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同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年 4月30日(日)23時37分52秒
  今晩は、皆様
ありがとうございまし
皆様が健康であります様に
おやすみなさい
 

まとめ

 投稿者:史人  投稿日:2017年 4月30日(日)23時02分52秒
編集済
  書き込みした内容が自分でも管理しきれなくなったのでm_m

<仏道修行の先にあるものとは?>

五感から伝わる仏法上の歓喜=衆生が元々持っている福運

それが戸田先生がお残しになった持っている福運という言葉から思索して体験出来、30分以上に渡り、汲めども尽きぬ喜びの生命が体の中から湧き出たという体験

10年以上に渡っていつも、この「持っている福運は感謝していきなさい」云々の戸田先生の言葉以外に人々の自殺願望や犯罪行動などの心の問題を解決する方法はないと信じ続け、思索し続けていたこと

形式に捉われず、題目はただゆっくり、しかしハッキリと唱えて、口調は最後まで全く同じトーンであること

終われば口中唱題が続くこと

<題目を希求していくこと>

僅か数分で過去から現在に至る感謝の一念を尽くすことが果たして可能なのかどうか!?

御本尊へのお題目と勤行を終えてからの唱題の継続と歓喜の持続

自転車を漕ぎ続けている間、数キロもの荷物が嘘のように身軽に感じられ、そんな時間で着く筈がない2分早い出勤、病が障りとならないという御書の確信というよりは身の上への深い感謝、最後に満面の笑みが起きてくる
湧き上がってくるものが歓喜で身の上への深い感謝

病気というものを打ち消すことは出来ていないのにも関わらず、確信に変わる深い感謝が歓喜の後に湧き上がってきて、自然の流れとして、自分でもどうしようもない満面の笑みの表れ

「人生とは自分自身に生きて自分自身が充実して自分自身の使命を果たしていくのが本当の幸福ね」(池田先生の言葉の取意)

戸田先生の「御本尊への強い願いは必ず通ずる。それには条件が三つある。一つ題目。二つ題目。三つ題目である。」「題目を唱え奉ることが仏の境涯を開発することである。」「題目の力は偉大である。苦しい業を感ずる生命が、あたかも美しい花園に遊ぶがごとき、安らかな夢のごとき状態に変化するのである。」

池田先生の「徹底して南無妙法蓮華経 ただ南無妙法蓮華経 御本尊しかない 自分は根本として題目を唱えていくのだということになった場合に、最も楽しくなるのです。すると今度は・・。 一切の悩みや一切の苦悩が全部解決する! ここだけわかればよいのです。」

戸田先生の「一切を喜びに変えていける力強い大歓喜の命が自分にもあることを信じて、それを引き出すことが出来たら後はもう、しめたものだ。結局、幸せも不幸も外ではなく自分の中にあるのだ。」

四菩薩の歓喜の意業供養、身と口の供養があったことを知ったことから、随順する心で中央のお題に心を手向けていくべきと感じたこと

感謝には、涙するものと感動に打ち震えるものと、もう1つ、止めることの出来ない、確かに満面の喜びに現れるものとがあること

最後のものこそが人としての魅力に最大に通ずるものと思われること

7文字のお題目を唱え続ける意識、これをもち続ければやがては「一切の悩みや一切の苦悩が全部解決する」そんな時がくること

現に毎日祈り願っていることは、皆が仕事中自由に休憩出来て、自由に有給休暇を取れて、早い時間に帰宅出来ること

仏法が勝負であり、国法が正邪であり、世法は評判である。これは戸田先生が常々言われていた言葉であり、世法などがその人を外しても、その人の事実・本当の中身はきちんと勝っている、それが仏法であること

<求めていくべき教え>

人々には元々持っている福運があり皆仏だから、自分に対してきつく当たられたり、不遜な物言いをされても、心の中では敬っていること

皆を偉くし、皆を敬う人が偉いのだー戸田先生。誠実な振舞に仏法は脈動(平成29・1・9)

「日に日に向上して心に笑む可きのみ」戸田先生。深き祈りで今日も溌剌と(平成28・11・21)

釈尊が自分から人に声を掛けられる方であったなどの記述は好きで、職場で人から挨拶がなくとも、自分から挨拶出来る喜びがあり、(こんなに嬉しいことはないという思いがあり、)仏が根本だと信じていること

法華経の知恵に出てくる、釈尊が悟りを得て最初に言われた「不死は得られた」という言葉により、「神道」中心ではやはり駄目なこと

生命論は神道にはなく、外にあるという神が中心であり、そこでは悟りという概念自体完全に排除してしまっていること

罰論に関して、御本尊様のお文字に触れてはいけないなどがあるのだけど、そこのところを今まで学会でちゃんと指導してこなかった点と、長い時を経て、精神に病気が起きてくるなどの現象としてちゃんと出ていること

御本尊をびりびりに破いて川に捨ててしまった父が全身に神経が浮き出てくる病気になってしまったこと

母が亡くなった後で、実家にお骨を持っていったところ、寺が違うから家の御本尊(仏像)の前には置かせたくなかった。お前の他の親類が居たから置かせたんだ!少し立ち寄ろうとした件(心の中では母が亡くなってから再度お墓に参って自我偈を読んであげようと思っていた。)について、何しに来るんですか!?お前の生活まで見てやれませんからねと書いてよこして、暫く経った後に耕運機で足を複雑骨折して入院してしまったこと

その人人ごとに、あぁ間違ったことを言ってしまったなとすぐにわかるものと確信しながら、日々人様から悪く言われてもただただその人の元々持っている生命の尊さを敬い続けて耐えていること

<御本尊の扱い>

御本尊の位置について、仏壇屋さんが自分の目線より高くしないといけないと言われ、下に平行になる台座を拵えて自宅にご安置していること

タンスの上など高い位置決めが出来て、御本尊の中央のお題が見えて、中央のお題は九識なので、それがしっかり読み取れること

<久遠長寿の如来>

高校の時、教室内で先生に名前を呼ばれた時以外、全く顔を上げられず、昨年、当時先生が題目同盟に入ろうと言われていたことを今日の発心で書かれている方が居られたのを拝見してわかったこと

題目同盟という言葉は、その記事を見るまで知らなくともちゃんと入っていたこと

学校が終わってから毎日3時間20分の1万遍唱題をしていて、来る日も来る日も晩21時頃皆がテレビを見ている中で、それを振り切って唱え続けたこと

卒業の時になってもとうとう教室で顔を上げることが出来ずに机にうつ伏せにならないままの下を向いた状態で終了したことと、社会に入っても同じで、机が横に並んでいると寂しくなり、顔を上げらなかったこと

そして業というものは生易しいものではないという結論で、信心しているのにではなく、信心していてもであることを自覚して、今も寸暇を惜しんでお題目を唱えていること

此経難持ということを知らないまま今日まで来たが、久遠長寿の如来なりとの日蓮大聖人のお言葉があることを思い知ったこと

お題目を念ずることを忘れてはいけないのと、寝床に就いても意識が無くなるまで唱え続けているから、口は開いたままであること

自身、お題目を念ずることは一生続くことであることと、悩みは尽きないという理由があり、御書で書かれていることが答えであり、題目を念じ続けていく中で、その寿命は久遠だということ、悩みがそのまま寿命に繋がっていたと自覚したこと

「妙法蓮華経を安楽に行ぜむ」

難(自分としては業の悩みも含みます)がある中で、益々唱え続け持ち続けていくことで歓喜・感謝に通じること

「此の経は持ち難し若し暫くも持つ者は我即ち歓喜す諸仏も亦然なり」

自分の中にある秘められた生命が躍動していく、こんな嬉しいことはないこと

一番最初に心に刻んだのはいかなる病さはりをなすをなすべきやの御文であり、高校生の時の心の苦しみの時より27年の歳月が流れた11年前に体から沸々と湧いてくる喜びの生命を長く感じることがあり、その後に病気の苦しみの現実に戻り、即この御文が浮かび、身の福運への深い感謝の念が心の中から込み上げてきて嬉しい気持ちを抑えることが出来なかったこと

この御文は辻さんがとても重要視されて言われていたもので、体験がなければ言えないことだった筈だということ

御本尊の前から離れて尚、お題目が惜しくて唱え念じ続ける中で、この久遠長寿の如来という言葉は希望を与えるものであるということ

妙法蓮華経には自分の運命がかかっているといっても過言ではないこと

戸田先生が経とは「ありがたいと思うこと」だと言われ、また「これ自体が・・運命を支配する」と言われたこと

要は御本尊に向かう時に「御本尊のことのみしか考えなくなる(法華三昧。戸田先生)」こと

何もわからなくとも自分の「心と体の働き(戸田先生の言葉)」が顕れてきていること

<感謝と生命の福徳>

心と体で生命に感謝していくことは大切で、その中でも頭と声は心からの現れであると思われること

胸・腹は体からの発露(歓喜して体から沸々と喜びの生命が湧いてきた時はここからの感じが強かったと記憶していること。)

足はその躍動。子供がはしゃいでジャンプしたりする様子から思い至ること

ミュージカルで顔の表情や声からの魅力を感じることはよくあり、それを体全体で表現していく手段も見られること

NHKうたコンでレ・ミゼラブルの歌の披露の中で男性が旗を持って現れて歌いだす姿を見た時にこの躍動と生命の発露を感じたことを例にあげて、人間には感情を表現する手段があり、妙法も同じことが言えること

戸田先生の言葉、それを連ねると・・

「宇宙の現象は、みな妙法蓮華経の活動であります。妙法とは一応われわれの心であり、蓮華とは体のこと、泥沼より清浄な開花をみせる蓮のごとく、欲ばり、ひねくれた根性で、泥沼にいるような者も、蓮華の清浄さをたもつ体になれるのです。経とは心と体の働きをいいます。」

そしてすぐ後には、「さらに、貧乏人が金持ちになるように奇蹟(きせき)のような、説明のつかぬ現象が起こる、これを妙法というのです。」

別に曰く、「経とはわれわれがありがたいと思うことです。これ自体が、われわれの運命を支配するのです。」

人の言葉とは何と有難いことであるかということ

戸田先生は今日人々が功徳を得ていく道筋をちゃんと口で説明してくださっていたこと

今日の発心でこんな感じの記述があり、そこには、自分の担当する子供に対して、悩んでいたところ、自分の顔を見てそれではいけないと感じ、「相手の仏性を信じ抜ける自分になろうと決め、・・・」とあったこと

「鏡に向かって礼拝を成す時浮かべる影又我を礼拝するなり」

この時、[「この子は変わるべきだ」という決め付け]への反省があったこと

御書では地獄は地獄のままが実の姿であって餓鬼と変じた時は地獄の実の姿ではないとあり、地獄は地獄のままが実の姿でというのは、変わろうという心とは矛盾するが、ご本尊に対していく時には、多くの場合に自分の心や振る舞いを自分で感じて発心してお題目を唱えた時に変化が見られること

それで考えたことは心と体で生命に感謝していけるように変わろう、(またはそうあろう)ということ

「経とはわれわれがありがたいとおもうことです」(前述の戸田先生の言葉)、ここに答えがちゃんとあったということ

以前書いた福運とは元々持っているもので功徳とは積もるものという趣旨の自分の考えには、元々持っている生命の福運というものに対して感謝していければという答えがあるということ

戸田先生が、「持っている福運には感謝していきなさいそうでなければその福運は消えてしまうからだ」と女子部に言われたことは、とても意味深いものがあること

新・人間革命の中にある力走の中には、【それまでは、“頑張って信心してきたのに、どうしてこうなるのだ!”という思いがあった。しかし、新たな決意で唱題に励むと、心が変わっていくのを感じた。

“俺はこれまで、教学を学んできた。御書に照らして見れば、過去世で、悪業の限りを尽くしてきたにちがいない。それなのに大した信心もしないで、ご本尊が悪いかのように考えていた。傲慢だったのだ。

日蓮大聖人は、「諸罪は霜露の如くに法華経の日輪に値い奉りて消ゆべし」と仰せになっている。信心によって、今生で罪障消滅できるとの御断言だ。なんとありがたい仏法なんだ!”そう思うと、御本尊への深い感謝の念が湧いてくるのだ。

感謝の心は、歓喜をもたらし、その生命の躍動が、大生命力を湧現させる。】とあったこと

また源流の最後に「広宣流布をわが使命とし、弘教に取り組んできた同志の胸中には、汲めども尽きぬ喜びがあふれ、生命は躍動し、獅子の闘魂が燃え盛っていた・・」とあること

91年12月の本部幹部会のスピーチが15年7月7日の本部幹部会で紹介され手いる中に、【「仏法に巡りあうーそれは偶然ではなく、過去世からの福徳によるのである、と。」】とあり、「我等宿福深厚にして、仏法に生まれ値えり(釈)」の文について述べている言葉は、御義口伝の一節から、

「此の文は一句妙法に結縁すれば億劫にも失せずして大乗無価の宝珠を研き顕すを生値仏法と云うなり所謂南無妙法蓮華経の仏法なり(御義口伝の釈)」

【ーこの文(「宿福深厚生値仏法」)は、たとえ一句でも妙法に縁を結ぶならば、その福徳は億劫という計り知れない長遠な年月の間にも、決して失われることはない。そして大乗教の究極である無上に高価な宝珠、すなわち衆生の胸中にある仏の尊極の生命を磨き顕していくことができる。これを「仏法に生まれ値えり」というのであり、その「仏法」とは南無妙法蓮華経の仏法なのであるーと。少しでも妙法に結縁するならば、その福徳は永遠に消えることはない。】と言われていること

