2017年04月22日

けものフレンズは何話が好きですか

 みなさんは『けものフレンズ』全12話でどのエピソードが好きですか?
 私は第1話「さばんなちほー」、第3話「こうざん」、第11話「せるりあん」から第12話「ゆうえんち」に掛けてが特にお気に入りです。


 1話については以前の記事であらかた書いています。とにかく密度が尋常じゃない。
けものフレンズ レビュー・感想 さびれたテーマパークで奏でられる狂想曲
 新しいフレンズとの出会い、ちほーの冒険とフレンズの特徴の紹介、セルリアンとの戦い、別れと素敵な旅立ち……。町山智浩は映画作家の処女作にはその人の資質がすべて詰め込まれていると言っていましたが、それにも似て『けものフレンズ』の1話にはこのアニメの要素がすべて登場しています。
 この作品の各エピソードは、2話から9話では主に冒険旅行とフレンズとの交流、10話から12話の前半に掛けてはSFミステリーとセルリアンとのシリアスバトルが描かれていて、トーンがわりかし分かれているんですよ。にもかかわらず、それが空中分解せずに一つの流れ・一つの作品として成立しているのは特筆に値するところです。そこに視聴者の導き手たる1話が果たしている役割はかなりの比重があると思います。
 あと、1話の最後にオープニング曲「ようこそジャパリパークへ」が流れますが、言ってみればこの曲も作品全体の縮図なんですよね。オーイシマサヨシ謹製のドラマティックな曲展開に、ジャパリパークへの(ダイナミック)入園(あの映像的没入感!)、三人の主人公であるかばんちゃん・サーバル・ボスの集い、フレンズとの出会い、ジャパリバスでの冒険旅行、夕暮れの海辺と意味深な素材による明らかな別れの示唆、そして導入部と逆の構図での、フレンズたちに見送られてのパークの退園……というストーリー性を持った映像が被さってきて、もはや一つの世界観として成立しています。サビ2「ウェルカムトゥようこそジャパリパーク――」でバスが跳ねる躍動感と冒険感、Cメロ「夕暮れ空にそっと指を重ねたら――」のしっとりとした切なさ、Dメロ「ララララ ララララララ――」の上方にパンするカメラとともに募るもの寂しさと来たらと、ありません。個人的な欲を言えば、最終話ではOPのシルエット完成版を流してもらいたかったですね。いやしかし、スナネコはんの「ぼくのフレンズ」2番も凄まじい破壊力だったし、う~ん。
 1話はニコニコ動画であまりにも繰り返し見すぎたので、いろいろ感覚が麻痺しています。


