000円おばさん」女子高生の会話は、いつ聞いてもネタが尽きない。
数冊の週刊誌を購入し駅のホームに向かう。
駅のホームに向かう途中、前方やや斜め方向から、大きな声で僕の苗字を叫ぶ。あきらかに数ヶ月間は、風呂に入っていないと思われるホームレスらしき女性が、僕の目の前に立ちはだかる。
「〇〇君だよね。1000円ちょうだい。ねぇ。」
下校中の学生、駅に商品を搬入する配達員、足早に歩くサラリーマン、単にお茶していたであろうおばちゃん集団。一斉に私の方に興味本位の体制で視線を向け立ち止まる。
「〇〇君、1000円かして。ねぇ。」
僕は、とっさに財布を取り出し、ホームレスらしき女性に1000円を渡した。
「〇〇君は、いつも優しいんだね。」
「ごめん、出張に遅れそうだから。」
そう言って、僕は新幹線のホームまで振り返ろうとせずに一目散で走って言った。
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出張先のホテルに到着する。頭の中に、彼女の発した言葉が胸に突き刺さる。
「〇〇君は、いつも優しいね」
彼女は中学校の同級生。名前は、もう浮かばない。
中学の時、不良グループに水風船を投げつけられた嫌な思い出がある。彼女は女子のヤンキーだった気がする。子供みたいなことはやめなよとかばってくれた記憶がかすかに残っている。
「悔しかったら言い返しなよ。」彼女は言った。
「あっ、ありがとう、揉めるの嫌いだし、僕が我慢すればすむことだから。」
「ふーん、あんた優しいんだ。」こんな感じのやり取りをしたのだと思う。
数十年の間に彼女に何があったのかは知らない。僕は、彼女に1000円を渡した。
結果的に、彼女は彼女の望むものを手に入れている。僕は納得して手渡したから恐喝でもなんでもない。間違いではない。しかし、気持ちがおさまらない。心が落ち着かない。
じゃあ、2000円だったら10000円だったら、既に金額の問題ではないようだ。
僕は彼女のことを思い、1000円を手渡したのではない。あの場所からひたすら逃げたかっただけ。他人の興味本位である視線を強く感じたから、突き刺さる視線から逃げるための手段として、逃げるという選択手段を1000円で買ってしまったに過ぎない。
じゃぁどうすればよかったのか、彼女を無視すればよかったのか?
そもそも、全くの赤の他人であり、偶然に駅ですれちがっただけのこと。彼女がどういう私生活を経て、現在の生活に至ったかなんて考える必要も義理もない。
恋人でも、兄弟でも、愛人でも、ましてや夫婦でもない。彼女は彼女の選択した道を生き、結果論としてこうなったに過ぎない。そういう人は大勢いる。
僕は聖者でも、NPO法人でもボランティア活動に属している訳ではない。
僕は、出張に行かなければ行けなかったのだ。
じゃぁ逆に出張帰りだったら、どうだったのか、家に連れて帰り、お風呂にでも入れてあげたのだろうか?嫌な顔をみせずに、どろどろの服装である彼女を自分の車に乗せてあげることができたのだろうか、嫁に事情を説明して、彼女の話を聞いてあげることをしたのだろうか?
答えは同じだろう。前日移動のふらり旅を目的にした余裕のある出張。行きも十分に時間があったはずなのだから。
僕は、優しくなんかない。女子高生は、彼女を見た目からゴミと言っていた。
確かに僕は、彼女よりも、良い服を着て裕福な暮らしをしているだろう。でも、僕は彼女よりも心がゴミなのかも知れない。
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ホームレスの女性を家に招待し、家政婦として面倒をみたというせつないブログをみた。下心もあったのだろうが、同じことを僕はできない。差別してしまったからであろう。とっさの判断で迷わずに行動できる人は、結果がどうであれ、素直に素晴らしいと思う。
彼女のやっていることは、はた目から見れば恐喝に値する。僕が悩むようなことではない。もちろん、彼女が外で寝ていようが、市の職員に連れていかれようが全く心は痛まない。
とっさに取った行動が自分の本心なのかと思うことに正直がっかりしたように思える。
多分、同じことが起きれば、同じ対応をしていくと思う。それが、気持ちの上乗せで、2000円になるのか5000円になるのかもわからない。前のことを教訓として違った行動を取るかもしれない。
あれから、彼女は駅には出没していないらしい。あくまでもうわさではあるが、保護を受けているのだと思う。数十年後にでも、同窓会があり、再会できた時には、素直に謝りたいと思う。
GW満喫中、嫁と子供が温かいお風呂に入りに行っている。ふと、心に突き刺さっているもやもやを見つめ、本日のブログにした次第である。PCがあればどこでもブログれる。実に便利な時代だ。
ふと思ったことであって、究極に悩んでいる訳でもない。