自己啓発書は若いころにずいぶんと読んだ。まあ、僕の場合は書籍ばかりだったけど。セミナーとかも魅力的なものはたくさんあったけど、実際ローン組んでまで行く勇気はなかった。
留学時代も本屋にはよく行った。行くのは"Self Help"のコーナーがほとんどだった。まあ、そのおかげで英語の勉強にはなったけど。
それだけそれなりにコストかけて読んだ自己啓発書の結果は、特に何もなしだった。敢えて一時的にも影響を与えたのは、次の本だった。
新版 ハンディーカーネギー・ベスト(3冊セット): 「人を動かす」「道は開ける」「カーネギー名言集」
- 作者: D・カーネギー,ドロシー・カーネギー,山口博,香山晶,神島康
- 出版社/メーカー: 創元社
- 発売日: 2011/11/22
- メディア: 単行本
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この「人を動かす」「道は開ける」は、おそらく両方とも10回ずつぐらいは読んだ。20代中盤だったかな。で、当時はそれなりにいい影響を受けて、楽しい生活を送れていたような気がする。
しかし、今から考えると、その当時の自分の環境であったから可能だったのであって、その後ちょっと人より遅く社会人になってからは、何の役にも立てられなかった。それどころじゃない毎日って感じ。結局は付け焼刃的な方法論だったのかもしれない。
なので僕はこの相談者の足元にも及ばない。だって、数百万のセミナーに参加し、そのお金を返すために自衛隊にまで入隊するなんて、なかなかできなでしょ?ある意味、そこまで行動力があるのに、「人生をより良いものにしたい。」って気持ちになる理由は何なんだろう。
大愚和尚は、経験から「経済的に豊かになりたい人が多い。」という仮定で話をしているが、そんなもんかなあ。お金なのかなあ?以前、南和尚と評論家の宮崎氏の対話の中で、ホリエモンの話が出てきたけど、お金が目的というよりも、お金が一つの生きる意味の指標みたいな人は多いのかもね。
なので、仮に和尚の仮説を踏襲するとして、じゃあ、経済的に豊かになりたい理由は?と突っ込んで理由を探ってみたくなる。なんで和尚はそこまでしなかったのかな。少し残念だ。
僕はやっぱり、現代の多くの人が「生きる意味」を求めているんだと思う。その結果として。「よりよく生きたい。」という曖昧な欲望が出てくるんじゃないかなって感じる。生きる意味なんてないのにね。(僕はそう思ってる)
そう考えると、和尚の言う「脚下照顧」は抜群に的確な言葉だと思う。
今自分がやっていること。そこに目を向けること。いや、そこだけに目を向けること。そうすると「豊かさ」とか「成功」とか、そんな曖昧な表現の意味合いが消える。
この脚下照顧という言葉の的確さと共に、「ネットの外の世界」という話も興味深い。この話は、いずれ7つの習慣の本の話の中でしようと思っている話だけど、影響の輪と関心の輪の話そのものだよね。
影響の輪というのは、自分が影響を与えられる範囲の円。その外側に、自分には何の影響も与えられない範囲の円がある。それが関心の輪。やるべき事柄は影響の輪の中にあり、関心の輪の中の事柄に手を出しても無意味だし、成長がないよ的な話だ。
さて、元に戻ってなぜ僕が自己啓発書を読んでいたか?
僕は認められたかったんだよね。根本的には親に。その延長線上に社会に。「すごいね。」って単に親に認められたいという根源的な欲求があった。そのことに無自覚な状態で社会に出て、依るべき「認められた感」が無い中、ひとっ跳びに他者に社会によって自分が認められる存在になる方法を探していた。それが自己啓発書を読みまくった理由だ。
だから、この相談者の相談内容の裏の裏には、もしかしたらそうしたお金とかそんな物質的でない、何か心理的な不足感があるんじゃないかなって邪推しちゃう。そこを和尚が突かないなんて、なんか仏教らしくないなあってちょっと思った。
でも、脚下照顧。これ大事。今の自分を一所懸命に生きること。それが意味を作っていく。意味があって生きるんじゃなくて、生きるから意味が生まれるんだ。
Life is the dancer and I am the dance.