星空文庫
太平洋、血に染めて ――ハリーの翼――
野良猫 作
――スネークとの戦いから二日後。
大五郎は、今日もヨシオと一緒に空母の舳先に立っていた。仁王立ちになり、腕組みをして地平線を見つめていた。
「今日は、少し曇ってるな」
大五郎のとなりで、ハリーが空を見上げた。両手を腰に当てて、葉巻をふかしている。太陽は出ていないが、カウボーイハットの下で眩しそうに目を細めていた。
「風も出てきたのう。こりゃあ、ひと雨来るかな」
ヨシオのとなりで、長老も灰色の空を見上げていた。肩まで伸びた白髪が、揺らめく炎のように風でなびいている。長老は、アゴにも白く長いひげを蓄えている。しかも頭頂部がハゲているので、まるで絵本に出てくる仙人のようだ、と大五郎は思っていた。
「それにしても、アニキはいったい、なにを見てるんです?」
ハリーのとなりで、ヨシオに声をかけたモヒカン頭の男。コバヤシである。丸い黒縁メガネを光らせながら、黒いカーゴパンツのポケットに両手をつっこんでいる。
「……」
コバヤシに答えず、ヨシオはだまって地平線のほうを見ている。
「やぼー!」
地平線を指差しながら、大五郎は叫んだ。
「野望?」
ポケットに両手をつっこんだまま、コバヤシも地平線のほうを見た。
「するってえと、アニキはマジで大統領になるおつもりで?」
スネークの一件以来、コバヤシは別人のようにおとなしくなってしまった。彼は、ヨシオをアニキと呼び慕っているのだ。
「……」
やはり、ヨシオは答えない。コバヤシは、ハリーと顔を見合わせた。それからふたりで肩をすぼめた。
「そういや、ダンナ」
腕組みをしながら、コバヤシがハリーに声をかけた。
「アッシは以前、ダンナに会ったことがあるような気がするんでさァ。いや、どこで会ったかは思い出せねえんですが、アッシはたしかにダンナの顔を見たことがあるんでさァ」
腕組みをしたまま、コバヤシが不思議そうに首をかしげた。
「オレを見ると、なぜかみんな同じことを言うんだよ」
少しうつむいて、ハリーが静かに笑った。
「これでも思い出せないか?」
ハリーは右手の親指と人差し指を立てると、コバヤシの顔のまえに構えた。まるで拳銃をつきつけるように、人差し指が眉間の辺りを指している。
「……あっ!」
思い出したように声を上げると、コバヤシはハリーを指差した。
「あんたは俳優の!」
「〝元〟俳優、だ」
ハリーは笑っていた。しかし、どこか寂しい目をしていた。
ハリーが〝元〟俳優だったことは、大五郎も知っていた。いつも悪役や死体役ばかりで、セリフのある役をもらったことは、いちどもなかったらしい。
「じつを言うと、アッシは西部劇のファンなんでさァ。もちろん、ダンナのこともよぉく知っておりやす。いや~、みごとなやられっぷりでやした」
「そりゃあ、褒めてるのかい?」
葉巻をふかしながら、ハリーは苦笑していた。
「もちろんでさァ。ダンナは、名脇役でさァ」
腕組みをしてうなずきながら、コバヤシは笑っていた。大五郎は、ふとヨシオを見上げた。腕組みをしたまま、ジッと地平線のほうを見ている。カタパルトオフィサーのヘッドギアにジャケット。ヨシオがなぜそんな格好をしているのか。なんどか訊いたことがあった。ヨシオは、答えなかった。だれに訊いても、知っている者はひとりもいない。やはり、ヨシオはイカレているのだろう。大五郎は、秘かにそう思っていた。
「おや? あそこでなにか光ったようじゃ」
