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 我々が過去について知っていることは少ない。過去に起きた膨大な出来事は記録にも残されず忘れ去られてしまった。その欠けたパーツが何であるかについてももはや分からない。

 時折、考古学者はこれまでに判明している歴史とはそぐわないような発見をすることがある。その発見が大きく歴史を覆すこともあるわけだ。ちょっともう、ワクワクするじゃないか。
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10. カナダで発見されたローマの剣


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 ノバスコシア州オーク島で、テレビ局のスタッフが偶然にも、200年頃のものと思われるローマの剣を発見した。バイキングが北アメリカに到達する800年も前に、ローマ人がそこを訪れた可能性を示す衝撃の発見である。

 だが、発見はそれだけでない。また別の事例として、木に打ち込まれたクロスボウのボルトやローマ式の墓、カルタゴの硬貨、ローマ人が何やら記したらしき石まで見つかっている――いずれも1,800年前のものだ。

 これらから、1,800年前にローマ人やカルタゴ人の冒険家が西へ向かって旅に出た可能性が推測できる。彼らは定住こそしなかったが、そこで仲間を埋葬したのかもしれない。

 だが確かなことではない。発見者が専門の考古学者ではなく、テレビ局スタッフであることもまた懐疑的な眼差しが向けられる原因だ。剣は偽造であるとの主張もある。


9. アメリカに刻まれていた中国甲骨文字


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 バイキングが訪れる数千年前に中国人がアメリカ大陸に到達していたという説もある。

 アメリカ南部で、シンボルが彫られた82個の古い石が発見された。書式に統一性が見られるが、現地の文化にそれと一致するものはない。発見者のジョン・ラスカンプによれば、それは中国の甲骨文字だという。

 甲骨文字は最古の漢字であり、紀元前1046年頃にほぼ廃れた。仮にラスカンプ説が正しければ、3,000年前に中国人が北アメリカに到達していたことになる。

 それは甲骨文字と驚くほど一致している。アリゾナで発見されたものには、次のように記述されているように見えるらしい。「共に10年離れた、帰還を宣言、旅は完了、太陽の家、旅は共に完了」。新世界に残された仲間へのメッセージだろうか。


8. アイルランドの類人猿の骨


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 アイルランド、タラの丘で丁寧に埋葬された遺体が発見された。埋葬の様式は王族のものらしかったが、ただの王族ではなかった。その骨は類人猿のそれに似ていたのだ。またアーマー州では2,300年前のものと思われる類人猿の頭蓋骨が発見された。

 交易を通じてここに連れてこられたという可能性もある。しかし、ある古いアイルランドの伝承は、魔法を使う一団がアイルランドに来訪し、タラの丘を支配したと伝えている。伝承が事実であると考える者たちは、魔法を使う一団とは高度な技術を有したエジプト人を指していると主張する。

 古いアイルランド人をDNA解析したところ、祖先が中東出身であることを示唆していた。しかもタラの丘からそれほど遠くない場所では、エジプトのネックレスらしきものを身につけた3,800年前の少年の遺体が発掘されているのである。


7. ネイティブアメリカンが伝える白い巨人の伝説


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 1987年、講演でコマンチェ族の男が部族に伝わる伝説を話した。「昔々、白い巨人(身の丈3メートル)が住んでいた。彼らは豊かで強力であり、この国のいたるところで繁栄していた。巨人は原住民を家から追い出し、斬り殺すと、谷を支配した」と。

 何かの寓話のようだが、オクラホマ州でギリシャのメダル1枚と硬貨2枚が発見されたことで、状況は一変。発掘された品と伝説には関係があるという説が浮上した。

 チョクトー族にも巨人族の伝説が伝わっている。巨人は色が白く、現在のテネシー州にあたる場所に住んでいたという。こうした巨人伝説は様々な部族に伝わっており、どれも似たような内容だ。ギリシャの地理学者ストラボンは「西の大陸」について記しており、アメリカ大陸について何がしか知っていた可能性が窺える。

 ギリシャ人が実際にアメリカ大陸に到達し、そこで現地人と戦ったことが伝説として残されているのかもしれない。


6. 白い肌の戦士を描いたマヤの壁画


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 チチェン・イッツァにある戦士の神殿の内部には奇妙な壁画がある。それは先コロンブス期で発生した戦争を描いたものであるが、そこに白い肌や黒い肌の人間が描かれているのである。
 
 エルナン・コルテスは、彼がメキシコを訪れた際、「白い神」が帰還したと地元民から歓迎されたことを記している。つまりかつて白い人間がそこにいたことを示唆している。

 またマヤには「巨人のダンス」と言われる伝承が残されている。それは、白い巨人が黒い巨人と戦うマヤ人を助ける話だ。一説によると、黒い巨人とは北から南下してきたアステカ人であり、白い巨人はバイキングを指しているという。

 1789年、かつてバイキングがメキシコに到達していたという説が提唱されたことがある。特に、アリ・マーソン(Ari Marson)というバイキングはグリーンランドへ向う途中、嵐で航路を外れてメキシコに漂着したと言われている。それはアステカがやってきて間もなくのことだ。



5. インドに建てられたエジプトの女神の神殿


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 インドの西沿岸地域にパッティニという女神を祀る神殿跡がある。パッティニの神殿自体は各地で見られるものであるが、その神殿の地下にはエジプトの女神イシスを祀ると噂される神殿がある。

