先日、関西在住の知り合いが仕事で東京に来たというので会うことになった。知り合いとはいえ、初めて会ったのは去年のことで、付き合いは浅い。
だから、私はほとんど相手のことを知らなかったのだが、話の中で、話題は「生長の家」のことに及んだ。
生長の家は、戦前から続く新宗教の教団の一つで、創立者は谷口雅春という人物である。谷口は、戦前は日本の軍国主義の体制を支持し、戦後も、右派の宗教家として活躍し、共産主義の脅威を訴え続けた。
ところが、生長の家の方向性は、谷口が亡くなった後に大きく変わり、現在では、谷口の主張を全面的に否定し、エコロジーの実践を中心に据えた教団に変貌している。本部も東京の原宿から山梨県北杜市の山の中に移転した。
その知り合いは、谷口の時代からの生長の家の会員で、現在でも辞めていないという。
生長の家は、方向性を大きく変えただけではなく、近年になって信者数を大きく減らしている。
各教団は毎年、宗教団体を所轄する文化庁の宗務課に信者数を報告しているが、生長の家の場合、1990年に82万1998人だったのが、2015年では52万1100人に減少している。
これは公称の数字で、はたしてそれがどの程度正確なのかは分からないが、その数字だけでも、生長の家は平成の時代になってからの四半世紀で30万人以上もの信者を失ったことになる。
生長の家が教団として相当に衰退してきていることはたしかで、しかも、大きく路線を転換したのだから、その知人がとっくに生長の家を辞めていても不思議ではない。
私はなぜ辞めないのかと聞いてみた。
それにはそれなりの答えが返ってきたのだが、私にはそれよりも、もっと本質的な事柄がかかわっているように思えた。
日本には多くの宗教団体が存在している。とくにキリスト教やイスラム教のような支配的な宗教が存在しないので、その分、数多くの新宗教が生まれている。
主な新宗教としては、生長の家のほかに、天理教、大本、天照皇大神宮教、璽宇、立正佼成会、霊友会、創価学会、世界救世教、神慈秀明会、真光系教団、PL教団、真如苑、GLA(ジー・エル・エー総合本部)がある。
これは、私が『日本の10大新宗教』(幻冬舎新書)で取り上げたものだが、ほかに最近話題になったところでも、幸福の科学や統一教会(現在では世界平和統一家庭連合)などがある。
ただし、数ある新宗教の中で、生長の家はかなり特殊な教団である。
新宗教に人が集まるのは「貧病争」が原因であると言われる。貧困、病気、家庭内の争い事から救われたいと入信するわけである。
とくに病気が直るということは、どの教団も主張することで、生長の家の場合にも、かつては機関誌である『生長の家』を読みさえすれば病気が直ると宣伝していた。
その点では、生長の家も一般の新宗教と変わらないことになるが、明確な「思想」があるという点ではかなり特徴的である。
思想があるということは、その思想を実現するために行動するということであり、政治への関心は自ずと強くなる。
実際、谷口雅春は、太平洋戦争がはじまるとそれを「聖戦」として位置づけ、アメリカやイギリスとの和解を断固退けろと主張した。