右舷のほうを、長老が杖で指し示した。大五郎は、ハリー越しに右舷のほうを見た。空母の右舷、およそ二百メートルほどのところ。なにか銀色の物体が、波の合間に見え隠れしながら漂っている。
「ただのゴミだろう」
カウボーイハットの鍔を右手でつまみながら、ハリーが言った。
「ありゃあ、飛行機の翼でやすね」
ポケットに両手をつっこんだまま、コバヤシが言った。
飛行機の翼。大五郎は、ふとチャーリーを思い出した。あの翼は、ひょっとしてハリアーの残骸なのでは。銀色で、細長い翼。ちがう。あの翼は、ハリアーのものではない。ハリアーの翼は、あんなに長くはなかったはずだ。チャーリーは、きっとどこかで生きている。大五郎は、そう信じることにした。
「オレも、昔はもっていた」
眩しそうに目を細めながら、ハリーが言った。
「いったい、なにをです?」
コバヤシが尋ねる。
「翼だよ」
葉巻の煙を吐き出しながら、ハリーが言った。波の上を漂う翼らしき残骸を、ジッと見つめている。
「オレにも夢があった。夢に向かって、羽ばたいて……」
ヨシオが見ている地平線のほうをふり向くと、ハリーは葉巻を指で弾いた。白い尾を引きながら、葉巻が海へ落ちていく。
「たどり着けるといいな」
地平線に向かって、ハリーが言った。ヨシオは、だまって地平線を見ている。
「選挙のときは、あんたに投票しとくぜ。大統領候補どの」
ハリーが、ゆっくりと立ち去っていく。
「ダンナ……」
かける言葉が見つからない。そんな様子で、コバヤシがハリーの背中を見送っている。長老も、だまってハリーを見送っていた。
空が、さっきよりも暗くなってきた。海も、黒くうねっている。銀色の翼が、大きく上下しながら流されていく。
「さてと」
腕組みを解いて、ヨシオが地平線に背を向けた。メガネが、力強く輝いている。大五郎は思った。ヨシオは、なにかやる気だ。きっと、スネークのときのような面白いことにちがいない。大五郎は、ワクワクしながらヨシオの顔を見上げていた。
嵐になった。
空母の乗組員、そして難民たちは、みんな食堂に集まっていた。全員ではないが、およそ百人ぐらいはいるだろう。もちろん、ヨシオもいる。食堂のはしにある、小さなテーブル。そこでハリー、長老、そしてコバヤシの四人でポーカーをしているのだ。大五郎はポーカーのルールがわからないので、ただ見ているだけだ。
「なあ、ぼっちゃん」
コバヤシが声をかけてきた。
「わるいが、そこのカウンターでスコッチをもらってきてほしいんだが。それと、瓶ビールを一本」
ヨシオが計画した作戦の準備である。
「うん!」
カウンターでスコッチのボトルと瓶ビールをもらった。それを、コバヤシのところへもっていった。
「おう。すまねえな」
コバヤシが、ニヤリと笑った。
「ささ、アニキ。一杯どうぞ」
となりに座るヨシオに、コバヤシがスコッチを勧めた。ヨシオがだまって、口元でグラスを傾ける。
「じいさんも、一杯やれや」
コバヤシは、向かいに座る長老にも勧めた。それからヨシオの向かい側、長老のとなりに座るハリーのグラスにも、スコッチを注いだ。コバヤシはひとり、瓶ビールをラッパ飲みしていた。もちろん、これも作戦の準備なのである。大五郎は、ヨシオのとなりに座ってコーラを飲んでいた。
「腹が減ったな」
グラスを空けると、ハリーが立ち上がった。
「ホットドッグを食ってくる」
ハリーがカウンターのほうに向かった。ヨシオとコバヤシは、ちょうどカウンターに背を向ける格好で座っている。ヨシオがコバヤシにうなずいて合図をする。それからコバヤシは、長老にうなずいて合図をした。
かくして、作戦は始まった!
