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すなわち君の受験勉強法は端的に間違っている

才能でも根性でも運でもなく、「考え方」と「適量の努力」で受験に合格するための戦略的思考法

難関大学に合格する受験生が必ず持っている、たったひとつの「スタンス」

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失われたモチベーションを再起動するために

4月から受験勉強をはじめた人は、この1ヶ月で何か明確な手応えを感じられたでしょうか。おそらくは、いまやっていることが本当に正しいのかどうかまだわからない状態でゴールデンウィークを迎えてしまい、いったんモチベーションが低下してしまっている人も少なくないのではないでしょうか。

そういう場合は、ただやみくもになんとなく勉強を続けるのではなく、いったん物事の「本質」に立ち戻ってみることです。一見無駄なプロセスに感じられるかもしれませんが、モチベーションが簡単に低下してしまうということは、土台が弱いということです。

はたして自分がいったい何と闘い、何を求められているのか。それをしっかり言葉にして把握することで、失いかけたモチベーションを再起動させることができます。やる気が低下してきた時期は、むしろ受験計画全体を建てなおすチャンスだと捉えてください。

そもそも大学は、どのような人間を欲しがっているのか?

では大学は受験生に、そもそも何を求めているのでしょうか? 大学受験に合格するために最低限必要なのは、「IQの高さ」や「記憶力の良さ」のように、明確に飛び抜けて優れた「頭の良さ」ではありません本当に必要なのはもっと人間としての本質的な部分、その人が生きるうえでの「スタンス」や「気質」のようなものです。

といってもこれは気休めの、J-POPの歌詞まがいの安っぽい精神論などではありません。大学を受ける受験生の視点ではなく、逆に生徒を募る大学側の視点に立ってみれば、それは自ずとわかるはずです。

あなたがもし大学教授であったなら、どのような生徒が欲しいと思うでしょうか? また、現代の学生に何が一番欠けていて、何を持っている生徒が欲しいと考えるでしょうか?

大学における学問は、高校までの勉強に比べると遥かに専門性の高いものです。それが何を意味しているのかというと、よほどその分野に興味を持っているか、あるいは忍耐強くない限り、授業を最後まで集中して聴き続けることすら難しいということです。実際、後ろのほうで寝ていたり、そもそも授業に出ていない生徒も非常に多い。

もちろん、そういう場合は学問を面白く伝える工夫を怠っている先生の側にも、問題はあるのですが。

何よりもまず「素直に人の話を聴ける人」が求められている

さて、そういった状況下で毎日授業を行っている先生たちは、学生に何を第一に求めるでしょうか? 彼らはけっして、学生たちに多くを求めることはしないはずです。前代未聞の発明をするような天才が欲しいわけでも、独自の理論で教授を打ち負かすような弁士を求めているわけでもない。なぜならば、普段の授業風景の中で、それ以前の段階で脱落していく学生をたくさん目撃しているからです。

大学の先生方は何よりもまず、「素直に話を聴くことができる人」を求めているのではないでしょうか。これに対して「それくらいなら誰でもできる」と即答してしまう人は、おそらく「素直に話を聴くことができない人」です。「素直に話を聴く」ということはつまり「相手の話をいったんすべて受け入れる」ことであり、「偏見や思い込みで物事を早合点しない」ことであり、「最後まで話を聴いてから物事を判断する」ことであるからです。

ですから本当の意味で「素直に話を聴く」ことができる人というのは、実は驚くほど少ないのです。その稀少価値からすると、もはやそれだけでひとつの「才能」といってもいいほどに。しかし実際のところそれは「才能」以前の問題であり、心がけ次第で誰にでも身につけることのできる「スタンス」というものです。

あらゆる勉強は、「相手の話を素直に受け入れる」ところからはじまる

勉強というのは常に「相手の話を素直に受け入れる」ことからスタートします。大人になっても勉強をし続けてきた大学の先生方は、誰よりもそれを知っています。

これは別に、「相手の言いなりになれ」と言っているわけでも、「何も考えるな」と言っているわけでもありません。自分なりに考えたり反対意見を思い浮かべたりすることはもちろん必要ですが、それらはいったん相手の意見をすべて受け入れたあとのことです。

ところが思いのほか多くの人が、相手の意見を早い段階で「つまらない」と言って切り捨てたり、途中でショートカットして持論を展開しはじめます。せっかく自分よりも知識の豊富な相手が話をしてくれているのに、それを受け入れることができないのです。どんなに栄養豊富な食事を与えられても、自分からちゃぶ台をひっくり返してしまっては、なにひとつ得ることはできません。

入試問題が受験生に求める「読解力」とは、「素直に人の話を受け入れる力」である

国語で論説文の読解問題が出たり、英語で長文読解が要求されるのも、その根本において求められているのは「ある程度わからない物事に遭遇しても、あなたがちゃんと最後まで話を聴き続けられる人間であることを、いまここで証明して見せてください」ということです。

もちろん最低限の語彙力は求められますが、大学側が求めているのが、単に「学力の高い生徒」というよりは、「学問を素直に受け入れる姿勢を持っている学生」であるというのは、作り手の視点に立って入学試験問題を見れば如実に伝わってくる情報です。

「読解」とは何よりもまず目の前の文章をすべて素直に受け入れることであり、その段階をすっ飛ばしていきなり自説を述べるのは学問的姿勢ではありません。ですから、入試においてはたとえ論述問題であっても、基本的には読解を前提とした解答を求められます。つまり読むことなしに、人の意見を聴くことなしに持論を展開する人間は求められていないということです。

まずは素直にしっかりと問題本文と設問を読んでください、それができない人はいりませんというのが、大学が求めている学問的スタンスなのです。逆にいえば、受験生はそれさえできることを解答用紙の上で証明してみせればいいということです。

「素直さ」とはつまり、相手を尊重する「謙虚さ」ということでもあります。まずは偏見や根拠のない自信を捨て、謙虚な気持ちであらゆる学問を素直に受け入れる体勢になること。それこそが、競争率の高い志望校を目指す受験生が必ず持っておくべき、最も重要な資質なのです。


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