こんにちは!Renaです。今回はちょっぴり暗いお話。
私には父親がいません。
4歳のときに死別しています。
母親が愛情たっぷりに育ててくれたので、つらいと思ったことは少ないのですが、それでもちょっとした問題はあります。
今回はそれらについてです。
働くことの意味がわからない
父親の死後、遺族年金と保険金等々で暮らしてきました。(母は障害者なので働けていません)
家は保険金で一括で買い、着る服は母が全て手作りしました(お金を浮かせるため)。食事も冷蔵庫がたまにカラになるくらいで何とかできていました。
つまり衣食住は事足りたのです。
その陰に母の凄まじい努力があったのだろうとは思いますが、子供の私にはわかりませんでした。
高校生くらいになるまで収入源は教えられていなかったので、いつも、どこからお金が入ってくるかわからないけれど、生きていけるものなのだと思ってしまったのです。
高校へは地銀が行っている無返還制の奨学金を受けて行きました。
そんなこんなで仕事をしてお金を稼いでくる人が居なくても、社会や国や企業の助けによってなんとか生活できなくもない、ローンや借金を背負うこともない、という世界を知ってしまいました。
よって、働くことの意味が見出せません。
お金を稼ぐためというのであれば、働かなくてもお金は入ってくる制度があるのであまり大きな理由にならないのです。
もっと別な理由が必要ですが、働く父の背中を見ることもなく育った私には、その他の理由がよくわかりません。
過度に男性を求める
私は躁うつ病という精神疾患を持っています。大学時代に発病しました。
人によって表れる症状は色々ですが、私の場合その最たるものは、性的逸脱です。
心の何処かで、いつも、父親を求めています。
その代わりになりそうな男性を見ると、承認欲求というのでしょうか、その男性に認められたい、自分のことを見て欲しいと思い、あの手この手を使って振り向いて貰おうとします。
そうしてこっちを向いて貰えると、ああよかったと一瞬の安心感を得るのですが、それは一瞬で、やっぱりこの人は父親ではないのだとわかります。
もう、何が何だかわからなくなって、男性には全方位的に好かれていなくては、と思ってしまいました。
大学は男女比が14:1程度でしたので、もう周りの人に愛想を振りまき、全員に好かれようと必死でした。
好かれていなければ死んでしまうと思っていました。
欠けた部分を埋めなくては、いつまでも自分は安定や安心を得られないと焦っていました。
幸せな家庭像が描けない
母親が父親にどう接していたのか知りません。その逆も。
結婚しても、恋人の延長にあるものはなんとなくわかっても、子供を含めたときの家庭というものがなんだかよくわからないのです。
母親と父親との関係はこうあるべきで、父親はこうあるべき、子供との関係はこうあるべき。
全てドラマや小説、映画からの憶測で作り上げました。
ツギハギだらけでとてもいびつなカタチをしています。
父と母のようになりたい、逆にああはなりたくない、といった目指す先がハッキリしていればいいのですが、いびつなそれを目指しても何処かで不満が出ます。
自分はいい親にはなれないなと気づきました。
努力をしてもがむしゃらなのです。
明確な目標ではないから、何処かに皺寄せが来たり、満足できなかったり、納得いかなかったりしてしまいます。
さいごに
これらはあくまで私の場合です。
一番つらいのは、母子家庭はこうだろうと勝手な憶測やごくごく小さな世界の話を当てはめられることです。
私が子供の時、友達のおもちゃが盗まれました。
その友達の親はある人が犯人に違いないと言いました。
その理由は「だってあの子は母子家庭だから」。
貧しくておもちゃも買ってもらえないだろうから盗んだに違いないと言いました。
私はこのような勝手な差別偏見を生みたくないので、上に挙げたものはあくまで私のみに適用されるものだと主張します。
私がただただ吐き出したかっただけの記事です。
今さら何を言おうと、父は生き返ることなどありません。
その死を父の死後1~2年経ったときには受け入れられていました。
父のいない生活こそが私の日常です。
そのはずなんですが、今でも私はどこかで父を探してしまいます。