上京して山手線に初めて乗った時、「財布は絶対に死守する!」と気合を入れたことを覚えている。と言うのも、必ず財布をスられると思っていたから。田舎者の思い込みだ。
でも、すぐに悟った。(あれ? みんな注意深くない)
気を張る瞬間と言えば、席が空いた時の先手の取り合い、乗降時のポジション取り、もしくは近づかない方が良さそうな人がいた場合くらい。
そもそも、電車でタバコを吸ってるガキがいない。コンビニでたむろする人間さえいない。気が付けば、僕は東京に来てヤンキーを探していた。そこで初めて、自分の住んでいた地域を客観的に見ることが出来たのだ。……もしかしたら、僕の心象風景にはヤンキーが常にいたのかもしれない。
東京の生活に慣れた僕は、友人のようへいと吉祥寺のカラオケでオール→朝5時に出て、そのまま松屋:吉祥寺サンロード店へ行く定番パターンを築いた。そこで必ず頼んでいたのがビビン丼と豚汁だ。
ビビン丼(公式HPより)
ビビン丼の具材は豚肉、キムチ、きんぴらをコチュジャンで炒めたもの(たぶん)。温玉や青ネギと相まって、ごはんがすすむのだ。
ようへいは一気に混ぜてガツガツ食べる。いわゆる、男らしい食べ方だ。でも、僕は一口一口を味わいたい。なので、温玉崩しには慎重な姿勢を貫いており、味を変えるタイミングに大きな意味を見出していた。そして、どこかそんな自分に自信があった。
ビビン丼を食している人を見る度、心の中で共感と同時に「どんなもんか見てやろう」という意地汚さがあった。メッセージ性を持たせるようなビビン丼を食べる選手権があれば、武蔵野市の予選Aブロックは突破できるだろう、などと考えていたのだ。
でも、その自信はすぐに崩れた。
いつだったか、カウンターの対面に座った女性がいた。その女性はスプーンを持つと、手首をくるっと回転させ、温玉を広げた。僕は、その一瞬に衝撃を受けた。
スプーンを温玉に入れた瞬間、白身と黄身のかたまり具合を把握したのだろう。力の調整を無意識に行いつつ、柔らかな手首のしなりで回転姿勢へ移行。美しい弧を描くスプーン、その残像は虹のように映った。一言で言えば、ビビン丼に魔法がかかった瞬間を目撃したのだ。僕の頭の中は以下の言葉で支配された。
『百花繚乱』
愛おしそうな表情をしていた。けれど、決して目立たずに。しかし、誰よりも力強く。その女性が持つ奥ゆかしさと同時に、ビビン丼への深い愛も感じた。まさに、一つの芸術だった。
……僕が食べたビビン丼と、その女性の魔法がかかったビビン丼。どちらが美味しそうなのかは明白だった。そう、半熟卵を崩すタイミングなど、そんなことはあくまで低レベルな話なのだ。
井の中の蛙であると同時に、経験不足を痛感した。
あれから何度も挑戦したものの、あの境地には辿りつけたことは一度たりともない。あれを手に入れることは、僕の人生ではおそらく出来ない。何年も鍛錬された先にしか得ることの出来ないような、人生がその一瞬で表現されるような類のものなのだ。そう思うことにした。そう思わざるを得なかった。
僕は松屋を通して、東京の大きさ・人の秘めた一面が如何に素晴らしいかを知った。きっと本人は自身の持つ魅力に気付いてないだろう。
そして、松屋を見るたびに、あのスプーン使いの女性を思い出す。
公式HP↑↑
このような人が街にはたくさんいるから、ドキュメント72時間が好きです。