うまく人と会話ができなくなっているような気がしてならない。
「あれ、この言葉の意味ってこれであってたっけ?」などと感じることが多い。
会話中に文法というか、論理展開が気になってしまって、ところどころ述語や接続詞や助詞等を選べなくなることがある。
この頃というよりか、以前から実はそうだったんだと思うんだけど、自覚症状が出てきたのか、言葉を使うのが極端に難しくなってしまった。
たとえば「そうそうたる面子が集った」などと使おうとしたときに、「あれ?『そうそうたる』って、具体的にどういう意味なの?」と考えて
「そうとうたるだっけ?」「なんだよそうそうたる面子って……」みたいになってしまう。
文章も、意図せず堅苦しい雰囲気になってしまって、自分で読み返すときも若干の辛さを感じてしまう。
そうして日本語が外国語のように見えてきて、ぶっちゃけ英語も日本語も変わらないという感覚が身についている。
より具体的に言うと、身についているというのはポジティブな印象なので、身に染みているというか、うーーーん、どう表現していいのかわからない。
「台所のシンクの水切りゴミ袋」だなんてワードは頭になかなか浮かばないものだと思う。
「靴の中底」も知らなかったし、「簡易書留」も知らなかった。字面だけはよく見ても具体的な意味を聞かれると、うっと詰まるのだ。
「靴の中底ぐらいわかれよww」「簡易書留知らないのかよww」という反論もあろうが、真摯に考えていざ言語化しようとすると難易度が急上昇する。
「励行・奨励・激励・精励・督励・奮励の違いは?」などと聞かれると顔が真っ青になる。
「手洗いを励行する」とか「学生の門出を激励する」とか「弟の人生を奮励する」などとは使えても、単体で意味を聞かれたときに自分の知識の危うさとまみえる。
ぼくは大人になって、どうしてこんなに知識がないのだろうかと泣きたくなってしまう。
人と話しているときも、なんだか相手の意思をうまく汲み取れないときがある。
だいたい「なるほどですねー」みたいなことを言って流してやり取り自体は成立しているのだが、相手の話を全く理解せず相槌だけ打ってる自分が詐欺師のように思えて、いくらか罪悪感を覚える。
それとは逆に、人の話を字面そのままで受け取れなくなってもしまった。
「ああ、この人は自慢したいんだな」とか「ああ、この人、怒ってるんだな」とか、なるべく相手の本当の気持ちを推し量って、言葉での情報そのものを無視するようになってしまった。
また「この人、聞いたふりしてるけど話聞いてないな」とか「それ、この人理解してないけどなるほどって言ってるぞ」なども思う。
そうして、人とコミュニケーションしているのに、会話は成立していないように感じられようになった。
たとえば
「ポイントカードはお持ちですか?」に対する返答が
「いや、(この人は多分ぼくのことを常連だと知っているだろうしぼくはいつもポイントカード出してるけど今買うのは1品だけで300円程度の商品だからその程度の商品にポイントカードを出すのは逆に無駄でそれゆえにポイントは)いらないです」になる
「ポイントカードはお持ちですか?」は、平たく言うと「ポイントカードあったら出してね」という趣旨の発言なのだが、それに対する応答として適切な言葉が瞬時に出てこない。
大雑把な話であれば何の問題もないのだが、細かいところを詰めはじめると一気にコミュニケーションコストが発生する。
だからこその専門用語なのだろうが、専門用語だってバズワードが多い。だから、どうやってみんなお互い会話をしているのかがわからない。
本当のところ、誰も会話なんてできていないんじゃないだろうか、会話しているフリをしているだけなんじゃないのかとすら思える。
「会話できない」とは語弊があるかもしれないけど、少なくとも、会話によってお互い通じ合えていることはないんじゃないかと思う。
こういうことは、多かれ少なかれ誰しも経験するのだと思うのだけど、ぼくは本当に多い。
タイトルの「日本語って難しいね」っていう文は、色んな人が使うものだと思うけど、これも「日本語が難しい」という問題を提起しているわけではなくて、「自分の気持ちをうまく言語化して表現できないのがもどかしい」という感情が乗った文なのだけど、どうしてこういう文が自分の中に出現するのかがわからない。ただぼくの意志が決まりきった例文に隷属しているだけのような気がしている。
なんかもうよくわからない。
文にまとまりがないし、もう寝ようと思う。
すいすいすいようびさん見てると、むちゃくちゃな日本語だけどいいたいことは伝わってくる。 文章なんてそんなものだし、会話なんてもっとむちゃくちゃなもの。 あんまり深く考える...
これ本人じゃないの?