その男友達とはやましいことは何もしていない。セックスはもちろん、キスだってハグだって、手すら繋いでいない。というかお互いそんな気は最初からさらさらない。
男の家に1人で泊まった、と聞いたら普通は「あっ(察し)」となるだろう。そりゃ私だってそうなる。
しかし私たちの間には何もないのだ。ならなぜ、二人で過ごしているのだろう。
二人分の食事を一緒に作り、一緒にゲームをし、同じ屋根の下で眠る。
彼氏に対して罪悪感を感じていないわけではない。しかし、私はこの状況をかなり楽しんでいる。
しかし私が楽しんでいるのは"この男友達と共にいること"ではなく"この男友達と過ごしている背景"なのだ。
自分で言うのもなんだが、私はかなりの夢豚だ。三度の飯より夢小説。乙女ゲームも夢小説ほどではないがそこそこ齧っている。
私がこの男友達と昨夜や前回過ごした状況。かなり"乙女ゲームでありそう"、"夢小説でありそう"なシチュエーションだった。
1人暮らしの男と一緒にご飯を作る⇒あっこれ夢小説で読んだやつだ
終電逃して泊まることになっちゃった⇒あっこれあるあるなやつだ
寝落ちしちゃって、朝起きたら布団がかけてあった⇒あっこれ乙女ゲームで見たことあるやつだ
朝向こうが先に出かけちゃって、何故か一人お留守番になっちゃった⇒あっこれもうよくあるやつだ
男友達はいいやつだ。よく議論をするのだがそれは毎回白熱して楽しいし、なんやかんや優しいし。
しかし私はこの状況をその男友達で楽しんでいるのではない。その男友達の向こうにある、夢小説乙女ゲーム体験を楽しんでいるのだ。
小さいとき私はキッザニアに行くのが好きだった。それと同じ。この男友達との関わりはすべてバーチャル夢小説乙女ゲーム体験となっている。
ごっこ遊びが楽しいのとも同じだ。夢小説乙女ゲームごっこ遊び。それを楽しんでいる。
男友達のために食器を洗う⇒夢小説の相手の為に食器を洗うヒロインを追体験
男友達のために洗濯する⇒夢小説の相手の為に洗濯をするヒロインを追体験
こんな感じ。我ながら頭がお花畑だとは思うが、本当にこうなのだ。
その男友達が今私が夢豚的視点でお熱なキャラクターに雰囲気が似ていることも大きな要因だと思う。
ちょっと好きなキャラに似ているヤツとのヒロインごっこ。夢小説ごっこ。たーのしー!
夢小説や乙女ゲームといった二次と現実の三次は交わうことはない。はっきりと区別されている。
しかし彼氏や世間の普通の人にはこんな説明はできない。理解されない。