心から真理を得ることは中々難しいことであり、そんな中でも先人の言葉を胸に抱いて自分自身変わって行こうという思いから、必ず答えを導き出すことがあると信じられること

道筋はまだまだ遠いが、日々口中唱題(今書いている間も口開けたままお題目を念じている。)を繰り返しつつ、御本尊の前で答えを待ち続ける日々であること

「即為疾得無上仏道」と。

題目を念じ持っていく中に仏道修行の根幹があり、経文の「得入無上道」というのもあるように思うこと

<仏法上の慣わし(若干)>

生きている目的は自分自身の求める答えを見つけることだし、「永遠の生命を悟ることだよ」という戸田先生の言葉の答えに帰結するような気がしていること

辻さんの個人指導の中で「自分の謗法を畳に頭をこすりつけてお詫びしなさい」という言葉を見つけて、勤行のご観念文の時に無始曠劫の謗法の罪をお詫びしますという時だけ頭を擦り付けたりすることがあること

他の教えにも見られるこうした慣習は法華経の中にもあり、以下

爾(そ)の時に五百の阿羅漢(あらかん)、仏前に於て受記(じゅき)を得(え)已(おわ)って歓喜(かんぎ)踊躍(ゆやく)し、即(すなわ)ち座より起(た)って仏前に到り、頭面(ずめん)に足(みあし)を礼(らい)し、過(とが)を悔(く)いて自ら責(せ)む。

従地湧出品第十五のある人の解釈で「・・・十方分身の諸仏方に向かって敬礼をして、右から三回廻り、合掌礼拝し(身業供養)、それぞれの菩薩の讃嘆の方法を以て仏様方を讃嘆し(口業供養)、そして一方に並び住して、多宝仏、釈迦仏の二仏を歓喜の心を以て見たてまつり(意業供養)ました。」とあること

戸田先生の言葉の中にも、「自我偈(じがげ)は、本式には三度あげるのです。それは法報応の三身に読むのです。五度の場合は妙法蓮華経の五字、七度は七文字になぞらえるのです。」とあること

化儀秘決の中の合掌の事

問ふて云はく印契多き中に何ぞ合掌を用ゆるや、答へて云はく真言には印契之れ多し、法華経には多くは之れ無し、万法惣持の妙法蓮華経なる間、合掌は惣印なれば之れを用ゆ、所表は八葉の蓮花なれば胸に当てゝおがむなり、八文の肉団なり、大指二は境智定恵なり、十指は十界なり、三千なり、十合すれば十界互具なり、胸にあつる処は一念なり、色心二法合して題目を唱へ出す処が三業即無作三身、事業一念三千、当躰蓮華仏とは是れなり、十波羅密、十神力、十如等之れを思ふべし然る時は両手は境智なり定恵なり、経には欲聞具足道、合掌以敬心、或以説実相印云云、具足道と云ひ実相印と云ふは事の一念三千十界皆成の当躰なり、真言見聞の御抄等深く之れを見奉るべし之れを略す、必ず仏を拝むに限るべからず我仏身をおがみ給ふに成るなり、深く之れを案ずべし。

<生命探求の必要性>

生命について諦めてはいけないという点について、日々の忙しさに振り回されてしまってはいけないということについて、先人の言葉を文章内に引用したもの

菜 根 譚については石坂泰三が上のゲーテの言葉と共に好んでいたもので、URLでの解釈の通りであろうと思い、合わせて掲載

ゲーテの言葉/

「若者よ。お前はなぜそう急ぐのか。なぜ、そうまでセカセカして先を急ぎ、あせるのか。どんなに急いでも人間の行きつく先は同じだ。急ぐことはない。あせることはない。もっとゆっくりと、もっとじっくりと胸を張って堂々と、大地を踏みしめて歩きなさい。やがて、確実に目的のところへ着く。急ぐことはない。」

菜 根 譚の言葉/

「友に交わるには須(すべか)らく三分の侠気を帯びべし。

人と作(な)るには一点の素心を在するを要す。」

http://www.saikontan.net/choyk/2006/03/post_15.html

以下、諦めるの同義語

http://thesaurus.weblio.jp/content/%E8%AB%A6%E3%82%81%E3%82%8B

<生命について>

生命と漠然と考えても通常は中々答えが出てこないものであり、感謝すべきものもまた生命であるということ

大切な人が息を引き取る前に病室で浮かんだ、「ただ心こそ大切なれ、いかに日蓮いのり申すとも不信ならばぬれたるほくちに火をうちかくるがごとくなるべし、はげみをなして強盛に信力をいだし給うべし、」その続きのお言葉、「すぎし存命不思議とおもはせ給へ」「心こそ大切なれ」の言葉が感謝を表し、「すぎし存命不思議とおもはせ給へ」もまた感謝を表すものであること

<半島情勢が厳しい中では>

蒙古退治御旗曼荼羅というのがあり、真円の輪の中に御本尊が納められていて、国が日蓮大聖人を頼っていた時代もあったということ

いつの時代にか、こういった御本尊を国が重要視することがあるかもしれないということ

現代ではこのこと自体、またそういった御本尊があったこと自体ほとんど誰も知らないこと

身延山は明治時代に大火に遭っているので、様々な写しがデジタル時代の今になってようやく日の目を見ることになり、時代の変化があったということ
<本用に臨写された巷でよく使用されている資料>
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/823980

堀日享上人は身延には板本尊などが隠されているようで気になされておられたようで、詳細はわからないが、何故か日興上人に渡された御本尊(普通の)もあったこと(上記URLにも記録あり)

<上にペコペコの仏様>

偉い人がそれなりに地位も上がっていくだろうけど、その過程で財務をたくさんして功徳を貰ってくださいという腐れ話しもしていかなくてはならない、そんな上にペコペコした仏様が居るのかという話と、昭和50年代では財務の申し込みの時に一人一人面談みたいなものがあって真剣だったこと

それが100万円という話しがポンポン出るようになるだけでなく、支部幹部会でちょっと支部長に声を掛けただけで財務の決意発表で時代も変わったということ

戸田先生のお声では、生活に支障がありお金の懸念もあり財務だからやっておこうでは功徳はないという感じの話しになっていて、そんな人はしなくて結構ですということ

これは言葉をそのまま書いたわけではないので、あくまで感想的なものであること

ある婦人部の方から家の前で功徳があると思っては駄目という感じの話しをされていた理由が、戸田先生の後腐れのない財務にしか功徳がないという話しで納得出来たこと

<唱題での意識改革>

自身、普段から人の半分のスピードでしかお題目を唱えられなくなり、また息継ぎも数回で行わざるを得ない状況であることから、呼吸法を整えたりすることよりも一遍でも多くお題目を唱えることを重視して、億持不忘に重きを置いていること

そんな中で口をパクパクさせるまで行かない、人が間近に居ても唱える息吐き重視の口中唱題を実践していること

夜中の病室で皆が寝静まった後の点滴付けが22時から行われていた時、看護士さんが来てくれている最中でも口だけは開け下の口を一生懸命に動かしていたこと

夜眠る時も口を開けたまま唱題行での呼吸を忘れず、池田先生がされている「胸中唱題」とは少し違うかもしれないこと(移動中でもいつも口だけ動いていたらしい)

辻さんがお一人に指導されていたものでは、「我等が頭は妙なり喉は法なり胸は蓮なり胎は華なり足は経なり此の五尺の身妙法蓮華経の五字なり」のお言葉と辻さんからご指導を受けられたという文面の後、「胎の底(丹田)から題目を唱えなさい」と指導を受けました!とあり、南無妙ー法ー蓮 華ー経ー と唱えます!つまり丹田に力を入れてゲーェと下から押し上げるように、そして唱えると力が更に沸いてくるとのこと ・・ー ー ・↓↑ ー

自分なりに解釈したこと

南無妙ー法ー蓮↓華↑経ー

蓮の時お腹を引っ込め、華の時横隔膜を広げる

(自身、早口で唱題する時は大体横隔膜を広げる意識で題目を唱えている)

先人のご指導というものは、たとえそれがお一人に対するものであっても万人に通じていくものであり、それでこそ人々に功徳が潤い、自分の生命の中に元々持っている福運を引き出せるというもの、自分はそう思うこと

それで、自分なりに私なりに解釈したことでは、まだ御本尊に向かっている状況ではないので、理論だけ書いたこと

自身、スキー教室で子供達を指導する仕事をすることになった時に、指導官の方から胸を横隔膜の下の丹田のところで折るように言われ、蓮ーとお腹を引っ込めた後で華ーと唱える時に横隔膜を広げるようなあばら骨を意識するような息の出し方は間違いでもなかろうと思うこと

世界平和文化祭の歌の練習の折、体をガクンと折りだらんとしたことをして、それがこれに近いと思われること

呼吸をする時にスーという言葉と共に息を吐く練習もしたこと

丹田という言葉については長い間知らなかったこと

<歓喜から感謝へ>

本質的なことは何もわからずとも、ご本尊に向かう時、仕方なく向かうのか、それとも何かを得ようと向かうのかで全然違うこと

最初に得た身の福運への感謝の念が止め処なく起きてきて笑みを止めることが出来なかったという体験、これが今は「感謝し抜ける自分に」と願うようになったこと

それは身の福運の部分、つまり生命にであり、もっと言えば元々持っている生命の福運であったのと、それは御本尊があくまで自分の胸奥にあるものと信じるからであること

また信とは感謝と捕らえていることで、その理由は、[母が息を引き取る前に病室で浮かんだ、「ただ心こそ大切なれ、いかに日蓮いのり申すとも不信ならばぬれたるほくちに火をうちかくるがごとくなるべし、はげみをなして強盛に信力をいだし給うべし、」その続きのお言葉を思います。「すぎし存命不思議とおもはせ給へ」で、「心こそ大切なれ」の言葉が感謝を表し、「すぎし存命不思議とおもはせ給へ」もまた感謝を表すものであることを昨日知ったところです。]
と記述した通りであること

その時に書こうとは思ったものの、まだ書くには至らないと思い、書いていなかったことこそ、「不信ならば」というところの信こそ感謝と捕らえていること

感謝から歓喜へと向かい、そしてまたより深い感謝の念々。これこそが真に自身、目指すところであり、そのことが自身にとっての歓喜を呼び起こすことに即繋がることを知ったからでり、それは「色心共に歓喜」という御講聞書の中の一節を見て更に信じられたことであり、喜びがあれば信は感謝の中に含まれるということ

御本尊に手を合わせる時にまだ小学校くらいの時から自身、親指の付け根を胸に当てて4本の指は前に向けていたこと
化儀秘訣のところだけ読めばいいと思っているのだが、その中の文を見て自身信じられるところあること

以下の文で「胸に当てゝ」と「胸にあつる」の部分が自身思い当たるところで、両肘を当てて親指の付け根を胸に当てている姿勢が自分としては楽であること

合掌の事。

問ふて云はく印契多き中に何ぞ合掌を用ゆるや、答へて云はく真言には印契之れ多し、法華経には多くは之れ無し、万法惣持の妙法蓮華経なる間、合掌は惣印なれば之れを用ゆ、所表は八葉の蓮花なれば胸に当てゝおがむなり、八文の肉団なり、大指二は境智定恵なり、十指は十界なり、三千なり、十合すれば十界互具なり、胸にあつる処は一念なり、色心二法合して題目を唱へ出す処が三業即無作三身、事業一念三千、当躰蓮華仏とは是れなり、十波羅密、十神力、十如等之れを思ふべし然る時は両手は境智なり定恵なり、経には欲聞具足道、合掌以敬心、或以説実相印云云、具足道と云ひ実相印と云ふは事の一念三千十界皆成の当躰なり、真言見聞の御抄等深く之れを見奉るべし之れを略す、必ず仏を拝むに限るべからず我仏身をおがみ給ふに成るなり、深く之れを案ずべし。

南無妙法蓮華経という時、華という時に胸を横隔膜を広げるようにお題目を唱えていらっしゃる方が居て、その方が唱え易いということであり、自身、それを信じられるということ

指を胸につけている時はその感じ方が確かに強く、楽に横隔膜を意識出来ること

呼吸が苦しくともお題目をしっかり唱えていくことが目下の課題でもあるので、その点はどこの誰がどこのどういう偉いさんが何と言おうが関係ないこと

お数珠も右に3房、左に2房。自分ではめやすいので勝手にやっていて、リンを叩く時に右手が2房だと何か嫌なので、足でリンを持つように感じてしまうからであること

<わかる人で>

判子の下に書いてあるお人の名前が御書の中にもあるけど、下のお名前が違うようで、遠藤という人は阿仏房でもないようだし、日興上人と連ねて書かれてある点も気になり、日興上人ってことはなさそうだという問いかけ

国立国会図書館デジタルコレクション(一例ページ)

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1667231

遠隔複写サービス

http://www.ndl.go.jp/jp/service/copy3.html

集古十種 : 印章

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/849543/47?viewMode=

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1881080/24?viewMode=

<根本義で読むこと>

元々家にある大きな指導集の中からこれしかないと思い、心の中に留めていた、「持っている福運には感謝していきなさいそうでなければその福運は消えてしまうからだ」、これは女子部へのご指導であることと、このご指導が大好きな方が多いことも知っていること

自身、「歓喜と感謝」ということに関連する記事にしっかり目を通すようにしていることで、それはしっかり伝わりやすいからであること

本部幹部会で池田先生が銅鑼を叩かれるというので、どのような音律で叩かれるのかしっかりと記憶しておこうと思い、お聞きしてその通りに叩かれた回数までハッキリと記憶している。それもたった一回聞いただけでだということで、しっかり心が伝わってきたように思うこと

昨年11月の人間革命の最後で汲めども尽きぬ喜びと記述があった時から、池田先生の生命変革の戦いは始まったのだと自覚し、日々の勤行・唱題もその為に行っていること
池田先生奥様他の方々の生命の蘇生を願い続けている・・・

<如来秘密>

2017年 4月27日(木)如来秘密について学んだこと

だいぶ過去に大白の上隅の文章の中にこういった趣旨のものが載っていた、池田先生からで、亡くなられた方が御本尊の中から見ているよという内容のもので、自身そのことがずっと頭から離れずに10数年過ごしていたこと

今日になって明確なまた多岐に渡る分析をされているサイトをたまたま見つけて感じ入り、それが学会の方であったこと

そこで再びこの御本尊が如来秘密という言葉と共に蘇ってくるとは思いもよらなかったことで、その理由は、「いかに日蓮いのり申すとも」という部分で、日蓮大聖人のお命が先世限りのものだという考えに立てば、日蓮大聖人はこちらを向いていないことになること

また法華経の知恵に示されている「境智冥合」もないことになる。ここまでは個人的な見方

ここからはその方の考え
「自分自身が妙法の当体であることを信じることが大切で、その祈りと行動で御本尊の力が働き、そこに御本尊と而二不二、境智不二の関係がある」という旨(失礼のないようにかなり短縮して文面を変えて書き直しました)、また御本尊を信じる一念より自分自身に対する一念について書かれている点が特に変わっていたこと
御本尊もお題目を唱えているという個人的な考えがあるようだった

母が亡くなってからは御本尊の中から見られているということばかり考えてきたことを自分なりにわかりやすく解釈すると、自身に対する見方や心は他人様へ対しても同じようになってしまうということ

「境と云うは万法の体を云い智と云うは自体顕照の姿を云うなり」

自分をどう見るかで御本尊への向かい方がまるで違ってくる、「自分を妙法の当体」と信じきれれば御本尊もまた妙法の当体として顕現してくるということではないかという自分の考え

それは「如来秘密」なので、いかに日蓮いのり申すとも不信ならばぬれたるほくちに火をうちかくるがごとくなるべし、はげみをなして強盛に信力をいだし給うべし、すぎし存命不思議とおもはせ給へ、の中の「ほくちに火をうちかくる」さまが凡夫には見えないということになるという解釈

ここまではあくまで理屈であり、自分の心に問うて御本尊に向かっていければと思うこと

ここで池田先生の言葉を紹介

「徹底して南無妙法蓮華経!」「ただ、南無妙法蓮華経!」「御本尊しかない!」「自分は根本として題目を唱えていくのだ!」ということになった場合に、最も楽しくなるのです。すると今度は・・。一切の悩みや、一切の苦悩が全部、解決する!ここだけわかればよいのです!

