本能寺の変、「本当の裏切り者」は誰なのか
教科書が教えない「明智光秀」以外の真犯人
本能寺の変の真犯人は、この「明智光秀」ではなかった?(提供:アフロ )
戦国の世の終焉を目指し、最大の脅威だった甲斐の武田氏を滅ぼして、天下統一をほぼ手中に収めていた織田信長。しかし、突如として家臣である明智光秀に裏切られ、京都の本能寺で非業の最期を遂げる。
このとき、突然、主君を裏切った明智光秀の「真の動機」はわかっておらず、さまざまな説が唱えられている。
なかでも興味深いのが「黒幕の存在」だ。事件の裏で彼を扇動していた人物がいたのか? いたならば、それはいったい誰だったのか?
「日本史を学び直すための最良の書」として、作家の佐藤優氏の座右の書である「伝説の学習参考書」が、全面改訂を経て『いっきに学び直す日本史 古代・中世・近世 教養編』『いっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編』として生まれ変わり、現在、累計17万部のベストセラーになっている。
本記事では、同書の監修を担当し、東邦大学付属東邦中高等学校で長年教鞭をとってきた歴史家の山岸良二氏が、「本能寺の変」を解説する。
最も無防備な瞬間を狙われた信長
天正10年(1582年)3月、信長は甲斐(現在の山梨県)へ侵攻し、長年の宿敵だった武田氏を滅ぼしました。
天下統一の手応えをつかみ、意気揚々と安土に帰還した信長でしたが、まもなく部下の羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)に任せていた中国攻めで毛利氏の大規模な反攻が始まり、応援を要請されます。
信長はすぐさま同じ部下の明智光秀に出陣を命じ、自身もその準備にとりかかる中、京都へ向かいました。このとき、信長が連れていたのはわずかな手勢のみで、配下の諸将は皆、各地で奮戦中でした。
この間隙を突き、中国地方へ向かったはずの明智光秀が突如、反旗を翻したのです。光秀は6月2日の早朝、信長の宿所だった本能寺を襲撃、信長は焼け落ちる寺の中で自刃したとされています。
この「本能寺の変」は、誰もが知る歴史的大事件でありながら、「明智光秀の犯行動機」がまったく解明されておらず、真相はいまも謎に包まれたままです。
そこで近年、注目を集めているのが、事件の背後で何者かが明智光秀を操り、信長の暗殺を実行させたという「黒幕の存在」説です。
今回は「本能寺の変」をテーマに、事件解明のカギを握る「黒幕」について、諸説ある中から代表的なものを解説、「真の黒幕」を探りたいと思います。
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