エボラ出血熱を封じ込めたリベリアのゴム農園-ブリヂストン子会社の闘い
【ファイアストン(リベリア)】今年、この地でエボラ出血熱の感染が拡大すると、あるゴム農園は、数千人の人々の命を奪い、西アフリカ諸国の政府を混乱に陥れた伝染病の封じ込め方を短期間で学び、実践に移した。
日本のブリヂストンの子会社、ファイアストン・ナチュラル・ラバー・カンパニーのエド・ガルシア社長によると、今年3月のある朝、同社で最初の患者が確認されたとき、経営陣はゴムの木でできたテーブルを囲み、グーグルで「エボラ出血熱」を検索したという。彼らはその後、輸送用コンテナとプラスチックシートを利用して2つのエボラ患者用隔離病室を作った。同社の清掃作業員たちは、この病気の犠牲者の埋葬方法を教え込まれた。農地測量技師たちは、ウイルスの伝播経路を地図に記録し、同社が運営している学校の教師たちは家を一軒ずつ回ってこの病気について説明した。
約479平方キロという広大な天然ゴム農園を運営しているフィリピン出身のガルシア社長は「マニュアルを読みながら飛行機を操縦しているかのようだった」と振り返る。
その6カ月後、ファイアストンは感染の流れを変え、感染者数が3週間毎に倍増しているリベリアで衛生保護区域を提供した。
10月6日、エボラ出血熱に感染してマドリードに移送された、アフリカを拠点に活動していた宣教師の治療に当たっていたスペイン人の女性看護師がエボラ出血熱に感染したと政府高官が発表した。西アフリカ以外で感染が確認されたのはこれが初めてで、この病気の脅威がより広範であることを物語っている。
ファイアストンでもウイルスが再燃する可能性はある。しかし、先週の時点では、同社の従業員8500人と、その扶養家族7万1500人の中に感染が確認されている人は1人もいなかった。
今月1日には、天井ファンが取り付けられた同社のエボラ隔離病室には誰もいなかった。リンドン・マバンデ医院長は自分のスタッフが誤って注射針を刺すといった感染リスクを冒さなかったことにほっとしていると話した。
そこから車で1時間ほどの距離にある首都モンロビアの病院は患者であふれ返り、毎日大勢の死者が出ている。40年前に初めて発見されたそのウイルスとの闘いにおいて、ファイアストンが特に画期的な戦術を用いているというわけではないと医療専門家や同社幹部は話す。両者の違いは、西アフリカ諸国の一部の政府があぜんとしたこの伝染病に立ち向かうための資金、人材資源、組織がこの天然ゴム会社にはあったということだ。
世界保健機関(WHO)が発表した直近の数字によると、西アフリカでは3400人以上の死者が出ている。その何倍もの人が病院に収容されることなく自宅で亡くなり、家族が感染していると米疾病対策予防センター(CDC)は指摘する。英国のチャリティ団体、セーブ・ザ・チルドレンは先週、シエラレオネでは、エボラ出血熱の感染者が1時間に5人のペースで増えていると報告した。
今回のウイルス感染は、西アフリカの医療の遅れを浮き彫りにする一方で、政府と政府が依存している天然資源会社の施設の格差が広がっているということも明らかにした。14年間続いた内戦によってこの国とファイアストンの天然ゴム農園は荒廃した。その10年後、見事に再建を果たしたのはファイアストンの方だった。
その感染は西アフリカ諸国の政府の管理能力を超える規模にまで拡大してしまった。病院の建設を支援し、人員不足を補うために、米国や英国から――キューバのような小国からさえも――兵士や医師たちが到着している。医療の専門家によると、エボラ出血熱の感染は、やはり内戦からの復興途中にある3国、マリ、ギニアビサウ、コートジボアールとの国境に向かって徐々に広がっている。
エボラ出血熱の感染は今やリベリアのすべての郡で確認されている。ファイアストンの社長が地図をレーザーポインターでなぞりながら示したように、同社の天然ゴム農園から川を隔てた対岸は感染地域となっている。「ここにある村は全滅の危機に瀕している」とガルシア社長は話した。
自動車の時代が幕を開けた100年近く前、リベリアはその将来をゴムに託した。この国を治めていた男たち――解放された米国人奴隷の子孫たちは、ファイアストンから大きな借金をした。彼らはこのアフリカの地で、米国を手本とした近代的な工業国を建設したいと考えていた。
ところが、リベリアは破産状態に陥り、その後の1989年には内戦が始まった。14年間続いた内戦での死者は25万人に達した。国際連合(UN)によると、人口の3分の1が同国を脱出したという。内戦終結後にリベリアに戻った人々は自国の荒廃ぶりを目の当たりにした。爆撃を受けた多くの政府関連施設には屋根がなくなっていた。
