海外の革命家・思想家で、トロツキーほど日本で歪められて紹介された人間はいない
であろう。その主な原因は、
日本の共産党をはじめとする左翼が、スターリン支配下のコミンテルンの「指導」のもと
で、当否を確かめることもなく、トロツキーをロシア革命の裏切者として喧伝してきたことにある。
しかし、それだけではない。トロツキー紹介の労をとった研究者・翻訳者たちが、故意にではないにしても、トロツキーの著作を必ずしも的確に日本の読者に
つたえなかったという事情もあった。
戦前の一時期をのぞけば、トロツキー紹介は主として英訳された著作からの重訳です
すめられた。しかも、英訳者の翻訳力はトロツキー自身もしばしば嘆いていたように的確ではなかった。驚くことに、そうした欠陥英訳がいまだにそのまま改訳
されることもなく世界で流布している! しかもトロツキー派の出版社自体がそうした事態に無頓着に見える。
日本では長いことそうした英訳にもとづいて邦訳がすすめられてきた。だが重訳者の
学力も疑わしいものであった。『裏切られた革命』の例をあげれば足りる。
トロツキーを信奉する者も憎悪する者もそうした不適切な邦訳に依拠してトロツキー
を「理解」し、論じていたのである。一時、その状況を克服する試み、つまりロシア語から直接訳すという企画が実現しかかったが、数点が刊行されただけで、
その試みは中断された。
『裏切られた革命』、『ロシア革命史』、『永続革命論』、『わが生涯』などトロツ
キーの主要著作は数々の瑕疵を含む重訳のままであった。
そこで私自身、それらの主要著作を原書から訳す仕事にとりかかった。と同時にこれまでにロシア語から訳された
著作についても適否を検討してみた。というのも、眼を通してみて不可解な訳文に遭遇
することが多かったからである。初期ソヴェト政権の言論政策を調べる過程でひもとくことになったトロツキーの『文学と革命』は、その代表的な事例であっ
た。ロシア語から訳されたという『トロツキー自伝』(『わが生涯』の題名を変えて刊行したもの)に接したときも同じ印象であった。ロシア語文法を習得して
いるかどうか疑われるような訳文が随所に見られた。
そういう状況のもとで、私は岩波文庫編集部の厚情により『裏切られた革命』や『ロ
シア革命史』の翻訳にとりくむことになった。刊行後、それらの私の訳業に非公式に批判が寄せられた。このサイトではそれにたいする私なりの回答を発表して
いる。
『ロシア革命史』の刊行とほぼ同時に、『トロツキー自伝』の瑕疵を克服したと
いう『わが生涯』がやはりロシア語からの「新訳」として岩波文庫で刊行された。また、これまで英訳からの重訳しかなかった『永続革命論』もロシア語からの
翻訳として『トロツキー研究』誌に発表された。だがそれらの「新訳」に眼を通した私は、あまりの杜撰さに慨嘆に堪えなかった。
トロツキーのまともな紹介と研究という課題は依然として残ったままである。
以下はその報告、いうなれば、<トロツキー翻訳受難物語>である。<客員寄稿>以外は
藤井の執筆。
追記 (2008.06.15)
西島栄=森田成也氏は今度
は、光文社古典新訳文庫の訳者として登場した。トロツキーの『レーニン』につづ
いて『永続革命論』。トロツキー研究者としてとうてい見過ごしできない産物である。