政権のゆるみ、という謎ワード
東京新聞の記事より
今村雅弘復興相が東日本大震災の被災者らを傷つける発言をして辞任した。事実上の更迭だ。今村氏に限らず、このところ閣僚や政務官の暴言や醜聞が相次いでいる。安倍政権の「緩み」は深刻だ。
問題の発言は二十五日夜、今村氏が所属する自民党二階派パーティーでの講演で飛び出した。
今村氏は東日本大震災による社会資本などの被害額を二十五兆円とする数字を紹介し、「まだ東北であっちの方だったから良かったけど、これがもっと首都圏に
近かったりすると莫大(ばくだい)な、甚大な被害があったと思う」と述べた。
「ゆるみ」という概念とは
閣僚が失言すると、「ゆるみ」というワードが新聞を賑わせる。その言葉は、「今緩んでいるから気を引き締めろよ」というようなニュアンスを含んでいるのだろう。
しかし、この「ゆるみ」というワードは、率直に言って理解しがたいタームである。
東北でよかった、という今村雅弘復興大臣の発言
今村発言の詳細
今村発言の問題は「ゆるみ」ではない
もし今村雅弘復興大臣の発言が「ゆるみ」であり、「ゆるみ」をマスコミが問題にしているのであるとすれば、彼らが問題にしているのは今村雅弘復興大臣の内面ではなく、外見的な取り繕いである、ということになる。
「東北でよかった」という「本音」を口にしたことが問題なのであり、本音は建前の裏にしまっておくべきで、それができなかったのは緩んでいるということだ…彼らの主張はこういうことだろうか。
しかし、今村雅弘復興大臣の発言の問題は「ゆるんでいた」ことではない。
東北の復興を目的とすべき大臣に、「まだ東北でよかった」と口にしてしまうような人物を任命してしまったこと、そのものではないだろうか。
もちろん、日本全体で見れば、首都直下型地震の経済的損失は、東北で起こった東日本大震災よりも少ないかもしれない。そして、例えば経済産業省や、内閣府であれば、そういったマクロな視点で物事を見ることが必要なときもあるだろう。
しかし、である。彼は復興大臣なのだ。東北の復興を目的として、それを専任でやるべき国務大臣である。そのような人間が口にする言葉としては、最悪のものである。
そしてm本音をポロッと漏らしてしまったことが問題なのではない。そのような基本的姿勢を維持するような人間が復興大臣になってしまったこと、それ自体が問題なのであり、「そんなこと口に出しちゃいけないじゃないか、緩んどるな」という種類の話ではないはずだ。
テロ等準備行為だ、という土屋正忠衆院議員の発言
もう一つ、触れておきたい事項がある。
東京新聞の記事より
「共謀罪」法案を審議した二十一日の衆院法務委員会で、法務省の林真琴刑事局長の席に詰め寄った民進党議員に、自民党の土屋正忠理事が「テロ行為だ」とヤジを飛ばしたとして、民進、共産両党が抗議した。
共謀罪の根幹を揺るがす土屋発言
共謀罪(テロ等準備罪)における土屋正忠議員の発言である。これは、共謀罪法案の根幹を揺るがす発言だ。
これは、単なる冗談や軽口ではすまない。
この発言によって、少なくとも土屋議員が、内心では「テロ等準備行為」というのは、自分たちにとって都合の悪いことを潰す、言論に対する脅しとしての要素を持っている、と認識していることが明らかになったからだ。
これは曲解ではない。本音で思っていなければこの種の軽口は出ない。都合の悪いことを潰すために「テロ」という言葉を使っているのではないか?という疑念は、全く解消されていない。
失言はゆるみである、というのは、本音でそう思っていることを容認しているということ
ゆるみではなく本音だ
重ねて言うとおり「緩み」というのは、「本音でそう思っていても言ってはダメだ」という
実は、時事通信の特別解説委員である田崎史郎氏も、同じような発言をしている。
今村さんは全然気持ちが寄り添っていない。でも、政治家は寄り添っているふりはしなければいけないんです
(2017年4月26日 「ひるおび」より)
配慮に欠ける発言や表現が過激なものであれば、「ゆるみ」ということで済ましていいかもしれない。しかし、この二つの発言は、どちらも「ゆるみ」が問題ではなく、本音でそういう姿勢を持っていることが問題なのである。
「東京より東北が震災にあったほうがまだ良かった」
「民進党がこそこそ打ち合わせをしているのはテロ等準備行為だ」
この二つは、どちらもその内面的姿勢そのものが問題であり、議員としての資格を問われるものであり、また大臣に関しては、本来そのような人物を任命してしまった安倍総理に責任がある話である。
マスメディアは、即刻「ゆるみ」という言葉を使うのをやめるべき
「ゆるみ」という言葉を使ってしまうことによって、まるであたかも執行部の言いつけを守れないことが問題であるかのような論調になり、もっとも重要な首相の任命責任はどこかに行ってしまう。
本来、問題にすべきは任命責任であり、大臣としての資質の問題である。国務大臣というのは、失言をしなければいいわけではない。人間的に的確であるかを常にチェックされ、監視されるべき立場にいる。失言そのものではなく、その裏にある人間性をこそ問題にしなくてはいけない。
マスコミは、二階発言に恫喝されることなく、
- なぜなるべきでない人間を復興大臣に任命してしまったのか?
- 本当にテロ等準備剤はテロを予防するためにあるのか?
このような論点を、きちんと主張し、発信していただきたい。