「むかしむかし、とおいみらいに」
こんな言葉から物語は始まる。
”やじるし”頭の「せがれ」がへんてこな世界を冒険するゲームで、タイトルの出オチ感が半端ない。
私が小学生の時に初めて買ったゲームでもある。
その当時はタイトルに卑猥な意味があるなんて微塵も気づいてはいなかった。
今思えば、小学生の娘が「せがれいじり買うー!」なんて言い出したら親としては何とも言えない気持ちになっただろう。
内容は下ネタ満載で主に「う*こ」ばかり出てくるくだらん下品なゲームだ。
ちなみにこのゲームのキャッチコピーは「プレゼントに最悪」である。
せがれいじりってどんなゲーム?
プレイ動画の初めの方だけでも見てもらえればこのくだらなさが分かるだろう。
ストーリーは超プリティな「むすめさん」とラブラブになるために「せがれ」を育てるゲームだ。
「せがれ」が成長するために必要なのはたくさんの「新しいモノ」に触れること。
新しいものと出会うたびに画面横で見守る「ママ」の首が伸び、目標の回数達成すると新しい世界へ行けるようなる。
「オキモノ」で作文したものが映像になるのだが、ダジャレ・下ネタ・シュールでナンセンス。
そのくだらないことといったら…
子どもの頃は大うけだったが、大人が爆笑するのは難しい。
それだけ子ども目線の笑いで作られた作品だとも言える。
作文を重ねていくと、新しく「オキモノ」が生まれる。
どんどん作文をして新しい「オキモノ」を増やし、触れて、新しい世界へ出て、また作文をして…そうして「せがれ」は成長してゆく。
主要キャラクター
せがれ
サナギなのでやじるしです
異論は認めません
ママ
たまごを産んだりメカっぽかったりその構造は不明
おうちから「せがれ」の成長を見守っている
むすめさん
超プリティ
ラブラブになりたいなぁ~
他にも個性豊かなキャラがうじゃうじゃいる。
というか変なのしかいない。
世界を広げる仲間たち
このゲームでは「せがれ」の冒険するフィールドを「せけん」という。
初めは行ける範囲がごく限られているが、「せがれ」の成長に合わせてママから新しい仲間がもらえる。
入れなかった「せけん」の入口が、仲間との出会いによって開かれていくのだ。
くだん…山へ行く「のりモノ」
ペンギン…空を飛ぶ「とびモノ」
まいまい…水の中にもぐる「もぐりモノ」
ミミズちゃん…土の中を掘り進む「ほりモノ」
うきわちゃん…宇宙を浮遊する「うきモノ」
同じかたつむりとしては「もぐりもの」のまいまいにシンパシーを感じざるをえない。
大人になった私と「せがれ」
他のゲームにしてもそうだが、なんだか最近は純粋にゲームを楽しめなくなってきた。
ちょっとした仕掛けに「ほう、古いゲームにしてはなかなかやるなぁ」とか偉そうな位置から見ている自分がいる。
子どもの頃は「せがれ」と一体化して走り回った世界が、今ではなんだか窮屈だ。
仕方がないのだ。
私は”大人”になってしまった。
すっかり大人になった私がコントローラーを握り、せがれの成長を見届ける時、それはやっぱり子供の頃の楽しさとは違う。
もう純粋に「うんこ!うんこ!」とははしゃげないよ。
大人だもの。
しかし、楽しいとう感覚とはちょっと違うが、味わい深く感じるのはなぜなのか。
「せがれ」は”やじるし”だけど、ちょっとカッコいい。
水の中でも土の中でも宇宙でも、ママがいなくて一人だって、うさぎ飛びで頑張る。
何よりも、新しいものに触れる喜びや、別の世界に躊躇いなく飛び出していく勇気がある。
かつて「せがれ」だった私はそんな単純なことも忘れがちで、「新しいもの」に漠然と恐怖を抱いている。
我ながら、つまらない大人になったものだ。
飛んだり、跳ねたり、新しいものにドキドキしながら成長していく「せがれ」を見ていると、新しい世界は怖くないんだと、体をはって教えてくれているような気がしてくる。
画面の中を走り回る「せがれ」の姿がちょっと歪んだ。
大人になると悲しくなくても泣くことができるようになるんだよ、せがれ。
むかしむかし、とおいみらい
ふと、思い出す。
「むかしむかし、とおいみらいに」という始まりの言葉。
いつだよ!と子供のころはケラケラ笑っていた。
今の私から見れば「むかしむかし」の子どもの私。
子どもの私から見れば「とおいみらい」の今の私。
発売から18年が経ち、かつて「せがれ」だった子供が今は大人になって挫折や不安に押し潰されている頃合いだ。
秋元きつねさんはどこまで見通してこのゲームを作っていたんだろうか。
アホなおっさんとか思っててごめんなさい。
子どもの頃に遊んだ人はまたやってみて欲しい。
多分もう昔みたいには笑えないし、めちゃくちゃくだらないけど。
それでも、せがれは「むかしむかし」に「とおいみらい」のあなたを待っている。
古い友だちに会いに行こう。
またくだらない世界を冒険しよう。