「幸せだから微笑むのではない。微笑んでいくことが幸せの因になっていくんだ。幸せだから微笑む、幸せの結果として微笑むんじゃないんだ。どんな大変な時も、そこでにっこり笑っていく、その命に福運が増していくんだ」という於保先生紹介の池田先生の言葉

また於保さんは、「同じ事をやっても自分自身が喜びながら、楽しみながら、自分の命を輝かしながらやることは、これは福運になっていくんです。」「折伏すれば開ける」「新聞啓蒙すれば幸せになる」また「財務に何桁に挑戦すれば幸せになる」こういうのを餓鬼道と言うわけです。見返りを求めている。したがって、やっても開けなかったら恨みになってしまいます。菩薩道というのは違うんです。大聖人は「自他共に喜ぶなり」といわれています。」と、言われていること

<常の所行>

道を歩く時、また店頭などで人と接する時、その人の内奥にはその人の生命を揺さぶる程の尊極の生命があることを体験していても、人と接する時には頭から離れていることがあり、こう思ったのに、こうだと思ったから来たのにということもある。だからこそ、唱法華題目抄の中の「行儀は本尊の御前にして必ず坐立行なるべし道場を出でては行住坐臥をえらぶべからず、常の所行は題目を南無妙法蓮華経と唱うべし、」とある通り、自身の中にある尊い命を常に思っていくべきかということ

如何に人を敬える人間になれるか、如何に人を信じていけるかを考えながらひたすらお題目を念じていくばかりであること・・・。

母が亡くなった時に因果倶時を確信し、それは母に対してのものではなかったが、母自身は池田先生からお金をいただくこととなったこと

信心の中にちゃんと因果倶時があり、全く考えてもいなかったことが現出すること

母が亡くなった時に母が呼んだような福運が舞い込んできたこと

それが聖教新聞の記者さんの来訪で、孫に関することであったのだけど、皆が家に集まってお別れの式を執り行う中(これは私が地域で通夜と葬式をするのではなく、自分の家でやりたいと申し出たことによります。)

震災で亡くなられた人もそれに違いないと確信してることで、要は信心修行をして「一心に仏を見る心を一にして仏を見る心を見れば仏なり」とある通り、心を磨いていけばいいことだと訴えていること
 

何部分なんでしょうか

 投稿者:太ちゃん@平らかなるは人編  投稿日:2017年 4月30日(日)23時00分3秒
  聖教新聞の代金で600万円分って聖教新聞の何部分なんでしょうね

一部増やすだけでもどれだけの労力でしょうか
それを思えば600万円の使い込みなんてできませんね
それがわからないのに価値ある新聞が創れるわけもない

真面目にやっていれば、一般紙は潰れる危険を横目に聖教新聞だけは逆に大もうけになっていたことでしょうにね
それを『功徳』というでしょうね

功徳どころかもはや維持すら難しくなってるってのは、大聖人様よりハッキリ「間違ってる」と言われてるようなものです

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

同盟題目は23時より開始します。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 4月30日(日)22時56分38秒
  よろしくお願い致します。  

外郭の改革

 投稿者:坂上忍魂  投稿日:2017年 4月30日(日)22時53分10秒
  学会本部関連法人部御中

外郭職員で悩み苦しんでいる方々が多く見受けられます。
外郭役員を定期的に信心指導すべきではないでしょうか?
外郭の顧問が月一で会社に訪れ指導だけしていても、血が汚れた悪い職員は心を改めません。
外郭の社長以下役員を指導して頂き、身辺調査もしっかりやるべきではないでしょうか?
会社の経費で不適切な使い方をしてないか、部下職員へのハラスメントはないか、活動状況はどうか、など。

外郭役員の心の乱れ、信仰の乱れは会社職員全体に広がります。
社風、業界的な理由など関係ありません。
そもそも、採算割れ赤字会社がほとんどで浄財から成り立っているわけですからしっかりとした点検をお願い致します。

また、全外郭職員が過去の全体会議の映像を定期的に見るようにしてはどうでしょうか。
全体会議での先生の指導は、本幹での会員皆様への指導とは明らかに違い、恐ろしいほどの厳しさがあると聞き及んでいます。

職員の給与については、この掲示板でも皆様より厳しいご指摘もあります。
そもそも、職員の給与が公務員並になった理由の一つに、夫人が共働きせずに職員の夫人として、婦人部で懸命に戦えるようにするためと聞き及んでいます。
ですから、本部職員・外郭職員の夫人は原則、職務に就くことは禁止。例外として、職務に就く場合は、夫である職員の給与を低減させ、夫婦で年収の制限を設けるなどしてください。
世の中は年収300万以下の時代であり、共働きでようやく生活を維持するケースも多くあります。
その会員より財務を受けるわけですし、現代の僧侶として、小欲知足を心掛け、禁止のはずの海外旅行へ行ったり、必要以上に豪華な家を建てたり、頻繁に銀座へ行ったり、使いこなせないであろうiPhone8を買おうとしないで頂きたい。※スマホが壊れたらゴムバンドを巻きなさい。

未来ある青年が職員になり失望しないように、学会本部だけでなく、特に外郭職員の青年のことを宜しくお願い致します。
 

さあ、今日も秋谷は5口、職員は2口、谷川は374919ww

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2017年 4月30日(日)21時30分49秒
  ピロシ、タンジは5千万ww

タンジ一派は600万の使い込み認定ね~ww

おーい
♪♪中村く~んw  使い込みしたんだろ~ww
 

悪侶とはww 貴族気取りで学会員をいじめる職員ね~ww

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2017年 4月30日(日)21時28分6秒
  昔は坊主。  投稿者:ダメよダメダメ~
投稿日:2017年 4月30日(日)19時19分27秒
今は貴族気取りの◯◯。
 

削除

 投稿者:反板の反板  投稿日:2017年 4月30日(日)20時51分16秒
  う~んさんは、管理人さんに続けて2回削除されましたね。

反板は先生も侮辱するようになったのでしょうか?
 

バカは無視しましょう(笑)

 投稿者:ダメよ~ ダメダメ  投稿日:2017年 4月30日(日)20時45分17秒
  ??????  

「信念とはなんぞや」(1)

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年 4月30日(日)20時10分3秒
編集済
  戸田城聖全集第3巻より・・

竹内景助氏は、三鷹事件の首謀者として、共産党の花形として世間をにぎわした。

氏が第二審のおいて死刑宣告を受けるや、一瞬、蒼白な顔となり、首うなだれたと新聞紙は報道している。

同志九名は無実で、自分一人が死刑の宣告を受けた。

彼の心中は悲しむべきものがあるのであろうが、しかし、主義に殉じ、かつ自己の行動に大確信があるなら、

そんなに驚くに当たらないはずである。悲しむべきではなかろう。むしろ、喜ぶべきではないか。

肉体が一個の「物」であるという、彼らの考え方からすれば、なおさらではないか。

しかるに、彼には、行動に絶対の確信がなかったのである。

その理由は、新聞紙上(毎日新聞三月十三日付)伝うる彼の手記の一部を述べると、

「刑務所で弁護団と合同面会をやっても党員は九人だけでコソコソ打ち合わせて私はいつも仲間外れにされた。

共産党員とはああ言うものです。何人よりも党に理解を持ち協力してきたのに今一片の同志愛も示さないならもう

何をか言わんやです。 一昨年七月当時は私の全収入がたった八千二百円。

これで一家七人が衣食住を充たすので私の所帯は難行苦行の歴史でした。

このような人間苦の中に”首切り”を何としても撤回しようと計ったのは止むを得ないことでした。

五人の子供を抱えて苦しい妻は私の検挙された後共産党に入り盲目的な浮っ調子になっていた。

昨年の春まで府中刑務所で面会の度毎に妻をたしなめましたが、その当時は全く焼け石に水、

判決後おだて半分の手紙もこず党員も寄り付かなくなって目が覚め私のところへ泣き言を言ってよこす始末、

困ったものです」
 

「法華経の智慧」に学ぶ(24)

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年 4月30日(日)19時50分10秒
  日蓮大聖人の本地・神力品の付嘱の儀式とは

遠藤:   はい。地涌の菩薩は、釈尊が「久遠以来、教化してきた」弟子となっています。

      この「弟子」に「師匠」が、法華経の末法広宣流布を託すという儀式をとっ ています。

斉藤:   問題は、ここですね。この文上にとらわれると、日蓮大聖人が、「上行菩薩の再誕」として、

      釈尊の「法華経二十八品」を弘めた - という解釈に陥ってしまい ます。

須田:   ほとんどの解釈が、そうです。

斉藤:   しかし、日蓮大聖人はこう仰せです。

     「此の妙法蓮華経は釈尊の妙法には非ざるなり既に此の品の時上行菩薩に付属し給う故なり」(御書p770)

     「”釈尊の妙法”を弘めるのではない」と明確に言われています。

遠藤:   ただ、これも、“釈尊の妙法”を上行菩薩が譲り受けたのであって、父子の家督相続のように、

     「もう父の代は終わって、自分の代になったんだから(家督を譲 られたんだから)、

      すべて自分のものであって、父のものではない」と、こういう 解釈をする人もいます。

斉藤:   どう説明すれば、わかりやすいのか - 。

名誉会長:「家督相続」の譬えは、一面の真実を突いている。それは、末法は「上 行菩薩の時代」であって、

     「釈尊の時代」ではないということです。「後は頼む」 と、すべて神力品で譲ったからです。

      経文を見てみよう。

須田:   はい。こうあります。

     「要を以って之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、

      如来の一切の甚深の事、皆此の経に於いて宣示顕説す」(法華経p581) 有名な結要付嘱の文です。

斉藤:   要するに、「如来のすべて」が法華経には説き示されている。それを上行菩薩に付嘱すると。(略)
 

いま、ふたたび(10)

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年 4月30日(日)19時43分56秒
  家庭

女性について

「女房のいうことは、よく聞け。しかし、それを実行してはいけない。」

「男の生き方と、女の行き方とは違う。女はやはり自分だけのことしか考えない。」
「四十歳代の女性の世の中の見方が小さい。
それ以上になると、世の中が見えてくるから、亭主の横暴がきかなくなってくる。」

栄養

「栄養をとらないと、頭が悪くなる。金がなくて栄養のとれない者は、八百屋か市場へ行って、菜っ葉か、
ネギのしっぽをひろってこい。よく洗って煮て食うのだ。買ったのだって、ひろったのだって、栄養は変りがない。
豆腐と味噌汁はよい。モツを入れて煮ろ。買うのが恥ずかしかったら、犬に食わせるんだといって買え。」

大衆と便所

「人が集まるときには、便所のことを、よく考えておかなければならない。
とにかく、食べること、出すことは、真先に考えろ。」


生命の問題について—人殺しはならぬ

「人間は法器である。人間のみが、仏道修行をすることができる。だから、人間を殺してはいけない。
正報が成仏すれば、依報も成仏するのである。動物は依報である。だから、動物を殺してもかまわない。
無量義経十功徳を参照せよ。」

「戦争で篭城して、死がいをかついできて食っている。
無量義経では、そういうことを好まなくなる慈悲の心が出てくるという。」


先生と後生

「先生というのは、先に生まれたから、そういうのだ。後生おそるべし、というのがあるだろう。
君たちは、後生だから、先生より偉くなれ。」


国土の開発

「日本海と太平洋とは、海面の高さが違う。
そこで、切り開いて運河を掘り、琵琶湖を利用して発電所を作れば、すごい発電所ができる。」


順位について

「十人中四番だった人が、百人でも四番ならばよいのだ。百人になったら四十番になったのでは、ダメだよ。
十人でも四番、百人でも四番、千人でも四番、そういう人が人物だ。」


二十代が基礎

「大事業は、二十代、三十代でやらねば、四十代ではダメだ。高杉も生きていれば元老だ。
伊藤は、ケツにいたが、認められていた。イギリスへ行くぐらいだから、二十代ではこれからだ。」


