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 憲法記念日の夜、朝日新聞阪神支局で記者2人が散弾銃で殺傷された事件から間もなく30年。犯行声明で「反日分子の処刑」を訴えた「赤報隊」とは何だったのか。ジャーナリストの池上彰さんと、政治学者の姜尚中さんに聞いた。

■ジャーナリスト・池上彰さん「読者の共感が大事」

 事件当時はNHKの社会部記者でした。新聞社の支局が襲撃されるなんて、それは衝撃でした。私は以前、広島県の呉通信部(現・支局)にいました。普通の住宅の1階が仕事場で、警備も何もなかった。亡くなった小尻知博さんは呉市川尻町の出身。何となく知っている人のような感じがして余計に痛ましかった。

 言論へのテロでは、中央公論が1960年に掲載した小説の天皇をめぐる描写で右翼が抗議し、右翼少年が中央公論社(当時)社長宅で家人らを殺傷した「風流夢譚(ふうりゅうむたん)事件」がありました。ここから皇室をめぐる議論をタブーとする風潮がしばらく続きました。

 赤報隊の事件では、「言論への暴力は許せない」という社会の後押しもあり、朝日新聞が報道を曲げず、がんばったと思います。

 最近はバランスをとらなきゃいけないっていう意識がやや強くなったように感じます。新聞が異なる意見を載せ、多角的な情報を提供するのはとても大事。でも、紙面でバランスを取る必要はないですよ。

 ただ、マスコミに対して「特権階級が偉そうに」っていう反感もあるでしょう。私の時代のマスコミはまだ、大学で成績が悪かったり、学生運動をやっていたりした人が流れ着く場という面がありました。それが80年代のバブル景気の頃から、就職先としてマスコミがもてはやされるようになった。読者の気持ちと離れていないでしょうか。

 米国ではトランプ大統領の誕生…

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