内戦後、経営陣がファイアストンの敷地に戻ったとき、同社が運営していた病院の屋根もなくなっていた。そのエレベーターまで略奪に遭っていた。ゴムの木の手入れも全く行き届いていなかったので、この世界最大の天然ゴム農園の生産量が1989年の水準に戻るのは2032年になるかもしれないとガルシア社長は話す。
とはいえ、内戦終結から10年を迎えたその農園は、いろいろな意味で、リベリアの建国者たちが夢に描いていたアフリカにおける米国の縮図となっている。子供たちは泥道を歩いて通学するのが普通の国で、同社の敷地内の高校生たちは、曲がりくねった田舎道を走る黄色い大型スクールバスで通学する。私設ダムで発電した電力も通っている。給水塔、電柱、速度制限の標識、レンガ造りの家々が、ファイアストンの本社があるテネシー州ナッシュビルの景色を彷彿とさせるきれいに芝が刈られた丘の斜面に建っている。熱帯アフリカでは非常にまれなものばかりだ。
自ら運転する小型トラックで同社が建てたピンク色の郡庁舎の前を通過しながら、「すべては米国を手本して作った」とガルシア社長は話した。
この農園の外では、ほとんど何も再建されていない。
WHOによると、エボラ出血熱の災禍に見舞われる前は、リベリアの人口比での医師数は世界で2番目に少なかったという。今日、リベリア人医師の数で比較すると、この国よりも米国の方が多いぐらいだろうと同国の情報大臣、ルイス・ブラウン氏は言う。ゴム手袋のような最も基本的な物資すら不足している政府運営の病院では、医師の初任給が月額1000ドルからとなっている。
感染が拡大しやすい環境の背景にはこうしたさまざまな悪条件が存在する。3月23日の日曜日、リベリアと国境を接するギニアがその地域で最初のエボラ感染を確認した。その1週間後の日曜日の夜、ファイアストンの病院の医院長に電話が入った。あるエボラ患者がリベリア北部の病院から抜け出して、同社の農園に住む夫の家に向かったというのだ。
マバンデ医院長はリベリアの防疫官が電話口で「そっちも大変なことになるぞ」と叫んだのを覚えている。
同社の経営陣は月曜日の午後までに、簡単な隔離病室の設置準備をし、倉庫で見つけたスーツ――ゴムに関連した化学薬品が漏れた際の清掃活動に使われていた――がエボラ感染を防ぐ医療用着として機能することを確認した。
翌火曜日には最初の患者を受け入れた。彼女は命を落とし、その夫と子供たちは従業員住宅に隔離された。
リベリアの国会議員たちが、エボラ感染は外国からより多くの支援を呼び込むための詐欺なのではないかと議論しているあいだに、ファイアストンは人知れず自社の保健インフラを構築した。小型トラックは救急車に改造され、普段はゴム泥棒を追いかけている警備員たちには「外部からの侵入を許すな」という命令が下った。
給与計算、メインテナンス、特別プロジェクトの責任者たちは、不安になって電話をかけてくる森の中に住む従業員たちに対応するために「エボラ作戦司令室」を設置した。敷地内にあるラジオ局は、エボラ出血熱に感染し回復した人々へのインタビューを放送した。一時は生死の境をさまよった彼らの話に仲間の従業員たちは興味津々だった。
ある従業員は「水のペットボトルも持ち上げられないほど弱っていた」と振り返った。「想像できますか」と。
天然ゴム農園のすぐ外に住むリベリア人たちは、苛立ちを募らせながらこうした動きを見守っていた。マーカス・スピアーズさんが営む葬儀場は8月に104人を埋葬した。その大半はエボラ出血熱の感染が疑われる、あるいは確認された人で、その多くはスピアーズさんの友人だった。しかし、ファイアストンの病室のベッドで治療を受けた人はいなかった。
マージビ郡のメソディスト教会の支区長でもあるピアーズさんは「ファイアストンは従業員しか受け入れない」と不満を漏らした。「良心的とは言えない」
ファイアストンの医療スタッフは、自分たちをリスクにさらさずに農園外の人々にまで医療サービスを提供することができないだけだと説明する。彼らは救急車で運ばれてくる患者の受け入れを断ってきた。
それでも、感染件数が増えるにしたがって、同社はその考えを改め始めている。最近、同社の病院にやってきた16人家族は全員、入院や隔離が許可されたとマバンデ医院長は語った。
「われわれは大勢の感染者が出た地域に囲まれている」とガルシア社長は地図に目をやりながら言う。「しかも、こうした地域がわれわれの農園を横切って広がっている」と続けた。