信心と恋愛について

「急がずに落ちつき、獅子王のような男子の貫禄をつくれ。女性を見る眼も、信心によって陶冶される。
こっちから女の子を追いかけるなどは、男子の恥だ。学会青年部員たる資格がない。こっちがりっぱになれば、
女の子が十人も二十人もついてくる。その中から、一番よいのを選べばよい。あわてるな、あわてると損をする。」


戸田前会長の若いときの勉強

十五歳のとき、今の中学二年、昔の高等科二年を卒業。在学中はニシンとりなどもやった。
学校では図画と書方が丙で、あとは全部甲だった。

卒業後、小僧奉公した。勉強したいと思って、二宮尊徳のように、仕事しながら勉強した。
朝は六時から七時まで勉強した。昼は働かれ、夜も七時から十時まで働いた。
そした、十時から十一時まで、また勉強した。


二十一歳のとき、一切の職務をなげうって東京に出た。

堀さん(牧口先生と同窓生でお目にかかっただけで、話されたことはないという)の紹介状をもらって、
牧口先生を訪問した。その時、教授法ではもっとも偉大で一番できると大見栄をきった。

すると、牧口先生は、君はうまくいくとすばらしい人物になるが、悪くするとその反対だ、といわれた。

三ヶ月間、短期大学に席をおいた。

牧口先生と同じ学校に勤めたが、牧口先生が学校を追われた時、行動をともにした。
牧口先生宅(目白)にかけつけた時は、牧口先生も相当の感謝をもっておられた。・・・


「恩師如是我們集」より・・



 

昔は坊主。

 投稿者:ダメよダメダメ~  投稿日:2017年 4月30日(日)19時19分27秒
  今は貴族気取りの◯◯。  

7.2東京決戦

 投稿者:ドミサイル信濃町の入居者  投稿日:2017年 4月30日(日)18時01分32秒
  東京決戦に向けて皆阿修羅の如くに戦っています。南無公明党佛。南無公明党佛。南無公明党佛。北朝鮮撲滅戦争即時開戦を祈ろう、と地区部長が訴えています。北朝鮮撲滅唱題会丑寅題目の戦い。南無公明党佛。南無公明党佛。南無公明党佛。私は自分が何をしているのか、分からなくなりました。  

学会職員心得

 投稿者:南虎(正義の師子同盟)  投稿日:2017年 4月30日(日)17時57分43秒
  永遠の指針

一、会員奉仕第一の本部
一、戦う本部
一、迅速な本部
一、団結の本部
一、責任ある指導主義の本部


職員五綱

一、敵を忘れるな
一、外交で勝て
一、一人一人が全権大使であれ
一、生命力を常に備えよ
一、連携を緻密にせよ


職員憲章

一、職員は第一に学会員のために奉仕する精神を忘れるな
ニ、広宣流布の創価城を厳護する使命を忘れるな
三、師弟の道を忘れず、団結第一たれ
四、各人を尊敬し、信頼して、理想的な和合僧の世界の頂点たれ
五、死身弘法の御聖訓を忘れず、一切の法戦の原動力になる職場たれ




 

デジャヴ

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 4月30日(日)17時50分52秒
  皆さん、おっしゃる通りです。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/68125
http://6027.teacup.com/situation/bbs/68126
http://6027.teacup.com/situation/bbs/68135
http://6027.teacup.com/situation/bbs/68137
http://6027.teacup.com/situation/bbs/68138
http://6027.teacup.com/situation/bbs/68139
ミネルヴァの梟さん、鋭い!!!「日本の刑法の基本は、疑わしきは罰せず」「共謀罪成立以降は、疑わしきはしょっ引け、に変わる」

信濃町のネット対策チームの対策さん、いつもながら上手く対比されます!!!「偽会長の秋谷元会長は池田先生の御指導と反対の行動をしていたのです」「偽会長の原田会長も池田先生の御指導と反対の行動をしています」

トインビー対談を古いと言う患部に腹が立つと言われる方がいらっしゃいますが、私はどちらかというと呆れてしまいます。
私は40年前に既に今を見越していた池田先生の「先見性」に驚いたものです。
それにここで「自衛権の行使ということの“本質”」と言われていることの重大さが分かっていない。古い? その患部は本当に仏法者か?
「本質」とは時代が変わっても永久に変わらないもので、こういうものを「中諦=中道」と言います。公明党はその「中道」じゃなかったのか?
「中道」とは「道理に中る(あたる)」という意味で、絶対的なものです。よく勘違いされている「中間」ではありません。「中間」は相対的なもので、全体が右寄りになれば結局、自身も右傾化するのです。やっぱり公明党は「中道」じゃなく「中間」だったのでしょう。だから、あっちにフラリこっちにフラリするのでしょう。
だから、また悪いことを繰り返している。この連鎖を今、断ち切らねば三世に後悔する。

↓このMTV冒頭のスピーチは黒船国の怒鳴花札大統領。こんなことを世界中が繰り返すのはなぜ? 「体」が曲がって「影」が斜めになっているのでは?
https://www.youtube.com/watch?v=C7rDpeyDR_Q

“またあなたは私の心の傷口をあけたわね”
“繰り返される過去 ただのデジャブだよ フィナーレまでたどりつくことはないのさ”
“過去のホコリは避けたほうがいいよね あの写真のようにまた狂気に陥りたくない ぜんぶ偽善だったのよ”
“誰が愛について語れる? 身を守ることができる? 手をあげてちょうだい”
“誰が心の痛みについて語れるの? 私の心から苦しみをとりさる保証をしてくれるの?”
“自分の精神をもてあそぶようにまたその考えが戻ってきたんだ 俺のもとに帰ってきてまた俺をだますために”
“繰り返される過去 ただのデジャブなのよ 結末には決してたどりつけない”
『デジャヴ』プリンス・ロイス&シャキーラ
https://www.youtube.com/watch?v=XEvKn-QgAY0
(新しい曲もどうぞ。将来アメリカではスペイン語が英語よりも主流になるとも)
 

反板の反板 様へ

 投稿者:mission  投稿日:2017年 4月30日(日)17時48分30秒
  貴重な資料ありがとうございます。

秋谷会長 談話(聖教56・12・9)
会長の椅子に座ってから5ヶ月しか経ってないんですね。
会員から“お金”を引き出す事しか考えて無い25年…ほんと最低な指導者。

随分前から会館建設が凄いですが、どこも携わる人材がいないので大変です。
創価班・牙城会・白蓮グループ・王城会・香城会・守る会…他にもありますょね?
各会館で名称は違いますが、婦人部がする(司会*受付*駐車誘導etc)の会など。

「現金資産は10兆円を軽く超える」と言われている創価学会。
なのに地方都市の田舎では皆、時間も労力も費やし疲弊しています。
「会館運営維持のための伝統として広布基金」
“会館運営維持”と謳うなら、駐車誘導や会館掃除等は業者に任せなければ潰れます。

こちらでは、最終日になる日曜夜の本幹同中やってません。
会館側は「木曜の夜にしているから」と意味不明な良い訳をしてますが、人材不足だと思います。
(金*土*日*月の日程では日曜してますが)
日曜夜が無しでは、仕事している者は行けません…本末転倒です。

会館使用料としては毎年の財務で十分だと思うので、私は今まで欠かさずしてきた「広布基金」でしたが、今年の1月から止めました。
 

今、学会が進む方向を知るために

 投稿者:ただのおじさん  投稿日:2017年 4月30日(日)17時35分2秒
  一つの詩を引用します。私の意見は述べません。



勇敢に開け!人間革命の世紀
山 本 伸 一

人間は
平和に暮らす
権利がある!

善良な平和の人々を
戦火に巻き込み
地獄の苦しみを与える
国々の指導者は
極悪である。
永遠に許せぬ犯罪者だ。

一人の人間が
強くなることだ!
断じて権力を抑え
勝ってゆくことだ!
それが
我々の権利である。

素晴らしき人生を
生き抜くために
私たちは
戦い そして叫べ!

強大の力が
国家の力と
錯覚してはならない。
人間の魂の力が
人間の精神の力が
何よりも偉大である。
最極に強い
平和の心を作るべきだ。
これが
人類の教義であり.
待望であり結論だ。

漫然と
支配者に左右されることは
物理的強制に
従順になっている証拠だ。

平和主義者は
常に精神的力を
常に精神的鼓舞を
互いに奮い起こしながら
過去に見た
人間の罪業の
戦火の悪夢を
最も重要な事件として
考えていかねばならない。

混沌として
右往左往することなく
未来に向かって
最極の力を発揮しながら
価値ある平和の統合の
足跡を残すべきだ。
正確に残すべきだ。
強き連帯の力をもって
作り上げるベきだ。

人類も時代も
耐え忍びながら
その平和の共存の
一点を見つめ抜き
耐え抜いてきたのだ。

決して
無関心であってはならない。
無関心は
曖昧なエゴイズムとなって
やがて
国家主義の
奴隷となるであろう。

「戦争の組織には
平和の組織を
対置しなければならない」とは
著名なオーストリアの作家
ツヴァイクの不朽の言葉だ。

我々は
この洞察の通り
平和の組織を
断固として
築き上げている。

先駆者には
様々な中傷非難もあるが
偉大なる哲学者
そして先覚者は
不滅の天才としての
言葉を残すものだ。

マハトマ・ガンジーいわく
「吾々の力戦は、
全世界との親交を
その目的としてゐる。
非暴力は、
人間の道として
生じたものであって
その必要や絶えぬ。
そは世界平和の先駆である」

人類には
完全無欠な理想の国は
あり得ない。

三世永遠に
超克を繰り返してゆく
平和へ運命づけられた
理想の現実の実現を
いつ達成できるのか。

世界中の為政者が
世界中の歴史家が
ありとあらゆる
狡猾な外交的戦術を
打ち破りながら
真剣に
すベての限界を乗り越えて
世界国家の統一の方向に
決定的な
最後の総仕上げへの
軌道修正をすべきだ。

誰人も
生きる権利があり
誰人も
人を殺す権利はない。

それぞれの人の
尊厳なる魂の奥底に
燃え上がる
幸福と平和の憧憬を
絶対に見逃してはならない。

人間は
どこまで無知なのか。
人間は
どこまで知的であり
精神的であるのか。

敵とは
いったい何なのか。
戦争とは
何のためにするのか。

営々として
永遠に求め抜いた
平和への世界市民の理念が
もはや
成熟しているではないか。
世界市民の
平和と安定のための
国連ではなかったのか。

あの力強く
明確に宣言した
国連憲章を
世界的な規模で
思想と理念の宝とも言うべき
平和への伝統とすべきだ。

そのための行政的組織に
華やかさと安心を
添えながら
平和の戦士の精神を
大地の根 深く
力ある使命として
実現してもらいたい。

政治家よ
何のための政治なのか。
為政者よ
何のための権力なのか。

愚昧な宣伝は
やめてもらいたい。
危険な宣伝もまた
やめてもらいたい。
外科的に装った
空しい試作も
やめてもらいたい。

そこには
平和への使命と
軌道を忘れた
個々の気まぐれと
それぞれの利益優先の
空虚な生涯が
待っているからだ。

オランダの人文主義者
エラスムスは訴えた。
「この世界は
すべての人間に共通の
祖国ではありませんか」

待ちに待った
新しき世紀は
世界の突端の
果ての果てまで
人間は
麗しい花と共に
平和を望んでいる。
意気揚々とした
衆生所遊楽の人生を
願っている。
権力を握ろうとする
有頂天な
卑劣な頭脳など
持たない。

高く聳えゆく
平和への理想をば
迅速な速度で求めながら
新しい
夢に見てきた
永遠の平和の天地を
待っている。

胸を裂く
あの砲弾の叫びなどは
真っ平だ。
毎日 襲い来たる
暗黒の嵐は
真っ平だ。

常に
悲痛な叫びを
持ちゆく生活には
絶対 反撃したい。

狂乱の
慈愛なき指導者たちの
稲妻のごとき嵐の中に
逆立つ髪の毛が恐ろしい
戦争も
紛争も
動乱も
真っ平だ。

為政者よ
聞いてくれ!
為政者よ
国民のためにあることを
誇りとしてくれ!

これまで
激しい苦しみの時代を
どれほど
喘ぎ苦しんできたかを
為政者よ
忘れないでくれ給え!

恐怖に青ざめた
あの戦慄のなか
逃げ惑った
子どもたちを
人間たちを
断じて忘れてはならない。

無数の人が
戦争の地獄の路上で倒れた。
血を吐きながら
血を流しながら
暗がりに降る雨のなかで
悶え喘ぎながら
この世を去った。
あの快活の人が!
あの希望に燃えていた
少年たちが!

月の光の彼方で
共に愛し合った
若き青春の友たちも
淋しく苦しく別れ
喪心の命に変わった。

落ちゆく春雨の調べが
楽しく
爽やかにあるべき二人の
その空虚な姿をば
切なく
あまりにも侘びしく
包んでいた。

彼方には
夕映えの
あの美しき雲もない。
沈みゆく
金色の太陽の光もない。

二人の屍は
いな精霊は
何処に
行ったのであろうか。
私たちに
教えてもらいたい。

為政者よ。
ありとあらゆる入々を
祝婚の歌で
飾ってもらいたい。
凱旋の曲で
励ましてもらいたい。

一人でも
貧しき不幸な人がいれば
その人を
どう幸福にするか
真剣に考え
奔走するのが
真の政治家だと
著名な文豪ユゴーは叫んだ。
まことに正しい。

議員とは
召し使いなりという
崇高な信念を持った
ユゴーの叫びに
涙が浮かぶ。

言葉のわからない人と人
語らいのできない人と人
しかし
その心の源に
生命を愛する
深さがあれば
不幸極まる紛争は
終局の方向に
進んでいくはずだ。

力尽き
命尽きても
戦争は断じて阻止する
訴えがなければ
正義とはいえない。
満たされた人間の
慈愛とはいえない。

そしてまた
我々も
いつの日か死んでゆく。
彼らもまた
いつの日か死んでゆく。
この死ぬという事実は
普遍である。

ゆえに
最も長遠な
慈愛の魂を持ち
幸福の氾濫する
平和な世界を築くべきだ。

自らを傷つけ
人々を殺害して
何の人生か!
それは
臆病そのものの
魂の証拠だ。

貧しくとも
平和の宮殿のような
団欒の家々で
一人も淋しさを知らぬ
芳しき香りの
人間と人間
親子 兄弟 姉妹。
平和な南風に吹かれ
朗らかな
そよ風に吹かれながら!

