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防衛・安全保障 歴史
なぜ世界秩序は動揺し続けるのか? 近代的システムの「危険な性格」
【連載】たそがれる国家(7)

世界秩序をめぐる新たな戦国時代

1990年頃までの戦後世界は、アメリカとソ連の対立と共存によって世界秩序がつくられてきたといってもよかった。アメリカを軸とする西側諸国と、ソ連を軸にする東側諸国という言葉が、この頃まではよく使われていたものだった。

それはアメリカとソ連が、大きな支配力をもっていることを意味していた。

世界に対する国の支配力は、その国を軸とする世界秩序がつくれるかどうかにかかっている。自国が大きな影響力をもつかたちで世界の秩序をつくる、それが世界に対する支配力である。

ところが1991年にソ連は崩壊する。このときから世界は、アメリカのみを軸にする秩序へと変わっていった。だがその頃には、アメリカの力もかつてのような絶対的なものではなくなっていたのだが、それでもいっとき世界は、アメリカを唯一の大国とする世界秩序の成立へと向かった。

しかし、現在では、そのアメリカがさらに力を失いはじめている。そのことが、世界秩序をめぐる新たな戦国時代を生みだすことになった。

当然アメリカは、これまでよりは一歩引いたかたちであるとしても、アメリカを軸とする世界秩序を維持しようとするだろう。

ところが中国は、中国がアメリカと並ぶ世界の大国とみなされる世界秩序をつくろうとして動きだしている。ロシアもまた大国としての存在感を高めながら、世界秩序をつくる有力な国として復活することをめざしている。

 

EUがはらむ内部分解の芽

EUもまた同様なのである。私はEUはいずれ分解すると思っているが、その理由は次の点にある。

ソ連が崩壊したことは、ヨーロッパにとっては隣接する脅威が取り除かれたことを意味していた。それは、アメリカから一歩距離を置くヨーロッパをつくれる時代がきたように思われた。

1992年には欧州連合条約がつくられ、翌93年にEU(欧州連合、European Union)が発足した。後に東欧諸国が加わり、現在のEUがつくられている。

もちろん1952年に欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)がつくられるなど、ヨーロッパ連合への動きは戦後一貫して模索されていたのだが、ソ連の崩壊が飛躍の機会を与えたことは確かだった。

西ヨーロッパの国々には、近・現代世界の基礎をつくりだしてきたのは自分たちだという自負がある。

確かに近代的システムである国民国家も、市民社会や資本制市場経済もヨーロッパが生みだしたものである。自由、平等、友愛という近代の理念はフランス革命(1789年)で宣言されたものだし、議会制民主主義のかたちは、長い時間をかけてイギリスがつくりだしていったものだ。

それだけではなく、かつては世界中に植民地をもち、ヨーロッパを軸にした世界秩序がつくられていた。当時の世界をめぐる対立とは、ヨーロッパの国々の対立のことであり、スペイン、オランダ、イギリス、フランスなどが、覇権争いを繰り広げていた。

ところが戦後になると、当時の西側諸国では、アメリカが圧倒的な力をもつようになる。しかも東方には、ソ連・東欧諸国が存在する。ヨーロッパは世界秩序の中心ではなくなったのである。

ゆえにソ連の崩壊とアメリカの力の低下は、この状況を変化させる好機が訪れたことをも意味していた。ヨーロッパを再び世界秩序の中心に、あるいはアメリカとヨーロッパで世界秩序をつくることが可能だと思われたのである。