東洋の夢を乗せて走った超豪華列車

 かつて、ヨーロッパの鉄道が最も華やかだった頃、なかでも飛ぴきり豪華で華麗な列車がオリエント急行Orient Expressであった。これは、ワゴン・リ(国際寝台車会社)を興したベルギーのナジェルマケールスが、満を持して1883年10月に登場させたものでその名前の通りパリと東洋への入ロ、トルコのイスタンブール間を走った超長距離列車だった。
 しかも、この列車はただヨーロッパと東洋を結ぶというだけでなく、その設備の豪華さとサービスという面において他を断然圧倒していた。オリエントはいわばヨーロッパの人びとにとっては神秘とロマンに満ちた憧れの地であり、そんなことから、乗客にはハイ・ソサェティが多かった。オリエント急行が”走る豪華ホテル”との異名をとったのも、こうした背景があってのことであった。

〇 20世紀初頭のオリエント急行を再視

 しかし、そんなオリエント急行も1950年代に入った頃から航空機に押されて次第に衰退し、それでもなんとか1970年代まで頑張ったが、現在もパリ−ブダペスト間を走っている昔ながらの地味な定期列車を除いて1977年にすべて廃止されてしまった。しかし、オリエント急行は、廃止されてから5年後の1982年の5月に不死鳥のように甦った。それも、一番豪華で華麗だといわれた1920年代の車両でである。これは明らかに、鉄道が復権したというより、古きよき時代への郷愁があってのことであった。それだけに、牽引機こそ蒸気機関車ではないが、客車には徹底的な修復が施され備品や部品の端々にいたるまで見事に当時が復元されている。当然乗務員もその時代の制服を着用して車内サーピスにこれ努め、食事もまた昔のスタイルで提供されるから、乗客もこれに合わせてきちんとした服装をしなくてはならない。

〇 現在のコースは2コース

 オりエント急行と命名されているが、復活したこの列車は残念ながらオリエント、つまり昔のようにイスタンプールまでは走らない。(2000年現在は運行しています。)

 コースは、ロンドンからフォークストン、ブーローニュを経由してパリ、ここからチューリッヒ、インスブルックを通ってベニスへと行くのと、ドイツのデュッセルドルフからケルン、フランクフルトを経由してチューリッヒに至り、インスブルックからベニスに向かう2コースが基本である。ロンドン発の列車は、起点がヴィクトリア駅。ここからドーパー海峡に臨むフォークストンまでは、かつてオリエント急行の接続列車として活躍した「ゴールデン・アロー号」などに使用されたプルマンカーで向かう。オリエント急行の車両に乗り込むのは、フランスのブーローニュ駅からだ。列車はここからパリの東駅に向かうが、この間にとぴきり豪華なディナーが供される。パリを出た列車は夜のうちに国境を越えてチューリッヒ、チロルの州都インスブルック、そして国境のブレンナー峠からべ二スへと向かう。所要時間約31時間の豪華旅行である。一方、デュッセルドルフ発の列車はライン河を遡り、バーゼルからスイスに入ってチューリッヒに入る。その後は、ロンドン発の列車と同じルートをたどる。こちらの所要時間はおよそ25時間半といったところだ。

〇 一度は味わいたい豪華列車の旅

 こうした数々の特色を備えた特別列車だから,このオリエント急行に乗るにはそれなりに出費の方も賞悟しなくてはならない。ロンドンからベニスまで全行程乗るとしたら季節によってかなりの差があるが、ダブル・キャビン、つまり2人部屋を利用したとしても1人が約19万円かかってしまう。区間利用だと6万から11万円の間といったところだ。(チップ等別途)いずれも食事代は含まれているものの、決して安い値段ではない。しかし、古きよき、そして栄光に満ちていた頃のヨーロッパを追体験できるまたとない乗りものだけに、ここは少々張り込んででも乗って、その雰囲気を味わいたい。一部区間の乗車もできるし、また申し込みは日本でも簡単にできる。(下記参照)

 ベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレスの車内に一歩足を踏み入れると、そこはまるで鉄道の全盛時代にタイムスリップしだような、優雅て気品あふれる別世界。1883年から60年近くもの間、王家の人々や映画スター、そして時にはスパイ達まてかこの列車で賛沢で豪華な旅を楽しみなからヨーロッパ大陸を横断しました。乗客名簿にはエドワート8世、ミセス・トンプソン、マタ・ハリ、バーデン・パウエル侯爵など、数々の上流階級の人々や著名人の名前が年々加わりました。しかし、第2次世界大戦か起きると、その華やかな黄金時代はついに幕を閉じることになります。しかしこの列車が最終的に廃止になった1977年、現在のオーナーがかつてのオリエント急行の神話をよみかえらせようとオリジナルの車輌を探し求めてヨーロッパ中を駆け回り、専門の技術者達を集めて列車をかつての栄光に満ちた姿に復元しました。キャビンは昔の趣そのままで、細部にいたるまで職人の技術が注ぎ込まれています。さあ、スタッフの歓迎を受けなから乗車し、大切なお荷物が安全に積み込まれると、1920年代のあの優雅で賛沢な列車の旅の始まりてす。ディナーのためにドレスアップすると、バー・カーから流れてくる小型グラントピアノの美しい調べが、世界中から集まった乗客の皆様を食前酒にお誘いします。重々しい輝きを放つ真鍮と複雑に入り組んだ美しい寄木細工に囲まれて、あなたの旅は始まります。ベニス・シンプロン・オリエント・工クスプレスの魔法で、あの華々しい時代がよみがえるのです。

 担当のキャビン・スチュワードはいつでもお客様のご要望に対応できるように、常に待機しています。バー・カーではバーテンダーがお好きな力クテルをお作りいたします。また、レストランカーでは一流のフランス人シェフが贅を尽くして作り上げるクラシックなフランス料理と、イタリア人のウェイターの申し分のなしいサービスとの調和にきっとご満足いただけるでしょう。豪華な内装のバー・カーとレストラン・カーから、車内のブティックで販売されているコレクション・べニス・シンプロン・オリエント・エクスプレスにいたるまで、他に類を見ない特別の旅を経験していただけます。お客様のキャビンは、昼間はリラックスしながら車窓から美しい風景をお楽しみいだだくプライベートルーム。そして夜はオリジナルの洗面キャビネットと糊のきいたダマスタ織りの綿シーツが自慢の、こぢんまりとしたべッドルームに変わります。

 朝食は、やさしいノックの音とともにキャビン・スチュワードがあなたのお部屋までお持ちいたします。窓の外は目を見張るばかりの山々がそびえ立っています。さあ、ベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレスの二日目の始まりです。一日をどのように過ごすかはお客様自身でお決めくたさい。同乗のお客様達と会話を楽しんだり、キャビンで絵はがきを書いたり、また、新しい物語を読んだり、窓の外の景色を楽しんだり……。バー・カーではいつでもお飲物をご用意してお待ちしております。一日のハイライトはやはり、シェフが腕によりをかけて作るランチでしょうか?オリエント・エクスプレスならではの優雅なぴとときをお過ごしください。ロンドンからべニスまでの全線にご乗車いただくことも、途中の主な停車駅で乗り降りすることもできます。また、デュッセルドルフから壮観なライン渓谷を通ってフランクフルト経由でベニスへ向かうルートを選ぶこともできます。いずれのルートをお選びになっても、べニス・シンプロン・オリエント・エクスプレスの旅は素晴らしい、忘れがたい思い出となることでしょう。

プラハ−尖塔のそびえ立つ美しい町

プラハのブルタバ川にかかる東ヨーロッパで最古の石橋、カレル橋。新しく生まれ変わったチェコ共和国の首都、プラハは、古い建築物や遺跡をそのまま美しく保存した壮観な風景を誇る町です。