心の中には
曇りもなく
雨もなく
あまりにも
ありがたき
輝きわたる太陽が昇り
君たち
私たちを
守ってくれる。

君よ
愚かな夢をみながら
時代から遅延しゆく
人生を送るな。

君よ
多くの仮面の
一つに過ぎない
虚飾の夢に
憧れゆく愚者には
ならないでくれ給え。

さあ 友よ
人生勝利の演奏を
悠然と微笑みながら
バイオリンの弓をば
弾いていこうではないか!

気取りの人生の
英雄ではなく
素晴らしき
真実の人生の
英雄であってくれ給え。

時代がどうあれ
人々がどうあれ
友よ
君の信念の尊き行路は
いかなる風雨の間にも
パッと明るく
輝きながら
人生の目標を
追求し抜いて
いってくれ給え。

君よ
立ち上がれ!
最高の人生として
立ち上がれ!
悲しき
震えながらの人生と
さっぱり縁を切るのだ。

そして
あの暗闇の中に見える
這うように動いている
暗い顔の
人間だけにはなるな。

君よ
人生の己の目的のために
平和への戦闘のために
正確なる
唯一最高の道を歩め。
決して
心の黒い者に挟まれて
自身の後悔を作るな。
痛みを知らぬ
哀れな人影のような
甘い幻影の人生を生きるな。

今日も
そしてこの一年も
最適な自分自身の
春と飾りゆけ!

いかなる
ため息をつくとも
天の声を
朗らかに聞きながら
賢明に我を見つめて
厳しく戦え!
そして勝つのだ。

永遠の自身のために
最初から
最後まで
戦い勝つのだ。
人間革命の世紀を
断固と
勇敢に開きながら!


二〇〇一年十月二十四日
「国連デー」を記念して
   世界桂冠詩人
   二〇〇一・一〇・二七聖教新聞
 

何のため?

 投稿者:魂の炎  投稿日:2017年 4月30日(日)17時08分30秒
  地方ですと、東京に知り合いが居なくても、とにかく東京へ行きなさい!という打ち出しが出ています。

まぁ、お金があれば新幹線や飛行機で行くこともできますが、あまり余裕がないと、結局車で行くことになりますよね。
高齢者の長距離運転は危険だと思いますが・・・。

何のための信心なのかな?
創価貴族の幹部の人たち、キツい打ち出しを出しますな。
 

Twitterです。

 投稿者:ダメよダメダメ~  投稿日:2017年 4月30日(日)16時45分36秒
  これも一理あります。

以下、Twitterより。

東京に住んでない、税金も払っていない人達が東京都議選に全国から支援依頼に来る。創価学会員の人達。
友好対話、交流と称して。GWに来られてもはた迷惑でしかないし、なんで都民じゃない人達から都議選の依頼を受けないといけないのか?当たり前のことが当たり前に考えられなくなるのが宗教の怖さ
 

人生の座標から~

 投稿者:うーこメール  投稿日:2017年 4月30日(日)16時41分40秒
  桜梅桃李、桜は桜らしく、梅は梅らしく、桃は桃らしく、李は李らしくという言葉がある。それぞれの個性や違いを認め合い、よいところを見つけ、ほめたたえていける、そういう広い心があれば、その人のもとには、人が集まる。自分も喜びを感じられるし、喜びを与えることもできる。反対に、小さいことで人を責めたり、いちいち騒ぎたてたりする、心の狭い人は、皆を疲れさせるし、避けられてしまうものだ。  

広布基金

 投稿者:反板の反板  投稿日:2017年 4月30日(日)16時38分18秒
  会館においての広布基金の始まりは、
昭和57年元旦勤行会からなんですね。
財務以外に広布基金。
職員は「財務」はしても、年数回の会館における「広布基金」はどうなのでしょうね。

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秋谷会長 談話(聖教56・12・9)

「昭和57年の新年動行会決まる」

「今回の新年動行会では、会館運営維持のための伝統として広布基金を募らせていただくことになっています。

  各地の会館の維持の基本にもなっている広布基金は、広布の牙城は、できるだけ私達の真心と力で維持し、充実させていこう、との趣旨で行なわれているものです。

  全国の会員同志におかれましては、一年の出発にさいし、ぜひとも多くの方々の真心からの協力を、よろしくお願い申し上げます」
 

悪の所業と その終極

 投稿者:mission  投稿日:2017年 4月30日(日)15時51分10秒
編集済
  池田先生が指揮を執って下さってた時代は、聞いた事も見た事もなかった有りとあらゆる「処分」が横行し、それに伴い「処分」後に人権を傷つける様な酷いデマが流れる。
どちらも創価学会の中で、堂々と繰り広げられているのだ。
仏子の集まりだと思っていた中で、今も平然と行われてる。

日本国憲法 第13条には《個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重》と謳っているが、今の創価の中では真逆な事が まかり通ってるのが現状です。
・個人として尊重されない*尊厳が無視されうる社会とは?
一人の独裁者が現れれば、個々人の個性は無視され、個々はその独裁者に従属しなければならないような社会。

創価貴族が構成している《SOKAnet》には、創価学会の目的が載っている。
『その目的は、仏法の実践を通して一人一人が真の幸福境涯を確立する…』
「選挙の戦いを通して」と書いてありません。
創価貴族が行う「処分」に↑この文言が当てはまりますか?
本来は、会員一人ひとりを独立した存在と捉え、その個人を尊重し価値を最大限に評価すべきなんです。

「処分」される様な事…いったい どんな重罪を侵したと言うのか?
大聖人や三代の会長の事を誹謗中傷した事も無いのにだ。
『今の創価公明は、日蓮大聖人や三代の会長、池田先生の御指導と違う』と声を上げただけじゃないか!
『だから今の選挙の戦い、公明党を応援できない』と言っただけじゃないか!
公明党の政策を批判すると、創価貴族から「査問」され「役職剥奪」「活動停止」…挙げ句の果てに「組織で村八分」
皆さんは、公明党を支援する為に入会したのですか?
公明支援を躊躇すると「処分」されると思っていましたか?

様々な「処分」が横行するならば、何度も変更してる会則に文言↓を記述すべきだ。
【公明党を支援が出来ない者は入会できません】
【原田会長を尊敬できない者は入会できません】
(↑田舎のジジイ様が本部に、不信感*違和感を電話をした時に「原田会長を尊敬できない人とは、根本的にベースが違うから話すことはない」と言い放たれた内容です)
会員の一人ひとりが知り得る様に、又どう判断するかを堂々と記述してみれば良い。

5口5万や2号3号達の指示で、アイヒマンの如く服従する貴族や総県長達は、自身が手を染めている悪行を解っているのか?
様々な「処分」を執行された会員達には、一人ひとり『信心の歴史』があるのです。
「処分」を下した一人だけでは無い。信心の歴史を辿れば、何人もの人達が居た事を考えた事はないのか?
この日蓮大聖人の仏法に巡り会うまで、どれだけの人達が関わった事を知らないと言うのか?

私の場合でも、父の歳の離れた伯父がカブにまたがり、片道100㎞弱の道のりを仏法対話に何度も通ってくれたから、今がある。
そこから私達家族の境涯革命が始まり、幾人かの人達を日蓮大聖人の仏法に導いた。今は、3世の私の子供に続いている。
そして何度も仏法対話に通ってくれた伯父にも、同じ様に日蓮大聖人の仏法へ導いた方が…そのまた先も含めると70年は優に過ぎるでしょう。
その何人もの人達の公布に生きた崇高な人生を、いとも簡単に切断した事になるのです!

学会組織から戴いた御本尊様に朝に夕に祈り、折伏*財務*啓蒙*公明支援*会館奉仕…
真面目に信仰してきた真面目な会員を、同じ創価の会員である何の関わりの無い幹部達から、いとも簡単に処分を下される。
恐ろしい所業に手を染めた者達は、大事な家族にも同じ様に冷酷な「処分」を下せますか?

会員である私達の事を、財務や啓蒙…そして選挙の収集マシンの様に動かしてきた創価貴族。
それ(財務*啓蒙*選挙)に掛かる お金や気力を奪いながら、自分達は長い年月で私腹を肥やしてきたのです。
そして池田先生の御指導を巧みに使い回しながら、打ち出しの連続で会員の思考をもコントロールしていく悪の所業を繰り返す。

指示に服従した者が、今どうなろうとしてるのか知ってますか?
きっと終極の果ての姿は、ご存知ないのでしょうね…だから平気で悪行に手を貸している。
宗門を見ても然りです。第六点の魔王である独裁者から現証は出ません。
悪の手先になって動いた者達から、真っ先に現証が出るのです。

決して脅しではありません。私の知る組織や知人達の組織からも聞いています。
終極の果ての姿…本当に酷い人は普通に終わる事ができません。
幹部達に現証が出なくても、一番大切にしている家族に出て気付かせます。
家庭*職場*近隣不和・家庭内暴力・子供*孫への虐め…
それでも創価貴族や幹部達は、アイヒマンの如く独裁者に服従しますか?

創価貴族が構成している《SOKAnet》には
【善人でも大善に反対すれば直ちに大悪に陥り、悪人でも大悪に反対すれば忽に大善になる】(牧口常三郎全集)と載っています。
《池田先生》は(1988. 3.24第1回和歌山県記念総会)・指導者の責任の重さについて
【無責任で無慈悲な権力者、傲慢な指導者の罪は、はなはだ重い。生命の厳しき因果律に照らして、必ず悪道に堕ち、ほかならぬ自分自身が大変な苦しみを受ける】と御断言されています。
また(1998.6.16第23回本部幹部会)
【菩薩であり仏であられる皆さまを、我々をいじめれば、法罰・仏罰を受けるのは間違いない】と指導されています。

5口5万の秋谷メモで
1. 職員の使命は戦場で戦う一兵卒ではない。名誉会長をお守りする将軍であり貴族である。
そんな「将軍」である皆さんは、お守りする【池田先生の御指導】を どう受け止めますか?
【池田先生の御指導】より、秋谷さんや原田さんの命令は絶対なのですか?
 

疑わしきは、しょっ引け!

 投稿者:ミネルヴァの梟  投稿日:2017年 4月30日(日)12時34分28秒
  日本の報道の自由度は、世界で72位。

発展途上の軍事独裁国家並み。

2010年、民主党政権下では、世界で11位だったのに!

自公政権が、どれだけ馬鹿な事をやっているのか、国民は、特に創価学会員は、もっと認識するべきだ!

この上共謀罪が成立すれば、来年は確実にもっと下がる。

学生時代、日本の刑法の基本は、疑わしきは罰せず、と学んだが

共謀罪成立以降は、疑わしきはしょっ引け、に変わると、あるジャーナリストが言っていた。

まさにその通り。言い得て妙とはこういう事だ。
 

師匠の指導に反する弟子の出現も仏法の方程式

 投稿者:信濃町のネット対策チームの対策  投稿日:2017年 4月30日(日)12時25分32秒
編集済
  信濃町のネット対策チームの対策です。

秋谷元会長が池田先生に対して面従腹背であったことは、この掲示板であきらかになってきました。
また、池田先生ご自身の御発言からも確認できます。

偽会長の秋谷元会長は池田先生の御指導と反対の行動をしていたのです。
また偽会長の原田会長も池田先生の御指導と反対の行動をしています。


池田先生は職員に対して「厳しく」
秋谷元会長は職員に対して「甘く」

池田先生は職員の給料を「安く」
秋谷元会長は職員の給料を「高く

池田先生は職員に対して「率先の戦いを」
秋谷元会長のは職員に対して「本陣・後方の戦いを」

池田先生は公明党議員に対して「厳しく」
原田会長は公明党議員に対して「緩く」

池田先生は桜を「植える」
原田会長は桜を「切る」

池田先生は「絶対平和主義」
原田会長は「ご都合平和主義」

池田先生は「一人も漏れなく幸福に」
原田会長は「1割り退転も問題なし」

偽会長の秋谷と原田の行動を確認すれば当に池田先生の御指導に反しています。

過去にもそのような事例がありましたので皆様へご紹介します。

日蓮正宗の65番目の法主でありました「日淳上人」と66番目に法主になった「日達」の関係です。

「日淳上人」は次の法主になる「日達」に対して以下のように遺言しました。

戸田先生のおかげで、創価学会のおかげで、大法は清浄に、今日までまいりました。本宗は、戸田先生、創価学会の大恩を永久に忘れてはなりません。こう細井(日達)に言っておきました。

引用以上

ですが、その後の日達は大恩ある創価学会の池田先生を迫害したのです。
結果、腹が割れて死にました。

自分の師匠である日淳上人から「大恩を忘れるな」と言われたのに忘れてしまったのです。

日淳上人は「学会への大恩を忘れるな」
日達は「学会への大恩を忘れて迫害」

 

