それは、ヨーロッパを再び世界秩序の中心にしたいというヨーロッパ的情念に突き動かされたものであった。
だが普通の民衆からすれば、そんなことより自分たちの日々の暮らしや仕事の確保の方が重要である。EUの形成がそれにプラスの影響を与えるのならそれを支持するが、マイナスに作用するのなら批判的になる。
さらにいえば、ヨーロッパ的情念に突き動かされたものに過ぎないのに、そこにグローバリズムの時代の発展の方程式というような政策的合理性があるかのごとく装う支配者や官僚たちに対する反発も醸成される。
こうしてEUは内部分解の芽をたえずもちつづけることになった。世界秩序の中心に座りたいというエリートたちの夢は、ノンエリートたちの反撃に遭わざるをえない。
さて、話を元に戻そう。
米ソを軸にした世界秩序が崩壊し、アメリカを軸にした世界秩序も動揺しはじめている。その状況のなかで、中国やロシアも新しい世界秩序づくりに乗り出している。
さらに局地的には、北朝鮮もまた核保有国として承認された世界秩序を求めているし、IS(イスラミックステート)などは最終的にはイスラム的世界秩序をめざして、現存する世界秩序の破壊に邁進している。
こうして世界は、世界秩序の支配権をめぐる戦国時代に突入してしまった。
だがそれは、近代以降の世界の必然的結果だったのである。なぜなら近・現代とは拡張主義の時代であり、拡張とは支配権の拡大に他ならないからである。
なぜそうなったのか。それは近代的システムが生まれていく過程と当時のヨーロッパ状況との関係性にある。
フランス革命やイギリスで産業革命が起こる100年ほど前に書かれた経済学の本に、ウイリアム・ペティの『政治算術』(1676年頃)がある。
この本が生まれた頃のヨーロッパをみると、最大の強国はオランダだった。スペインは1500年代終盤のイングランドとの海戦で甚大な被害を受け力を落としていたが、他方でフランスが急速に力をつけてきていた。そういう状況の下で、イギリスがオランダをしのぐ強国になる可能性とその方策を書いたのがこの本だった。
ペティは自然科学の方法を社会分析に適用し国富を数量で客観的に明らかにしようとした人であり、経済的な価値を生みだす基盤に労働があることを提起した労働価値説の創始者でもあったが、他方でペティは聖職者などの不労階級が国富を増大させていないばかりか、無駄に消費している現実をも批判していた。
対立がつづくヨーロッパ情勢のなかで、いかに国富を増大させて強国を築き、支配権を拡大していくのかがペティの課題だった。
そういう状況下でヨーロッパの近代化は進行していくのである。
しかもフランス革命をみても、革命後には各国は干渉戦争を試みている。それは革命の波が自国にも波及するのを恐れたためでもあったが、ひとつの国の破綻は他国にとっては支配権を拡大する好機でもあったからである。
ロシア革命のときにも日本をふくむ各国の干渉戦争がおこなわれているが、ヨーロッパにおける近代形成史はこのような覇権争いをもはらみながら展開している。
ゆえにこの土壌から生まれてきた近代のシステムは、勢力の拡大、支配権の拡大という性格を内蔵させることになった。