プラハ特別便

今年も、べニスーロンドン間を、ウィーンとプラハを経由する特別列車を3便運行いたします。モーツァルト、べートーベン、シューべルトなどが住んでいたウィーンは、みどころの豊富な音楽の都です。また、チェコ共和国の首都、プラハは数多くの尖塔とその周りの美しい風景との調和が印象的な町です。町を見下ろす形でそびえ立つプラハ城の下には13世紀頃作られた遠力的な小地区が城に抱きかかえられるようにたたずんでおり、川の対岸にはヨーロッパの中でも最も美しい形で残された町といわれる旧市街と、ゴシック調の建築物や庭園などが多く見られる新市街が隣接しています。列車は水曜日のタ方にベニスを出発し、木曜日の朝、ウィーンに到着します。ウィーンで半日観光をお楽しみいただいた後、列車はプラハへ向かって出発し、その日の夜にはプラハに到着します。そして2日後、列車は再ぴ出発し、フランクフルト、パリ、ロンドンへと向かいます。この特別急行列車は6月12日、8月28日、10月2日にべニスを出発いたします。

TimeTable 

ORIENT-EXPRESS (ベニス−ウィーン−プラハ−パリ) 1996年10月2日(水)−1996年10月5日(土)

 映画、テレビ、小説で何度となく、オリエント急行が登場する場面を見て、どうしても乗車してみたいと思い、まあ、新婚旅行ですし、贅沢はいいかな? ということで旅程に入れることにしました。しかし、オリエント急行+ビジネスクラスヨーロッパ往復となるとツアー料金も破格にお高い!それに時間も拘束されるし、何かと制約もあるので個人手配旅行にしました。

 1996年9月23日の出発で2週間くらいの期間、オリエント急行への乗車、希望の国はイタリア、スペイン、モナコ、そして日本−ヨーロッパ間はスーパーエコノミーシートクラス以上ということで代理店の方と念入りに打合せて旅程を決めました。オリエント急行はパリ−ベニス間の乗車を希望していましたが、オリエント急行の日程(1996年はパリ発は9月26日、29日、ベニス発は9月25日、28日)がちょうど旅程の中間になってしまい効率の良い旅程ではなくなってしまうということで、10月2日にプラハ特別便(ベニス−プラハ−パリ)があるということを提案されました。この便に乗車するには都市を削る必要がありましたが、年3便ということで、またとないこの機会ですから、この便にすることにしました。というわけでモナコを削ることに・・・(モナコなら機会があればいつでもいかれるということで・・・?)余談ですが、日本−ヨーロッパ間はリーズナブルなサベナ・ベルギー航空のスーパーエコノミーシートを計画していましたが設定がなくなってしまい、結局、リーズナブルな設定があったキャセイ航空のビジネスクラスに直接手配しました。(当然、ヨーロッパ内の移動も同時手配)現地のホテル、オリエント急行の手配を代理店にお願いしました。私達は代理店にて手配しましたが、下記の(株)オリエント・エクスプレス・ホテルズ・ジャパンにての直接手配もできるようです。

 10月2日、待望のオリエント急行プラハ特別便の乗車日です。前日、ミラノからベニスに入り、当日はオリエント急行の出発までゆっくり、ベニスを散策しようと考えていましたが、あいにく、この日は雨模様!ホテルからベニス・サンタルチア駅まで30分くらいの道のりをびしょぬれになり、駅へ・・・。出発まで6時間あまりの時間があり、当然、チェックインカウンターも出ておらず、事務所のようなところも当然閉まっていていました。外は雨模様でどこへも出られず、暇をもてあましてしまいました。夕方になりようやく雨も上がり、駅周辺を散策し、時間を潰しました。駅へ戻るとチェックインカウンターの用意がされ、手続きを済ませ、いよいよ乗車です。乗客の中にはウェディングドレスを着た新婦さんもいました。(新婚旅行に行くのかな?私達と同じかな?)客層は、英語圏内の方がほとんどで、日本人は、(アジア系観光客含む)私達二人だけでした。車輌の前で記念写真をパチリ!18:45いよいよ乗車です。(19:06発車)

 テレビなどででみた1920年代の豪華な車輌に乗り込みダブルキャビンの個室に案内されると、とても列車の車内とは思えない豪華な客室がありました。真鍮と磨きぬかれた木製のインテリア、よくまとめられた洗面台、夜はベットになるソファー、かわいらしいスタンドのあるテーブル等どれも品よく豪華なインテリアに感激!!!

