こいのぼりをあげない! なぜ?どうして?

こいのぼりをあげない! なぜ?どうして?
子どもの健やかな成長を願う”こいのぼり”。いつの時代も5月5日の端午の節句を祝う象徴です。しかし日本には”こいのぼりをあげない!”という地区があるんです。なぜ、なのか?、子どもはどうしているのか?、その地区を訪ねてみました。
(さいたま局:寺林真記者 報道局:岡崎靖典記者)
その地区は埼玉県の北西部、自然豊かな神川町にあると聞き足を運びました。群馬県と隣り合うおよそ1万3000人が暮らす町。
しかし町に入ると、あれ?。目にしたのは町を流れる川を横切るように泳ぐおよそ100匹のこいのぼり。この時期、各地で目にするおなじみの光景です。
聞いたところ、この町の南に位置する矢納地区にだけ、こいのぼりを、あげてはならないという言い伝えがあるというのです。

その地区は埼玉県に

その地区は埼玉県の北西部、自然豊かな神川町にあると聞き足を運びました。群馬県と隣り合うおよそ1万3000人が暮らす町。
しかし町に入ると、あれ?。目にしたのは町を流れる川を横切るように泳ぐおよそ100匹のこいのぼり。この時期、各地で目にするおなじみの光景です。
聞いたところ、この町の南に位置する矢納地区にだけ、こいのぼりを、あげてはならないという言い伝えがあるというのです。
そこで矢納地区に入ってみました。するとすぐにこんな証言が聞けました。矢納地区で生まれ育ったという80歳の女性です。
「こいのぼりを買ったことはありませんし、もちろんあげたことはありません。地域でもあげているのを見たことはないです」。
同じような証言を次々と聞くことが出来ました。
”こいのぼりをあげない地区がある”は本当でした。

今も残る”将門”伝説

では、なぜこいのぼりをあげないのか。
町役場からの紹介で会えたのは、地元の歴史に詳しいという79歳の安田知治さんです。

安田さんの話は教科書にも出てくる平安時代の豪族”平将門”という言葉から始まりました。「平将門の伝説があるのでこいのぼりをあげないんです。こいのぼりがあがっていたために、矢納地区まで来ていた将門は敵に攻め入られてしまったんです」

さらに町の歴史をまとめた古い書物を見てみました。
開くと、そこには将門とこいのぼりの関係について次のように記されていました。
「平将門が城峯山に(矢納地区にある山)立てこもっているとき、矢納のある家であげたのぼりで所在が敵に知れてしまい、将門は戦に破れた。こいのぼりをあげると、その家には不吉な出来事が起こる」

どうも矢納地区では、こうした言い伝えが代々伝わり、こいのぼりをあげていないようでした。

言い伝えは今も

地域に残る郷土カルタにも「れんめんとかたりつたえてまさかどとこいのぼり」などと言い伝えが詠まれています。

では今でもこいのぼりをあげていないのか。小学生と中学生の男の子がいる山田行計さん一家にお邪魔しました。
端午の節句が近づく中、優雅に大空を舞うこいのぼりはもちろん、家の中に飾る小さなこいのぼりも見当たりません。
山田さんは「こいのぼりはあげません。買ってもいません。自分が子どもの頃からずっとそうでした」と話します。

こうした風習に中学1年生の長男、智也くんは「きれいなこいのぼりをあげてほしいです。言い伝えがなければ、あげられたと思うと残念です」という言葉。
小学4年生の次男、匠くんは「僕たちのおうちでもあげたい」と素直な思いを明かしてくれました。
それでも山田さんは「災いでもあったらよくないので、かわいそうだけどやっぱりあげられない」と話していました。

それでも見せたい”こいのぼり”

地区の風習を守る山田さん。しかし、こいのぼりがいとしいという子どもたちの思いも大事にしていました。
携帯電話には子どもたちとこいのぼりが一緒に写った写真があったのです。それは風習を守りながらも子どもたちの願いもかなえてあげたいという気持ちからの写真でした。
「この地区にはこいのぼりがないので、実は近くの群馬県神流町まで子どもと一緒に行って撮影したんです。なんとか子どもたちにこいのぼりを見せてあげようと思い、毎年出かけているんです。またこいのぼりはあげませんが、かぶとは家に飾っています」と教えてくれました。

栃木県にも

さらに調べると、栃木県の山あいにも、こいのぼりをあげない地区がありました。
温泉地として知られる日光市の湯西川地区。ここで生まれ育った80歳の伴隆文さんは地区の歴史を調べ続けています。
伴さんによると、地区の南東に位置する高原山に身を隠していた平氏の一族に、端午の節句のころ男の子が産まれ、ありあわせの布きれで作った「のぼり」をあげて誕生を祝いました。ところが、そののぼりが原因で、源氏の武士たちに見つかって攻めたてられようやく逃げ延びたそうです。
この言い伝えから、伴さんも「こいのぼりはあげてはならない」と言い聞かされてきたそうです。

でも やっぱりあげたかった

そんな伴さんに長男が誕生したのは昭和39年の夏。うれしさのあまり伴さんは、山から切り出した10メートルほどの杉の木に2匹のこいのぼりをつけ、自宅の裏の畑にあげました。
ところが、その直後から「こいのぼりは御法度だぞ。早く降ろせ」と周りの人たちにたしなめられ数日でこいのぼりをお蔵入りさせたそうです。伴さんは「あんなに反対されるとは思わなかった」と、笑いながら当時を振り返ります。

こいのぼりにも地域によってさまざまな風習が残っています。そして子どもを思う親たちは、風習が残る中でも、さまざまな形で、健やかな子どもの成長を願っていました。