「慮外者!!」
とつぜん叫び、長老が立ち上がった。
「このわしにイカサマが通用すると思うてか!!」
激昂しながら、長老がコバヤシにカードを投げつけた。
「なぁにィ~? イカサマだと~? ふざけんなジジイ!!」
コバヤシも立ち上がった。周りがざわめきだした。食堂にいる全員が、このふたりに注目している。ハリーもホットドッグをかじりながら、カウンターのところから様子をうかがっている。ヨシオは、あいかわらず他人事のように落ち着いている。席に座ったまま、静かにグラスを傾けていた。
コバヤシが長老の胸ぐらにつかみかかった。
「テメーが弱いだけだろうが! それともなにかい? アッシがイカサマをやったって証拠でもあるのかい?」
「顔のまえで」長老がビール瓶を手に取り、振りあげる。「クセー息を吐くんじゃねえっ!!」
粉々に砕け散るビール瓶。モヒカン頭から噴き出る真っ赤な血。
「ラリ!!」
コバヤシがよろめく。
「ホー……マ!!」
コバヤシが仰向けに倒れた。一瞬、周りがシンとした。ハリーも、カウンターのところで目を細めている。口の中のホットドッグを、ゆっくりと咀嚼していた。
「ヤ……ヤロウ。マ、マジでやりやがったな~……」
コバヤシがフラフラと立ち上がった。顔は血まみれ、目は血走っている。いささか段取りがくるってきたのだろうか。もはや芝居なのか本気なのか、よくわからない状況になってきた。
「外道の最後はこんなものじゃ。いさぎよく天に帰るがよい!!」
長老は頭上で構えた杖を、まるでヘリコプターのプロペラのように回すのであった。
「ほざきやがれ!! 天に帰るのはテメーのほうだ!!」
コバヤシがズボンのポケットから拳銃を取りだした。
「ああっ」
みんなが声を上げる。コバヤシが長老に銃口を向ける。ヨシオ。手刀。コバヤシの手から、銃が落ちる。
「あっ!」
コバヤシが、慌てて銃を拾おうとする。
「ハリー!」
そうはさせまいと、ヨシオが銃を蹴る。床の上を回転しながら、銃が滑っていく。ハリーの足元。ホットドッグを頬張りながら、ハリーが銃を拾う。コバヤシが、ポケットに手をつっこむ。
「ばかめ! 銃は一丁だけじゃねえ!」
コバヤシがハリーに銃口を向ける。
「よせ」
口をもごもごさせながら、ハリーが言った。銃口は、コバヤシに向けたままである。
「ダンナを撃ちたくはねえ。どうかその銃を捨てておくんなせえ」
コバヤシが銃の撃鉄を起こした。銃口はハリーに向けられている。
「よすんだ。銃を捨てろ、コバヤシ」
ホットドッグを咀嚼しながら、ハリーが首を振っている。カウボーイハットの下で目を細めながら、額に汗を浮かべていた。
「たのむ、ダンナ。アッシに引き金を引かせねえでくれ」
「銃を捨てるんだ、コバヤシ。オレは本気だぜ」
ハリーも撃鉄を起こした。
凍りついたように静かな食堂。ふたりの冷たい目が、ジッとにらみ合っている。
――パリン!――
床の上で、グラスが割れる音。
――パ パン!――
重なる銃声。
時間が止まったように、だれも動かない。
――ガチャッ――
銃が落ちる音。
「……ダンナ……」
コバヤシが、ひざから崩れ落ちる。右手で胸を押さえながら、仰向けに倒れた。
ハリーが、ゆっくりとコバヤシに近づく。銃口は、コバヤシに向けたままだ。
「さ……さすがだぜ、ダン……ナ……」
血まみれの顔で、コバヤシがニヤリと笑った。そして、静かに息を引き取った。
ハリーはコバヤシに銃口をむけたまま、首を横に振った。左の頬が、少しふくらんでいる。まだ口の中にホットドッグが残っているのだろう。
「ばかやろう……」
ささやくようなハリーの声。銃を下ろしても、ハリーは首を振り続けた。怒り。後悔。悲しみ。セリフはいらない。ハリーは表情だけで、それらの感情をみごとに表現しているのであった。
――拍手の音――
「素晴らしい演技だったよ、ハリー」
ヨシオである。
ハリーがマユをひそめた。要領を得ない、といった表情でヨシオを見ている。
「まるで本物のハリー・キャラハンを見ているようでしたぜ、ダンナ」
丸い黒縁メガネの奥で、コバヤシの目が開いた。
「コバヤシ……」
呆然とするハリーの顔を見て、コバヤシが笑った。
「銃は、どっちも空砲だったんでさァ」
言いながら、コバヤシが立ち上がった。
ハリーは、やはり要領を得ない顔で首を横に振っている。
「おまえさんには才能がある。もういちど羽ばたいてみるがいい」
長老が、ニコリと笑った。
「じいさん……」
ハリーは、目に涙を溜めていた。
ハリーに背を向ける格好で、ヨシオが席についた。
「いまの感覚を、忘れないことだ」
それだけ言って、ヨシオは静かにグラスを傾けた。
ハリーの頬を、涙が伝い落ちていく。
「泣けるぜ……」
みんなの拍手の中で、ハリーは本当に泣いていた。
大五郎も、ハリーと一緒に泣いていた。
大五郎たちが軍の輸送船に救助される三日前の出来事であった。
※ラリホーマ・・・・・某ロールプレイングゲームに登場する魔法(催眠効果)。
――第五話へつづく!!――
『太平洋、血に染めて ――ハリーの翼――』 野良猫 作
最終回(第五話)の三日まえの話です!
更新日 | |
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登録日 | 2017-05-02 |
Copyrighted
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オープニング
https://www.youtube.com/watch?v=GTYyR-OFbq0