 出発時間がきて、列車はゆっくりと動き始め、いよいよオリエント急行の旅の始まりです。荷物の整理をしているとスチュワードが挨拶とともに夕食の希望時間を聞きにきます。希望の夕食時間をスチュワードにつげ、ディナーの予約をしました。

 私はこのためにタキシードを持参し、妻は白のドレスというスタイルで食堂車へ・・・。お勧めの白ワインを注文し、列車の中とは思えないフルコースの仏蘭西料理を美味しく、お腹いっぱいいただきました。食器類は皆さんもご存知だと思いますが、イタリアのリチャード・ジノリ製のオリエント急行のロゴが入ったものが使われています。コース以外の飲み物等は別料金ですが、支払はすべてカードで出来ます。食後はグランドピアノのあるバーカーで生演奏を聞きながらカクテルを飲み、妻とオリエント急行の雰囲気を満喫しました。キャビンに戻ると先ほどのソファーが二段ベットのベットルームにメイキングされていました。何か寝てしまうのが惜しいような気持ちになります。

 翌朝、2日目の旅の始まりはノックとともにスチュワードが朝食を運んできてくれます。(コーヒー、パン(おいしい!)、オレンジジュース)寝坊していると恥ずかしいかも?7:50に私達を乗せたオリエント急行は、ウィーン南駅に到着しました。ウィーンに到着すると、現地ガイド3名が既に私達の到着を待ち受けていました。各国語(英.仏.)のガイドツアーに分かれて、バスに乗り込みました。1996年、オーストリア建国100年ということで、街ではそれが強調されていたように思いました。わずか4時間の観光ですからほとんどが車窓からの観光(途中、ベートーベンの生家、大聖堂などは下車見学。そして、カフェでの美味しいコーヒーとケーキのティータイムがあります。)でしたが、ウィーン市内観光を満喫し、電車に戻りました。スタッフの方々は我々のことを覚えてくれたようで駅のホームではボーディングパスも見せず、顔パスで乗車させてくれました。(思いあがりか???まあ、あまりにも若すぎる二人だけの日本人のお客さんは目立つのかな?)12:50列車はウィーンの町をあとにします。その後は美味しいランチタイムです。列車の中で至れり尽せりのサービスで大満足!プラハまでは6時間あまりです。お隣のオーストラリア人のご夫妻とコミニケーションしたり、ちょっぴりドレスアップしてラウンジカーで寛いだりして列車の旅を楽しみました。素朴な田舎という感じでとてものんびりした車窓の感じと列車の雰囲気で現実を忘れてしまいそうです。いよいよプラハへ到着です。(18:45着)(プラハ旅行記へ

 駅のホームには何やら怪しげなアタッシュケースを持った両替のおじさんがいて手際よく両替作業をこなしていました。(あまり、両替しないようにスチュワードから注意を受けました。)タクシー乗り場で乗客の人たちに「どこのホテル?同じホテルなら一緒にどう?」いわれましたが、あいにく同じホテルに宿泊される方がいなかったので、二人だけでホテルに向かいました。(プラハでの宿泊はオリエント急行には含まれません!)

