私はお酒をやめたアルコール依存症者だ。
元々酒は好きだったが、学生生活を終えて就職後に飲んだ酒には「苦い記憶」がつまっている。
大人の壁にぶつかっては飲み。世間の常識に自分を従わせるために飲んだ。
私にとっての酒とは、「大人を演じるための道具」だった。
酒を飲むという行為や動作のことではなく、酒の力をかりて自分を解放させてやる必要に迫られたのだ。なぜなのか。
なぜ、自己解放が必要だったのか?
私は世間の常識に囚われすぎたのだ。
安定した大企業に勤めるべき・・・。上司には従うべき・・・。家庭をもつべき・・・。
いわゆる世間の常識に従っただけで、これらは全て「自分が望むこと」ではなかったのだ。
当然、これには常に自分との葛藤がつきまとう。「俺はこうしたい!」と願う自分を強力に押さえ込む必要があった。
そこで私は酒の力を借りたのだ。そして「一時的な成功」を手中におさめた。
だが所詮、酒の力を借りて得た成功であって私が望むものではなかった。
心から望まぬ成功は長くは続かない。すぐに崩壊した。
自分が望むように生きろ!
私には二人の子供がいる。もう小さくはない、受験生だ。
しかし勉強しろとは言わない。「やりたいことの為にがんばれ!」という。
一人はゲームで生きていくらしい。
いわゆる常識で考えると疑問符がつく。だが私は知っている。
安定した生活だけが幸せではない。「安定」という言葉の意味を取り違えてはいけないのだ。
安定とは経済的だけでなく、常に心も満たされてこその「安定」である。
綺麗ごとだと思ってはいけない。お金よりも心が満たされたほうが幸せなのだ。
事実、あなたも子供の頃はお金が無くても楽しかったのではないか。思い出して欲しい。
酒の力を借りてはいけない!
ここでいう酒とは、一時的に「現実から解放してくれる道具すべて」を指す。
また、現実から解放と言っても気分転換の手段の事ではない。それに依存しなければ自分を保てない物質、行為のことだ。
その中から私は酒を選んだ。そして、その力を借りて一時的に掴んだ、いや掴んだと思っていた。
酒の力で自分をごまかし掴んだものなど、ただのまやかしにしか過ぎない。
そんなものは直ぐに煙のように消えてしまう。
そして今、私は酒をやめた。社会に出て20年以上、もがき苦しみ、さまよい続けてスタートラインに戻ってきた。振り出しだ。
この20年が全て無駄だったとは言わない。ただ少なくとも「酒の力を借りて得られるものは何も無い!」とは断言できる。
仕事の悩み、そして不安。色々あるだろう。
ただ、これから一年は酒の力を借りずに精一杯努力する。
そして一年後にもう一度考えてみよう。自分は本当に「幸せ」なのか?。
時には勇気をもった決断も必要だ。なにせ「人生は一度きり」なのだから。
そして、私は「もう一度」だが、あなたは「これから」だ。
自分が望むように生きて頂きたい!
「若者よ、20年さきを見越して飲め!」
ーお酒をやめたアルコール依存症者よりー