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あおいまぼろし

 

或る少女の日記より。


私がソープランドで働いてる事を知ってる男友達(彼女持ち)と二人で遊んだ。カラオケに行って、洋食屋に行って、オムライスを食べて、共通の友達の話とか、最近よく聴いているバンドの話とか、とりとめもない話をした。

彼は私の話を柔らかい表情と優しい相槌でよく聞いてくれる。下心なんて微塵ものぞかせないけれど、それがもし下心からくる優しさだとしても、私は嬉しい。

それから彼の家に行って、それから・・・。もちろんお金はもらってない。いけないことをしてる感じですごくドキドキした。だけど何がいけないんだろう。彼は本当は誰のものでもないのに。

好きな人とだけするなんて、そんな理想はとうの昔に儚く散ってしまった。だけど、ときどきまだ戻れるんじゃないかって思う時がある。

日々変化して、いつか醜く萎びて朽ちてしまうこの若い身体を、それを必要としている誰かのために捧げるのは悪い事なのかしら。

親の葬式をどうやってサボろうか、その口実を考えてた。シンプルに仮病がいいかな。あんな奴の葬式なんて絶対に行きたくないもの。(そもそも葬式というものが嫌い)

どんなに近しい人でも、絶対に分かり合えない部分がある。知れば知るほど分かり合えそうもない。その部分を尊重し合いたい。

嫌われるのはすごい楽。誰も私の事を好きじゃない、好かれたくも無い、そう思える時だけ、本当の自分でいられる気がする。

誰もが自分の内面の一部分(好きな部分や嫌いな部分)を他人に投影して、それで好きになったり嫌いになったりしてるだけ。自分の中にあるものしか見ていない。だからあなたが見ている私はあなた自身。本当の私なんて、誰も知る由もない。

結局のところ私は、この世界に深入りするのがこわいのだ。愛する事にはいつも、失う悲しみがつきまとう。愛さなければ、苦しむこともない。だから誰も愛さないで、誰にも愛されないで、一人静かに死んでいく。

 

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