池田先生の御指導に反して安全保障関連法案を推進した公明党と創価学会

 投稿者:信濃町のネット対策チームの対策  投稿日:2017年 4月30日(日)11時59分48秒
編集済
  信濃町のネット対策チームの対策です。

公明党議員と創価学会職員幹部は安全保障関連法案の閣議決定の時や国会採決の時に、納得できない会員さんに次のような説明をしました。

この法案が通ることによって「抑止力が高まり」日本の安全が守られる。

それに対して池田先生の下記の御指導を守り主張し安全保障関連法案に反対した会員さんは「役職解任」や「学会活動停止」の処分を受けました。

以下池田先生の大切な御指導です。

池田大作全集3巻【対談】
二十一世紀への対話 P.369

「自衛権と憲法9条に関して」

名誉会長
自衛権は、対外的には、いうまでもなく、他国の急迫不正の侵略に対して、国家の自存を守る権利です。

それは、対内的には、そして根本的には、国民の生きる権利を守るという考え方に根ざしています。

すなわち、個人の生命自体を守るという、自然法的な絶対権の社会的なあらわれが国の自衛権というものであると思います。

であるならば、その自衛権をもって他国の民衆の生命を侵すことができないのは、自明の理です。
ここに自衛権の行使ということの本質があります。

問題は、あらゆる国が他国からの侵略を前提として自衛権を主張し、武力を強化しており、その結果として、現在の国際社会に人類の生存を脅かす戦争の危険が充満していることです。
しかし、この国際社会に存在する戦力に対応して「自衛」できるだけの戦力をもとうとすれば、それはますます強大なものにならざるをえません。
それゆえ、武力による自衛の方向は、「すでに行き詰ってきている」といえましょう。

私は、この問題は、国家対国家の関係における自衛の権利と、その行使の手段としての戦力というとらえ方では、もはや「解決できない段階に入っている」と考えます。
もう一度、出発点に立ち返って大きい視野に立つならば、一国家の民衆の生存権にとどまらず、全世界の民衆の生存権を問題としなければならない時代に入ったと考えます。

私はこの立場から、戦力の一切を放棄し、安全と生存の保持を、平和を愛する諸国民の公正と信義に託した、
日本国憲法の精神に心から誇りをもち、それを守り抜きたいと思うものです。
そして、それを実あらしめるための戦いが「我々の思想運動」であると自覚しております。

トインビー博士
もし日本がその現行憲法の第九条を破棄するとしたら―いや、さらによくないことは、
破棄せずにこれに違反するとしたら―それは日本にとって破局的ともいうべき失敗になるでしょう。

引用以上

安全保障関連法案が施行されて、公明党議員や創価学会職員が説明した通り日本の安全保障は高まりましたか?
先日も東京メトロが北朝鮮のミサイル発射で運行停止しました。
過去にこのようなことは一度もありません。

池田先生とトインビー博士の対談通りに日本はなってきていませんか?

池田先生のことが大好きな会員さんは、公明党議員や創価学会職員にこのことを聞いてみて下さい。

 

面従腹背

 投稿者:反板の反板  投稿日:2017年 4月30日(日)11時50分41秒
  矢野本のなかに、空き家が入院中、「面従腹背」を吐露していた。

本当のことなんだと確信が持てました。
 

『抑止力』はどうなりましたか

 投稿者:スピッツ  投稿日:2017年 4月30日(日)11時14分0秒
  あれは、ついこの前、集団的自衛権が閣議決定したあと、疑心暗鬼に陥っていた私たちは夏休み中にも関わらず、会合がもたれて、衆議院議員の岡本さんが登場『抑止力』についての具体的説明がありました。それによれば、今のカールビンソンと日本の自衛隊の姿のように、『日米一緒になって軍事力を見せつければ、相手は恐れをなして簡単に攻めようとしなくなるのです』と言うことで私たちは首を捻りながらも納得させられたのでした。
でも、岡本さん、北朝鮮はミサイル失敗しても失敗しても、攻撃する気持ちを捨てませんね。今や、我が県の最高幹部も、「北朝鮮はリアルな危険」という有り様です。
『抑止力』はどうなりましたか?
 

(無題)

 投稿者:真剣一路  投稿日:2017年 4月30日(日)11時01分54秒
  一部の幹部が、働かずして人々の財産を強奪し、その財産を散財して快楽に浸ることだけが目的。単なる怠惰なだけ。自分だけ、その時だけ楽しければそれでいい。
口では矛盾だらけの偉そうなこといろいろヌカシテいても。

純粋な信者の心を支配できたなんて大きな勘違いをしたもんだから、奴ら単なる怠惰な傲慢のカスに成り果てた。

カスに何ができるんだろうか?
信者がお前らを「無視」したら、お前ら生きていけないし、もうそんな世の中になってるし、もうお前らには「興味」ない。
 

ユー・メイ・ビー・ライト/ガラスのニューヨーク

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 4月30日(日)10時47分23秒
編集済
  今年も天皇賞の日が来た。こんなことをしている場合じゃないのだが、GWに読むものとして、『教学部レポート』『遠藤文書』を重ねてお勧めしたい。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/68082
>教学リポートを見て内容の信憑性を確認したい、とのご要望が多数ありました。様々、逡巡しましたが、希望者にテキスト版を配布します。この文書の執筆者は教学部であり、あくまでも首謀者達の暴走を阻止するために書いたものです。この文書は、執筆者の当初の意や経緯、理由はともかく、暴走を止めたいと願う、心ある学会員の手元を渡ってきたものです。しかしその善意さえも一部の最高幹部が踏みにじり『怪文書』として葬り去ろうとしています。当掲示板においてもなんとか公開させまいとの蠢動が行われています。学会を守るには正しい情報が不可欠です。情報は会員のものです。この点に鑑み希望する方に、お送りすることにしました。組織の撹乱が目的ではありません。あくまでも池田先生、学会、学会員を守る。それが目的です<

「信憑性」とのことですが、この『教学部レポート』『遠藤文書』を裏付けるものとして、聖教新聞2015年9月16日の随筆『民衆凱歌の大行進27 御書根本の勝利道』があります。
http://vukivuki.cocolog-nifty.com/myonoshoran/2015/09/post-661f.html
ここで、池田先生は日寛教学の「六大秘法」を使われています。「法本尊を開顕された」とあります。2014年11月の教義変更で、学会組織は「六大秘法」は用いないと、切り捨てました。もし、この教義変更を池田先生が承認されているのなら、なぜ、池田先生はこの「六大秘法」を用いられているのでしょう???
http://6027.teacup.com/situation/bbs/63132
http://6027.teacup.com/situation/bbs/64580
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-86.html

“するときみはこう言ったよな それはあなたが普通じゃない証拠よ、って”
“きみが正しいのかもしれない 僕の頭がおかしいのかもしれない でもこれって きみが求めてた狂気ってヤツじゃないのかい?”
“僕はきみの言うように 頭がおかしいかもしれないけど それが本当のことだったら それはきみのせいなんだよ”
“だってきみは僕にそうしてほしかったんだよね?”
“きみが正しい 僕が間違ってる”
“きみは間違ってる いやきみは正しい”
“一体どっちなんだろう?”
『ユー・メイ・ビー・ライト/ガラスのニューヨーク』ビリー・ジョエル
https://www.youtube.com/watch?v=8CQZdx2XnW0
 

創伝

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 4月30日(日)09時45分56秒
編集済
  『創伝』なる名著をいただいた(実はまだ読めていない)。とある秘密結社の深夜の集まりでした。その名著はトランプ出現以来アメリカでベストセラーになっているという『1984』(ジョージ・オーウェル)の「ゴールドスタインの禁書」に匹敵するかもしれない?

「はじめに」で著者は「教学はわれを飾るための道具ではなく、人を励まし、蘇生させる手引書ともなり、悪を斬る破邪顕正の武器になるから」「教学研鑽の重要性」を訴えています。ところが実情として、「今の学会組織の最前線では、教学研鑽に費やされる時間はほとんど“ない”」。結果として組織が落ち目直滑降は当たり前です。「人を励まし、蘇生させる手引書ともなり、悪を斬る破邪顕正の武器」を捨てさせたのですから。
23歳で入信した私の心境は「遅れて来た男子部」でした。著者が拾い集めた現学会員の気持ち「何から学んでいけば良いのかわからない」は私の気持ちと一致していました。しかし、私は幸いにも「遅れて来た男子部」だと誰から見ても分かる新入信者だったので、開き直ってじっくりと勉強することが出来ました。同世代の殆どである学会二世たちには何年後かに追いつけばいいんだと。
さらに幸いなことに1990年当時には『なぜ信仰は必要なのか』シリーズなど、中等部向けのやさしい本が入手でき、恵まれた条件がありました。が、今は違う。
「御書講義録を読んでも難しい」「他の論考を読んでも表現が難しすぎて理解できない」「幹部の御書講義を聞いても、ただテキストを読んでいるだけで、おもしろくない」。これは現青年部・未来部世代に痛恨の思いを抱かせていると、私も実感しています。

彼らは心の底で「確信を与えてくれ!」と叫んでいます。歓喜に飢えています。なのに「人を励まし、蘇生させる手引書ともなり、悪を斬る破邪顕正の武器」を誰も与えてくれない。
そこで一念発起された著者には最大の敬意を表したい。「それでも伝えたい」「みんなが分かるように書き残したい」との熱意からだったそうです。著者はそんな思いを風呂でチンチンを出してメンバーに語るのだそうです。そんな愛すべき男たちが池田先生の創価学会にはいるんだと、あらためて感動させられました。

貴族たちにこんなことが出来るか? そんなものを目指した愚かな怪鳥がいたとは。私は池田先生について行っていたつもりが、あんなのについて行っていたかと思うと情けない。
『創伝』これ「相伝」か。お薦めの一書だが入手するにはどうしたらいいか? 何しろ秘密結社での禁書であり、難しいかもしれないが、希望される方は宿坊で叫んでみてはどうでしょうか? 俺も飢えている。私も飢えていると。そうしたら愛情深い著者はその名著を届けてくれるかもしれません。

“君に言いたいんだ 心を決めたよ 心の内に感じるものを止められないんだ”
“心に火がついた 最初の瞬間から君のために燃え続けてる 心に火がついている”
“一つだけ この心は本物さ”
“よく思う人もいれば悪く思う人もいる でも君は人生最高の人さ”
“心配なんてない 君はすばらしいよ 今からオレは君のそばにいるよ”
『ハーツ・オン・ファイヤー』ブライアン・アダムス
https://www.youtube.com/watch?v=N3LUp0Mxey8
http://kashiwayaku.net/bryanadams/heartsonfire.php


これも禁書???

『実名告発 創価学会』(野口裕介・滝川 清志・小平 秀一) アマゾン「ベストセラー」で絶賛発売中!!!
http://amzn.to/2fxRlFX
 

わが友に贈る 2017年4月30日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2017年 4月30日(日)08時08分10秒
  信心の戦いとは
祈りから始めることだ。
自他共の幸福の実現を
わが使命とすることだ。
この一生を楽しく勝て!
 

技術的なこと

 投稿者:太ちゃん@平らかなるは人編  投稿日:2017年 4月30日(日)07時31分31秒
編集済
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/68105

アクセスカウンターはけっこう種類があって中にはそういうサービスが付加されてるものもあるようですね。

僕のやってるホームページでもアクセスカウンターを付けてるけど、そういうサービスまではない、フリー(無料版)のアクセスカウンターだけど。
宿坊の掲示板にもかつてアクセスカウンターがあったけど、たぶん同じところのものを採用してますけど(表示デザインが違うだけで)。

それで、技術的には別にアクセスカウンターに限らず相手のIPを抜くことは可能でしょうね。
ホームページとかならジャバスクリプトとかCGIとかで作ることは可能でしょうね。
アクセスしてきた本人に知られることなくで。
ジャバスクリプトだけではIPを抜くのは技術的に無理なようだけど。

(抜いたデータをサーバーに蓄積するのはHTML・ジャバスクリプトだけでは不可だから。相手側から送らせる動作は可能だけど、それをやったところでサーバーにその情報を受け取り蓄積する手段が無いからです。サーバーにそういうサービスがあるとか、そういう動作をするCGIをサーバーに設置して受け取りの動作をさせなければ相手のIPを抜くことはできないんですね。ただ、これはホームページを利用してる側の話で、サーバー自体の管理者とかなら当然ながらアクセスしてきてる相手のIPはわかるのでしょうけど)

ジオシティーではCGIの利用は無料版では不可だし、アクセスカウンターもそういう機能がついてない、単純にカウントするだけのものにしているのもそういった理由だったりします。


追記:ぶっちゃけた話

相手のIPまで知る必要性のあるような人でもなければやらないでしょうね。
ネットでIPがどうの、なんてことになるのは荒らし対策が多いし、それ以外では悪意を持って意図して相手のIPを抜こうという人ぐらいなんじゃないでしょうか(いわゆる「業者」というやつ)。
ジャバスクリプトって動作を重くする要因だし、あまり余計に使いたくはないもんです。

話したついでだけど。
ジャバスクリプトを利用した人工知能で何か便利なものを作れないか思案中だったりしております。
蓄積される情報はサーバー側ではなく、相手側に全て蓄積される仕組みになりますけど。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

そのために生まれてきた!!

 投稿者:魂の炎  投稿日:2017年 4月30日(日)07時09分55秒
編集済
  虹と創価家族様
いつもありがとうございます!

私なんかは物覚えが悪いので(笑)、再確認していただけると助かります。

A乃助はんの指導メモ、目玉が飛び出る程ビックリしましたねー。
自分たちを「貴族」だと~?
職員は「貴族」だと~?
自惚れるのもいいかげんにしろ!ですよね。

でも、おかげで、学会の中の閉塞感の元凶が分かりましたね。
今の学会の中では、人を生まれや、金持ちかどうかや、権力があるかないかや、見た目が良いか悪いかでしか評価をしない。
貴族って、まさしくそんな感じですよね。
学会の中って世間の中よりも、そういった傾向が強くあり、息がつまりそうです。
これはどういことなのかなぁ?っていつも感じていましたが・・・。
元凶はA乃助はんだったのですね~。

我らは誉れの創価の民衆だぁーい!
民衆が勝つ時代を創りましょう!!
私たちは、そのために生まれてきたのだから!!
 