 プラハの観光の途中、オリエント急行の乗客の方とすれ違って挨拶を交わしたりと異国の地で不思議な感じがしました。プラハの町を堪能し、再び、オリエント急行の旅の再開です。

 10月5日、プラハのホテルをチャックアウトし、駅へ向かいました。プラハの駅はオリエント急行の発着するところ(臨時口、まあなんと薄暗い駅!という印象。東欧はこんなものか?)は石造りの重厚な駅の構えですが、プラハを出発する日、発車時刻まで時間があったので駅を散策するとメインの造りはガラス張りのモダンな造りの駅舎でした。また、駅で煙草を買いましたがずいぶんと高価(先進国で購入するのと同じくらい。まあ、舶来ものということか・・・(笑)。物価はだいたい1/5くらいですから、物価で考えると、1つ¥1000以上。(ホテル、みやげ物など観光客が集まるところも高い!))だったのが印象的でした。ホームの隣の大きな部屋がオリエント急行乗客専用の待合場所になっていて、皆、少しの間、雑談を交わし、発車時刻を待っていました。ホームではなにやら団体さんが・・・お、やはり日本のお客さんがプラハからご乗車です。再び、豪華なキャビンにもどり、プラハとさよならです・・・。(15:02発)

 ティータイムの後は、のんびりキャビンで車窓を眺め、東欧の素朴な景色を楽しみました。今晩は少し遅いディナーに予約を入れました。ディナーの予約時刻より少し早めにキャビンを出て、バー・カーで食前のシャンパンを楽しみました。こんな楽しみ方はほかの列車では出来ませんね!今宵もお勧めのワインと内容の違うフルコースで、もう幸せ状態!(現実逃避になりそう!)食事を済ませ、キャビンに戻りました。明日はいよいよパリへ到着です。オリエント急行、ヨーロッパともお別れです。荷造りをし、明日の到着に備えなくては・・・。

 翌朝、2日目の朝と同様、ノックの音とともにスチュワードが朝食を運んできてくれました。朝食の後、手馴れた様子でキャビンのベットをソファーにしてくれます。いよいよパリです。降車準備をしてゆっくりキャビンで寛いで最後の列車の旅に浸りました。オリエント急行はゆっくりとパリ東駅のホームへと入って行きます。(9:10着)

 長い列車の旅で沢山の方々と友好を深められ何よりでした。皆さん、気さくに声をかけてくださってとても楽しい旅行が出来ました。確かに高価な列車の旅ですが十分に満喫し、私達は大満足でした。妻とまた20年後の乗車を約束してオリエント急行の旅は幕を閉じました。 

    ベニス−シンプロン−オリエント急行出発

    ウィーン、プラハとロンドンに・・・

    〇 ウィーン観光

     水曜日、ベニスから乗車された乗客のために木曜日の朝、ウィーンの市内観光があります。
     07時50分に列車がウィーンに到着します。いくつかのグループに分かれ、伝統的なウィーン市内の様子の見学をし、カフェでティータイムをして、正午から午後12時30分の間に駅に戻ってきます。そして、オリエント急行は12時50分に出発します。

    〇 プラハ到着

     18時45分にプラハ駅−プラットフォーム1に到着します。

    〇 プラハからの出発

     15時02分に列車がプラハ駅−プラットフォーム1から出発します。
     プラットフォーム1と隣接している大広間でチェックインを13:30からします。
     出発の最低30分前に駅にきてください。

    〇 プラハからのフランクフルト、パリ&ロンドンへのキャビン割り当て

     プラハ到着以前より乗車された乗客の皆さんは同じキャビンに乗車されるようになりますので、乗車の際、おつけ頂いた荷物のタグは取らないでください。
     しかし、あなたはプラハステーションで再びチェックインしたとき、変更されることもあります。

    私達はあなたのために楽しい旅を祈ります。

    このようなおおまかな日程表をいただきました。(要約文です。)

  (注)Timetableとの時刻に相違がありますが私達の乗車した便は上記、日程表の時刻を目安に運行されました。 

掲載の資料ならびにデータは1996年、乗車当時のものです。現在の詳しいものは下記ホームページを参照してください!あしからず!!!