 現在、そこはヒンドゥー教寺院が所有しており、直に調査をすることはできない。だが、エジプト人がやってきて、ここで女神を祀っていたという説がある。クリス・モーガンによると、パッティニとイシスは同一の女神であるという。どちらも夫がバラバラにされているという共通点があるからだ。パッティニはイシスの地下神殿から各地に広まった女神ではないかとモーガンは推測している。


4. ペルーの巨人の村


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 コンキスタドールのシエサ・デ・レオンは『Cronicas del Peru(ペルー年代記)』で当時のペルーの様子を克明に記している。現地の住民や環境について事細かに記述されているが、その中に巨人が作った村について言及がある。

 レオンが耳にした現地に伝わる伝承によると、「巨大な葦の船」で巨人がやってきた。巨人は「膝から下だけで、普通の人間の身長と同じ高さ」である。彼らは見たこともない技術で、体の大きさに相応しい巨大な村を作り上げたが、やがて火事に見舞われて死んだという。
 
 レオンはその村と井戸を目撃したと記している。伝承のとおりに巨大で、巨人の頭蓋骨と大腿骨まで目にしたという。


3. マルカウアシ


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 アンデス山脈には、マルカウアシ遺跡という奇石群が存在する。どこか人間の頭をかたどったかのような岩で、エジプトのスフィンクスそっくりなものもある。

 自然の浸食作用によるものと考えられているが、人工物であるという説もある。例えば、ある考古学者が唱える仮説によると、奇石はマスマ(Masma)という聖書に登場する文明が作ったという。マスマの人たちはかつてエジプトで目にしたものを、ペルーに到着してから作った。が、その考古学者はこの説を夢から着想したそうで科学的なアプローチではない。


2. 天上のハンドバッグ


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世界には奇妙なデザインが存在する。それは小さなバッグのようで、通常3つ程度一緒に空に描かれている。最古のものはトルコにあり、3つのハンドバッグが浮遊しているかのようなデザインだ。同じようなものは、インド、エジプト、中央アメリカにも存在する。どうやら古代の中東に興った文明が起源らしく、デザインを辿ることで各地域の人々の由来を探れる可能性を示唆している。

 だからこそ、ニュージーランドのマオリ族が同じデザインを用いていることは興味深い。マオリ族にはタネ(Tane)という英雄の伝説がある。彼は天へ赴き、3つのカゴに入った知識を手にしたという。トルコの岩に彫られたデザインそのままの物語である。

 おそらく偶然であろう。だが、マオリ族の祖先がかつて中東で暮らしていたことを示唆している可能性もある。


1. ラブロック洞窟の赤頭の巨人


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 1911年、ネバダ州ラブロック洞窟の鉱夫がフンなどの堆積物の下から、古代のネイティブアメリカンの遺跡を発見した。さらに掘り進めたところ、赤毛をした身長198センチのミイラが見つかった。

 すぐさま専門家の調査が入り、38センチという大きなサンダルと常人の2倍はあろうかという手形が発見された。

 パイユート族には、シー・テ・カー(Si-Te-Cah)という赤い首の人食い巨人の伝承が伝えられている。伝承によると、巨人は船でやってきて、部族の者を食い始めた。しかしパイユート族はどうにか巨人を洞窟に追いつめ、火を放ったという。

 ミイラは失われてしまったため、真偽を確かめることはできない。一説によると、巨人はヨーロッパからの冒険者で、先住民に攻撃を加えた挙句、新大陸で命を落としたのだという。

via:10 Mysterious Discoveries That Could Completely Rewrite Historyなど/ translated hiroching / edited by parumo
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コメント

1

1. 匿名処理班

  • 2017年05月03日 20:35
  • ID:yGElv3Ak0 #

オセアニアからグッと東にペルーで見つかった縄文土器って言うのもあるね。

2

2.

  • 2017年05月03日 20:51
  • ID:oVI5O8180 #
3

3. 匿名処理班

  • 2017年05月03日 20:52
  • ID:WN8D.8MC0 #

ローマの剣は、ちょっと面白いな

4

4.

  • 2017年05月03日 21:00
  • ID:qOyFoMs50 #
5

5. 匿名処理班

  • 2017年05月03日 21:20
  • ID:EAb40kQX0 #

>発見者のジョン・ラスカンプによれば、それは中国の甲骨文字だという。
考古学者じゃない笑。しかも画像見ても全然甲骨文字じゃないし片腹痛い。

6

6. 匿名処理班

  • 2017年05月03日 21:22
  • ID:EAb40kQX0 #

米1
ただ単に模様が似てるってだけで、縄文土器じゃ無いよ。

7

7. 匿名処理班

  • 2017年05月03日 21:26
  • ID:uhf3Y.VP0 #

当時の人類に書残す文化があれば、もっと史実を知る事が出来たんだろうけど…
日本も漢字が伝わる迄、人から人へ伝承するだけで記録がなかった訳だが
何時の世も学者達が時論を繰り返し、結果として教科書の記述が変わる
最新の研究成果と科学的解明で証明された歴史と子供の頃に教わったのとが異なるから、いつの間にか間違った知識になってしまう
こういう記事は面白くもあり、興味をそそられるな

8

8. 匿名処理班

  • 2017年05月03日 21:42
  • ID:T9q9v.U50 #

4、6、7の白い巨人ってそんなに昔の事なのか?
原住民の口伝なら大航海時代に侵略された時の事だったりしないのかな

9

9.

  • 2017年05月03日 22:08
  • ID:NHcG8qXU0 #
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