【再確認】会長であっても、特別な存在ではない

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2017年 4月30日(日)05時27分11秒
編集済
  【2006年11月22日全国合同協議会】

・もしも将来、原理原則を踏み外すような幹部が現れたならば、断じて許してはいけない。
異体同心の革命児の弟子たちが、猛然と戦い抜いて、三代の正しい軌道へと戻していくのだ。

・幹部が役職を笠に着て、威張る。大変なことは人にやらせて、自分は楽をする。そんな権威主義の学会になってしまったら、大変だ。一生懸命に戦ってくださる学会員に申し訳がない。
たとえ、会長であっても、特別な存在ではないのだ。
民衆の真っただ中で広布に戦う人が一番偉い。
広布のため、同志のため、だれよりも真剣に祈り、戦う人が会長なのである。
その意味で、全員が会長の自覚で進んでいけばいい。

・そして、広宣流布の敵とは、外だけにいるのではない。
いかなる組織も、大きくなり、根幹の精神を忘れると、いつしか、冷たい官僚主義、事なかれ主義がはびこっていく。要領よく、戦っている格好だけ見せる。派閥をつくって気に入らない人間をいじめる。陰でこそこそ悪事を働く ―― そういう人間が、のさばりだすものである。
少しでもこうした兆候があれば、それは、広布を破壊する魔の働きであると、鋭く見破っていかなければならない。幹部になるほど、十分に戒めていくべきである。

(スピーチ全文)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/29864

 

本部職員の貴族意識

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2017年 4月30日(日)05時22分6秒
編集済
  「自分は特別だ」という意識が芽生えたら敗北。
自分を特別だと思うエリート意識、それは人間主義に反する権威主義者の特徴でもある。

虹は職員の生活水準が、座談会に集まる多くの会員よりも高いのを不思議に思っていました。
創価学会は貧乏人と病人の集まり。しかし職員は高学歴で金持ちが多い。
また、職員の心の奥にある「自分は特別だ」という意識を以前より感じておりました。

その温床となる改悪がシャクソンファイブ様の代理投稿で判明した。
元凶は5代会長でした。

>当時の指導のメモがあります。A会長より指導
>1. 職員の使命は、戦場で戦う一兵卒ではない。名誉会長をお守りする将軍であり、貴族である。
>2. 地元で学会活動をする必要はない。本陣には、本陣の戦がある。
>3. 職員は◯◯学会の顔である。服装も、生活も一流、貴族のように振舞わなければならない。
>4. 家庭を大切に出来る様に充分休暇も与えてある。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/68032

明らかな「貴族意識」。
会員と本部職員の「差異」を心に植えつける。

恐いね。信心が壊れるよ。



 

いまを生きる

 投稿者:mission  投稿日:2017年 4月30日(日)01時01分0秒
編集済
  『いまを生きる』(原題:Dead Poets Society 死せる詩人の会)は、1989年のアメリカ映画で、第62回アカデミー賞で脚本賞を受賞しています。

1959年、ニューイングランドのバーモントにある全寮制の名門進学校の新学期に、赴任してきた同校OBの新任の英語教師。
校長の指導の下、厳格な規則に縛られている学生たちに
『教科書なんか破り捨てろ』と言い放ち、破天荒な授業を通して詩の美しさや生きる事の素晴らしさを説いていく。

ある日の授業で教師は、突然 机の上に立ち
『常に物事は別の視点で見なければならない!ほら、ここからは世界がまったく違って見える』と話し、生徒も机の上に立たせ、
『降りるんじゃない!そこから周りをきちんと見渡してみろ』と諭す。

教師の風変わりな授業に最初は戸惑う生徒達だったが、次第に行動力を刺激され新鮮な考えで、規則や親の期待に縛られない自由な生き方に目覚めていくのだった。
教師に惹かれていった生徒達は、彼がかつて学生だった頃に作っていた「死せる詩人の会」という同好会を自分達の手で復活させていく。


この7年間を良く思い出して下さい。
組織での活動家は増えてますか?
日々の闘いに、心から歓喜して取り組めてますか?
幹部の方々は率先して、家庭訪問や組織の悩みに応えてくれてますか?
忙しい活動の中で、子育てや家庭・職場・友達との関係は上手くいってますか?
そして大きな「功徳」を戴いた人達が、回りに沢山おられますか?

私が知り得る色々な組織では、活動家の減少により残る者達に課せられる負担増で、歓喜する会員の姿が少なくなりました。
それに加えて、事件・事故・鬱・病気・葬儀…etc、ここ数年とても増えています。

選挙活動での会合が増え、外部の人達と対話する時間が取れない中での聖教啓蒙。
ここ数年は、無限に繰り返されるループの様に感じる人達の声を良く聞きます。
上からの打ち出しに対して、実行し続ける状態。
そう、終わりのない繰り返しです。

『いまを生きる』の映画の様に、物事を別の視点で見渡すと、全く違って見えるかも知れません。
大聖人の教えや池田先生の指導を思い出し、本来の仏法者としての生き方に戻していきませんか?
考える事を止め、真実を見ないのは逃げているだけです。
勇気を出して「おかしい!」と叫ばなければいけない。

池田先生は仰ってます。
【沈黙は悪に通じる。黙っていては自分が弱くなる。それは即、敗北の姿である】
(第17回SGI総会1993年10月22日)
 

化儀の広宣流布と組織信仰の功徳の違い

 投稿者:飛翔こそ蘇生  投稿日:2017年 4月30日(日)00時28分25秒
  昭和35年5月3日池田先生は会長就任の時
「若輩ではございますが、本日より、戸田門下生を代表して、化儀の広宣流布を目指し、一歩前進への指揮をとらせていただきます」と挨拶したが

池田先生が指揮を執ったその化儀の広宣流布とは何かというと

組織の拡大自体が最終目的なのではなく、社会の変革に対して
必要な基盤が出来上がったならば、大文化運動へと推移していく。

会長就任の10年後の昭和45年5月3日のスピーチには
「私はこの時代の推移のうえから、広宣流布とはまさしく〃妙法の大地に展開する大文化運動〃であると定義づけておきたいのでありますが、皆さん、いかがでしょうか。」
とある。

簡略化して方程式にすると

仏法の信仰→個々人の問題の解決
→組織の活性化→社会の個々の問題の解決
→社会の活性化→多様で幸福な人間のための文化の開花

といった感じではないかと思う。

ところが今はどうだ。

組織の信仰→個々人のゆとりから活動力を搾取
→組織の余裕・魅力の目減り→社会的ルートから不足分をもぎ取る
→社会の余裕・魅力の目減り→不足を補うための攻撃的な矛先を向け合う

自分の人生を自分でプレイするという本来当然の権利を
まるで払い続けなければならない借金でもあるかのように
追い立てられ自由を奪われる。

なぜ不足があるかのようなことを受け入れて
駆り立てられるままになる者が多いのかというと
仏法の信仰と組織信仰を区別・区分けできていないからであり
頑張るほど悪循環になり考える余裕も失う。

組織信仰では不足感ばかりが募って
信心の功徳の歓喜が無い。

組織信仰を止めれば功徳が出ます。
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2017年 4月29日(土)23時40分48秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
おやすみなさい
 

タイム・アフター・タイム

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2017年 4月29日(土)23時02分5秒
  元職員のブログが更新されています。
【告知①】5・27(土・夜)「沖縄座談会」、【告知②】6・18(日・午後の予定)「学会本部前サイレントアピール」の開催決定!
http://harunokoime20150831.blog.fc2.com/blog-entry-92.html

対話!!!!!!!!!
昨日は面白い所に参加して来ました。皆さん、ありがとうございました。遅れて行った私に話を合わせさせて申し訳ありませんでした。もっと遠くから来られた人もいたのに。北部の方には車で送っていただき、ありがとうございました。遅い時間に遠回りさせて。最後、頼もしい男子部たくさんいると知って嬉しかったです。まだまだ勝負はこれから!
昨日、今日の関西でのオモロイ話はどなたかがどこかで知らされるでしょう。一部の人にはこっそりメールで御裾分けしますが、いつになるかは分かりません。
確かにそこには創価学会がありました。
宿坊も新しい名前が増えて、創大現役らしきひとも登場して、「時」を感じさせられます。
私も色々書きたいことがありますが、時間の都合で今日はこんなところで。
私が紹介する曲、特に古い曲を気に入って下さっている方にお礼として今日はこんなのを。元職員が今度は沖縄に行くというので。テーマは「沖縄」。
元職員さん、これぐらいは聴いていかないと笑われますよ?
(紫は有名だが、コンディッション・グリーンは豊見城出身の友人は東京で必死でCDを見つけ出して聴かせてくれました。彼のギターコピーも凄かったです。)
https://www.youtube.com/watch?v=E8qqacG9pQA
https://www.youtube.com/watch?v=tMxyxRlCyXk
https://www.youtube.com/watch?v=5lv5UwWaZLQ
https://www.youtube.com/watch?v=pW8wVcCP9Z8
https://www.youtube.com/watch?v=doCjpFp_LlA

“あなたが迷うことがあったらよく見てね 私がそこにいるから”
“何度でも 何度でも あなたが倒れることがあったら受け止める”
“私は待っているから 何度でも 何度でも”
“あなたが自分を失いかけたとしても 私がいるのは見つけられるわ”
“何度でも 何度でも あなたが倒れても私が受け止める”
“私はずっと待っている 何度でも 何度でも”
『タイム・アフター・タイム』シンディ・ローパー
https://www.youtube.com/watch?v=SlykYu5QOkM

『実名告発 創価学会』(野口裕介・滝川 清志・小平 秀一) アマゾン「ベストセラー」で絶賛発売中!!!
http://amzn.to/2fxRlFX
 

同盟題目23時に開始します。

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2017年 4月29日(土)22時58分36秒
  GWが開始の本日、
朝の弾道ミサイルから始まり、落雷、突風、ボート転覆、落雷による火災、フィリピン、九州の地震、新たな海底火山の兆候など。
何が起きるかわからない世相です。
お互いに気をつけて参りましょう。
 

あいことば→秋谷5口、職員は2口、谷川は374919 、原田は4号5号ww

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2017年 4月29日(土)22時50分41秒
編集済
  さらに
タンジは着服600万ww
聖教原田はとんでもないww

【業務連絡】おーい♪♪ 中村く~ん www これって本当だよね~ww
http://6027.teacup.com/situation/bbs/68113
 

信濃町のネット対策チームの対策さんへ

 投稿者:太ちゃん@平らかなるは人編  投稿日:2017年 4月29日(土)22時14分10秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/68103

本日のヤフーニュースってほんと世紀末的ですよねf--;

北朝鮮のミサイル発射だの日本でライフル騒動だの外国での新種のウイルスらしきもので死亡したニュースだのと
昨日はこういうのもあった

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6238061
サリン弾頭、迎撃すれば無力化=政府答弁書

 政府は28日の閣議で、サリンなどの化学兵器が搭載された弾道ミサイルを迎撃した場合、「ミサイル破壊時の熱などにより、無力化される可能性が高い。効力が残ったとしても、落下過程で拡散し、効果を発揮することは困難」とする答弁書を決定した。(時事通信)


迎撃以前に、そんなことをする必要性のない国際社会を作るべきだし、公明党は本来そのための政党だったはず。
こんなやりとりをしてるような世の中にしてる公明党ってもはや存在する意味のないものになりましたね。

迎撃がどうのなんてやりとりしてる状況で政治家は外遊なんてほんと呑気ですよね。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/

 

【業務連絡】おーい♪♪ 中村く~ん www これって本当だよね~ww

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2017年 4月29日(土)21時50分40秒
  丹治金銭問題で池田先生激昂

Pが
<<西口副理事長、原田会長を罵倒し、土下座させたあとで>>

<原田副理事長(聖教新聞代表理事)に対して>

P: 原田っー!
   お前は650万も騙されやがって!
   何やってるんだ?

原田副理事長: 申し訳ありません

<原田副理事長土下座>

P:いくら着服されたんだぁっ!

原田副理事長:600万です

【丹治の金銭問題が明らかになる。】
(噂だった前代未聞の聖教内金銭着服が発覚)


P: 聖教新聞、とんでもない
   本部でこんなことはない

【先生の激昂はおさまらず】

【このやりとりの前後に】
P:私が生きているうちは、いいんだ。
(と激怒を何度もされる。)

(私がいなくなったらどうにもならなくなるぞ、つまり滅亡の危機になるぞとの意か)
 

秋谷5口、職員は2口、谷川は374919 、原田は4号5号ww

 投稿者:フロム関西  投稿日:2017年 4月29日(土)20時04分38秒
編集済
  匿名希望様<本幹は時局以下と考えているのか?

きっと、そうでしょうね…。だって、メインが

選挙と聖〇拡大(金集め)ですから…(-_-;)

《覚え書き》
【会長の椅子狙う谷川は、374919厚顔無恥の女性の敵】
【秋谷の財務は5口5万円・本職2口2万円】
【原田→愛人2号3号?隠し子認知&マンション贈呈】
【原田は広布功労の婦人部最高幹部を2名更迭】
【秋谷の初仕事→本職の給料大幅アップと大増員】
【原田直弟子発言→先生に会長にと願う気は さらさら無い】
【秋谷指導メモ→本職は将軍であり貴族の如く創価の顔】
【秋谷指導メモ→本職の休暇日は活動不要で家族に使え】
【秋谷指導メモ→本職は貴族の振舞い 服装*生活一流に】
【秋谷→先生に会館宿泊使用料¥200万請求】
【池田先生→会員の財務は1人最高十万、会員達に負担をかけない様にと幾度も伝える】
【執行部→(池田城久氏)胃穿孔で急死の真実を隠蔽し続ける】
【四人組の出席依頼→奥様の無言の御抵抗に涙する】
【会員の財務で養う謀略担当職員】
【会員に共謀罪紛いの「盗撮」を男子部員一人に命令】
【秋谷→池田城久氏の(名誉→会長)打診を就任3年(秋谷)理由で却下】
【名誉が付くと雛壇の雛・名誉会長の権限剥奪】
【名誉会長は予算決算の会議等の一切の会議に出席でき無い。知らせず勝手に開催】
【北条Kに先生は一時(会長職を)預けると仰った】
 

5,6月に本幹が無い理由

 投稿者:匿名希望  投稿日:2017年 4月29日(土)17時54分32秒
  5,6月に本幹が無い理由は、

5,6月で都議選の時局があるから無いんだな、と個人的に思いました。

支部、地区に降りてきた時局の数と時期をみて、そう思いました。

時局は時局で大事だけど、執行部は、

本幹は時局以下と考えているのか?
 

覚え書き

 投稿者:mission  投稿日:2017年 4月29日(土)17時14分34秒
編集済
  この【覚え書き】は必要な事柄を忘れない様に書き留めたメモになります。
そしてこの事柄は、過去の新聞*雑誌に載ったもの・実名告白の証言に基づくものであり、また事柄に当たる人物達は今まで其れに対して告訴*告発もしていません。

今現在の輝かしい創価学会を創ったのは、私達の師匠である池田先生が書きに書いた著作の売上げと、旅立たれた同志の皆様も含め沢山の会員達の財務で成り立っています。
また執行部や数多くの本部職員の生活を支えているのも、ご存知の様に沢山の会員達の財務です。

創価学会の礎を創った私達には、本陣達が長年に渡り隠し続けた事実である真実を、知る権利があり また知り得ない会員達に伝える義務があります。
そして創価学会の礎を創った私達に対して、2口や5口の恥ずかしい財務を長年続けてきた創価本陣達に、暴挙な振る舞いで止める権利は絶対に無いのです。

※新たに出てきた真実と、言葉の手直しを加えています。

 《覚え書き》
【会長の椅子狙う谷川は、374919厚顔無恥の女性の敵】
【秋谷の財務は5口5万円・本職2口2万円】
【原田→愛人2号3号?隠し子認知&マンション贈呈】
【原田は広布功労の婦人部最高幹部を2名更迭】
【秋谷の初仕事→本職の給料大幅アップと大増員】
【原田直弟子発言→先生に会長にと願う気は さらさら無い】
【秋谷指導メモ→本職は将軍であり貴族の如く創価の顔】
【秋谷指導メモ→本職の休暇日は活動不要で家族に使え】
【秋谷指導メモ→本職は貴族の振舞い 服装*生活一流に】
【秋谷→先生に会館宿泊使用料¥200万請求】
【池田先生→会員の財務は1人最高十万、会員達に負担をかけない様にと幾度も伝える】
【執行部→(池田城久氏)胃穿孔で急死の真実を隠蔽し続ける】
【四人組の出席依頼→奥様の無言の御抵抗に涙する】
【会員の財務で養う謀略担当職員】
【会員に共謀罪紛いの「盗撮」を男子部員一人に命令】
【秋谷→池田城久氏の(名誉→会長)打診を就任3年(秋谷)理由で却下】
【名誉が付くと雛壇の雛・名誉会長の権限剥奪】
【名誉会長は予算決算の会議等の一切の会議に出席でき無い。知らせず勝手に開催】
【北条Kに先生は一時(会長職を)預けると仰った】
   ・本職→本部職員

 

創価学会は慈悲の団体です

 投稿者:臥子龍メール  投稿日:2017年 4月29日(土)17時06分48秒
編集済
  法華経の智慧・普門品より

「前も敵でした。後ろも敵でした」──鄧穎超夫人

池田 私は毎日、ただ「広宣流布」と、会員の皆さまの「健康」「長寿」「繁栄」「多幸」を、それだけを祈っている。これが私の根本的責任であり、使命であると自覚しています。

責任者というものは、簡単なものではない。(中国の周恩来総理夫人の)鄧穎超さんの言葉は忘れられない。「前も敵でした。後ろも敵でした。毎日、毎日が、そうでした。何十年間、そうでした。私たちは戦いました」と。

創価学会も同じです。すべてが敵だった。政治家も、坊主も、マスコミも、反逆者、全部が連合軍になって、民衆の行進を弾圧し、私を狙い撃ちにしてきた。

ありとあらゆる卑劣な手段を使って。それを一人、戦い、乗り越え、会員を守って私は生きてきた。
来る日も来る日も、一瞬の油断もしなかった。できなかった。そして晴れ晴れと、創価学会を世界的な王者の団体にしました。

ただ御本尊に「広宣流布の希望の道を無限に開かせたまえ」と祈ってきた。幹部も、同じ心であっていただきたい。その「心」がなくなったら官僚主義です。
わが地域の学会員は一人のこらず、絶対に幸福にしてみせる! その祈りで、一生懸命、尽くしていきなさい。

自分のエゴなんか、かなぐり捨てなければ、戦いはできない。勝つか負けるか。死ぬか生きるか、それが勝負です。甘く考えたら、とんでもないことになる。

私の母校・富士短期大学(=当時は大世学院、現・東京富士短期大学部)の創立者・高田勇道先生は、亡くなる一カ月前に、こう遺言された。「教育とは学生に生命を与えてゆくことである」

崇高です。教育とは学生に我が生命を捧げることだと決めておられた。学生・生徒を「わが子」と同じように、否、わが子を後まわしにし、犠牲にしてでも、最大に大切にし、愛し、尽くしていけるか否か。それで、まことの人間教育者か否かが決まる。

広布の指導者も同じです。
「広宣流布」をしているのは、この地球では創価学会しかない。唯一の仏意仏勅の団体です。学会の広宣流布の組織が、どれほど尊いか。

広宣流布に進む学会の軌道は、ある意味で「法」です。この法に則って進むことによって、自分の成仏、人間革命がある。「公転」と「自転」の関係です。

自分中心は、自転だけあって、公転がないようなものだ。いいように見えて、宇宙の軌道から外れ、寂しき生命の孤児になってしまう。自分中心でなく、法が中心でなければならない。「依法不依人(法に依って人に依らざれ)」です。


広布の行動で自身が開花

池田 わが身は華です。「妙法蓮華経」の当体だ。その蓮華を咲かせるのは、広宣流布の活動しかないのです。

自分が拝んでいるだけで広宣流布をしないのは、「水」だけあって「太陽の光」がないようなものだ。
本当の自分自身の開花はない。広宣流布のために尽くしていけば、必ず、自分が守られる。陣列から離れてはならない。創価学会自体が「安穏城」であり「宝処」なのです。どれだけ皆、守られていることか。

戸田先生が「戸田の命よりも大事」といわれた学会の組織なのです。
もし、広宣流布の組織を軽く見たら、その人自身が梵天帝釈、諸天善神に軽く扱われてしまう。相手にされない。ともかく、どんな有名人よりも、地道に学会活動する無名の同志が宝なのです。

遠藤 先生が、デリー大学一行との語らいで話されていたアショーカ大王のエピソードを思い出します。
ある時、アショーカ大王が、仏弟子たちの塔(ストウーパ)を供養して回りました。大王は、舎利弗や目連、迦葉、阿難などの塔には、たくさんの供養をして合掌しました。しかし、薄拘羅という仏弟子の塔には、わずかな供養しかしなかった。

おつきの人間が不思議に思って、大王に尋ねました。「この人も等しく仏弟子であります。どうして差をつけられるのですか?」。
大王は答えました。「彼は、自分自身は一生懸命に修行していたようだが、人のために法を説かず、世間のために貢献しなかったからだ」と。仏法の広宣流布に尽くしたかどうか。人と社会に尽くしたかどうか。それが基準でした。

須田 その話を受けて、アショーカ大王の研究者のラナ教授が「知識を自分の中にとどめるだけで、(=人のために)分かち合い、役立てていかないと、知識は、(=かえって)″毒″になる」(「聖教新聞」一九九九年一月九日付)と言っておられた。印象的な言葉でした。

遠藤 日本は″毒薬″のニュースが続いていますが──″慈悲なき社会″の象徴ような気がしますね。

池田 ″毒″は、冷酷な地獄の心の象徴です。
地獄界・餓鬼界の人間は、人の幸福を恨み、嫉み、人をも地獄に堕としたくてしかたがない。
反対に、仏界・菩薩界の人間は、人をも幸福にしたくてしかたがない。

創価学会は、自分も幸福になり、人をも幸福にしていく、慈悲の団体です。広宣流布とは、今の社会に一番欠けている、この「慈悲の生命流」を拡大して、潤していく運動なのです。

自分の存在は小さく見えても、何か動けば、波ができる。一波、二波、三波と波が続けば、その「流れ」それ自体が「広宣流布」なのです。

遠藤 それが無慈悲で残酷な社会の″毒″を浄化する根本だと思います。


国家主義の″毒″を見破れ

斉藤 ″毒″というと、思い出すのは、ユダヤ人への迫害の歴史を探求した学者の言葉です。
どうして文明国ドイツで、ヒトラーのような人間が首相になれたのか? どうして「ユダヤ人こそ一切の悪や不幸の根源で、迫害するのが当然」などという荒唐無稽な思想に人々が染まってしまったのか? それは「反ユダヤ主義の毒を少しずつ服用させられていたおかげで、ヒトラーという致死性薬物にまで免疫になっていた、ということなのだろうか」「何世代もつみ重なった激しいユダヤ人排斥主義の効果のせいで、彼らの倫理感覚、少なくともユダヤ人に関する倫理感覚が退化してしまっていたからなのだろうか」(ルーシ・S・ダビドピッチ『ユダヤ人はなぜ殺されたか・第1部』大谷堅志郎訳、サイマル出版会)
″少しずつ毒に慣れさせていく″というお恐ろしさを強く感じます。

池田 日本も同じです。人権感覚がますます狂ってきている。民衆を国家の犠牲にして恥じない国家主義が強まっている。危険です。だからわれわれが立ち上がる以外にない。

遠藤 日本国憲法の根底には、いわば「ソフト・パワーで平和を創造していこう」という理想があると思うんですが、それが踏みにじられようとしています。

須田 侵略戦争の正当化も、すごい勢いで進められていますね。とくに、若い世代に対して影響力の強いメディアでも、それが顕著で、危険な限りです。

斉藤 その一方、″抵抗の精神″がなくなり、いよいよ「長いものには巻かれよ」という雰囲気になっている。マスコミもそうです。現状追随の卑劣な国民性が、つくづく、なさけなくなります。


日本の宗教は「権力の奴隷」

池田 日本人に「権力に抵抗する精神」が弱い根本は、宗教が骨抜きにされてきたからです。これは福沢諭吉が明快に論じている。

遠藤 『文明論之概略』の中の「僧侶は政府の奴隷」なりという強烈な言葉を覚えています。(以下、同書より引用・参照。引用は現代語訳)

池田 彼は「宗教は人間の心の内部で働くものであるから、最も自由、最も独立してあるべきで、微塵も他から制御されず、微塵も他の力に頼らないで、社会に存在すべきはずであるのに、我が日本においてはそうではない」と嘆いている。

(現代語訳)仏教も、はじめから権力者の庇護を頼み、権力者にすり寄り、権力の余光を借りようとし、はなはだしいのは政府から爵位(貴族の階級)をもらって喜んでいる僧侶がいる、と。寺がいっぱい建って、仏教が栄えているように見えても、それは「権力の威光」を借りたものであって、独立した「宗教の威力」によるものではない、と。

近年(明治五年)は、政府が僧侶の肉食妻帯を許した。これはつまり″宗旨を守って肉食せず妻帯しなかった″のではなく、″政府が禁じていたから、しなかった″──実際は陰で相当していたわけだが──ということであろう。これでは「僧侶が政府の奴隷であるだけでなく、日本国中、すでに宗教はないと言ってよい」と、痛烈です。

斉藤 人間の「心の独立」の支柱となるべき宗教が、こうですから、日本人に″権力と戦う精神″が弱いことも当然です。

池田 だからこそ、私たちの運動が、日本の根本的な文化革命、人間革命、精神革命なのです。日蓮大聖人は、″権力の奴隷″の僧侶たちから総攻撃を受けながら、権力者自身をも「わづかの小島のぬし」と見おろしておられた。世間は有上道、仏法は無上道。どんな権力者といえども、妙法にはかなわないし、謙虚に正義を求めていくべきだという信念であられた。

先ほど牧口先生の価値論の話が出た。「人を救い、世を救ってこそ宗教だ」という牧口先生の叫びは、まさに日蓮大聖人直結です。宗教の源泉から、社会へ社会へと精神的水流を送り続けていく。社会とかかわり続けていく運動です。それが観音菩薩の三十三身の精神でもある。

斉藤 経文に挙げられていない姿も含めて、「あらゆる姿で」ということですね。

池田 だから、どんな立場の人でも、尊敬していかねばならない。その人が仏菩薩の現れかもしれない。仏菩薩の働きをする場合がある。立場や職業や見かけで、人を判断しては絶対にならない。
______________________________________________

秋谷嫌師守栄助や原田函館守種付、長谷川坂田守重蔵、谷川皆行守勃樹、八尋左衛門尉頼綱等はじめ、本部職員、地方幹部、地元幹部まで相当志に綻びが見える。
現世利益というより拝金主義に心を占領され、慈悲もなければ責任感もない。

師弟が仏法のすべてであれば、師を疎んじることなどできないはずである。
使命を忘れ我が世の春を謳歌する疑似餌ばりの本門の増上慢達よ、「自らの汗と労苦により、広宣流布を必然たらしめん熱情のありやなしやを常に問え」をお忘れか?
 

螺髪さま

 投稿者:生涯&広布一筋兄弟メール  投稿日:2017年 4月29日(土)16時50分40秒
  恐れ入ります・・

私もいつも、興味深く読ませていただいています・・
 

Twitterより。秋谷5口、原田は認知。

 投稿者:ツイート人  投稿日:2017年 4月29日(土)16時37分57秒
  第二次宗門問題が勃発した時、日顕を猊下から日顕と呼び捨てにするのを少し躊躇する学会員がいたが全貌が明らかになるにつれて極悪日顕と呼び捨てに慣れてきたな。秋谷も原田も会長、会長と崇められていたが、だんだんと呼び捨てにされ始めている。

秋谷は5口、原田は認知。
 

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