 3話は後追い組である私が「これは確かに並じゃあない、みんなが騒ぐわけだ」とひとりごちた回なので、ことさら思い入れがあります。
 この話の何が凄いかって、荒れた人工施設(ロープウェイのりば)の探索、(次第にお約束のギャグになってくる)ボスのフリーズ、新たなフレンズであるトキとの出会いと習性の紹介、高山の踏破(飛んでだけど)、ジャパリカフェの発見ともう一人のゲストキャラであるアルパカ・スリとの出会い、客足のないカフェという問題の発覚、かばんちゃんの叡知の発揮とフレンズとのアクティビティ、ショウジョウトキの到来という鮮やかなオチ、バッテリー充電のクエスト達成、下山からの、もう一人の相棒とも言えるジャパリバスの劇的発進(「う゛っ!」「……」「危ないよ~」)、Cパートでのばすてきコンビの本格始動というように、イベントがこれでもかと用意されているにもかかわらず、これっぽっちもせわしなくないのが凄いんですよ。1話から続くのんびりとした空気はそのままに、かばんちゃんたちにこれだけの動きをさせているのは地味にとんでもない。たつき監督のタスク管理能力、構成力、間の演出力の高さがもっとも表れているのがこの話ではないでしょうか。
 3話はエピソード単体での完成度もずば抜けていると思います。まずストーリーラインがシンプルでかっちりしているのがグーです。かばんちゃん(並びにヒト)の能力である「コミュニケーション能力が高い」(ハカセ)「困っている子のためにいろんなことを考えつく」(サーバル)がこれ以上ない説得力を以て発揮されているもよい。そして、話の結びで、仲間を捜しているというトキの問題と、カフェにお客さんが来ないというアルパカの問題が、カフェのシンボルとトキの歌声に注意を引かれたショウジョウトキが訪れたことによって同時に打開されるさまがあまりもドラマチックで、言葉を失ってしまいました。あそこのシークエンスを出来すぎだ、ご都合主義だと捉える人ももちろんいるかと思いますが、それはフィクションに対する受容度の問題でしかないでしょう。私はただただ、すがすがしさと作劇の見事さに打ちのめされていました。
 経年劣化した人工物の背景と、それを利用した牧歌的生活というアンビバレンスな日常感も心地よいですね。『ヨコハマ買い出し紀行』や『少女終末旅行』などを例に挙げるまでもなく、荒廃した世界での旅・日常(ポストアポカリプス)というのは、われわれを惹きつけて止まないものです。ある種の原風景なのでしょうか。
 そして、ゲストキャラのトキとアルパカは二人ともが抜群にキャラが立っていますね。自分の世界を持っていて、おそろしくマイペースだけれどやっぱりしたたかで優しくい。私の中でのフレンズのイメージは、けっこうな比重でこの二人に作られていると思います。それに加えて、あの最っ高に変な声が最っ高に素晴らしいじゃあありませんか! 私は『けものフレンズ』をある種の人形劇だと捉えているふしがあるのですが、劇において一度聞いたら忘れられない声というのは得がたいストロングポイントですよね。3話から4話にかけては変声声優のつるべ打ちといった勢いで、耳があまりにも楽しすぎます。
 もう一つおまけに、このエピソードは○○おにいさん・おねえさんの解説まで面白いなのがずるい。「ふ~ん、アルパカってイメージに反して縦社会のルールが……ないんか~い!」



 11話。泣いた、泣いたよ、泣きましたとも。思いっきり早起きしちゃいました。最大瞬間風速は、一度木からずり落ちかけたかばんちゃんが、誰もがあの人のものだとわかるかけ声と共に駆け上がるところでした。
 SFミステリーとしての山場で、1話から常に漂っていた不穏がついに頂点に達する前半パートから、巨大セルリアンとの正面対決へと流れ込む後半パート、無情に潰されるかばんちゃんという衝撃の幕引きまで、ひっきりなしの怒濤の展開で息つく暇もなし。そんな中で、ボスとの初めての血の通った会話、不測の事態での華麗なハンド切り(ぱっかーん)、かばんちゃんの木登り、カバのダメ出し「あなた泳げまして?」「空は飛べるんですの?」「じゃあ足が速いとか?」を真っ向から打ち破ってのダイブ、という今まで積み上げてきたものが一気呵成に襲いかかってくる演出と相まって、私の心はしっちゃかめっちゃか、どったんばったん大騒ぎでした。続く12話の、サーバルを冷遇していたように見えたボスとの本音での会話、フレンズ全員集合からの怒濤の加勢、映像的にも息を呑む美しさの、サーバルちゃんのエンチャントファイア紙飛行機、そしてラストの、一目で1話のリプライズとわかるお別れまで含めて、あまりにも丁寧で堅実な仕事です。ヘラジカ監督の作劇の姿勢、奇をてらわず実直に一つ一つ伏線や前振りを積み重ねていくスタイルって、今の市場では逆に珍しいんでしょうか。
 あと、シリアスパートのゲストキャラ代表であるヒグマが、巻きの展開の中でキャラが確立されていて地味に凄いと思いました。あの進退窮まる状況の中で、かばんちゃんたちやハンターの同僚たちにあえて逃げる選択肢を残すところに、ぶっきらぼうなやさしさやハンターとしての誇りがにじみ出ていてぐっときました。対決の後にハカセたちにいじられるポジションに収まっていたのもおいしいですね。
 最後に、11話から12話に掛けてをリアルタイムで触れられたのは本当によかったです。私は11話放映直後にニコニコ動画1話を見たのですが、冒頭から阿鼻叫喚のコメントが溢れ、たつき許さねぇという怨嗟の声とたつきを信じろという祈りの声がクロッシングしていました。そして、戦闘力として真っ当なカバはいいとして、シマナメクジから第3の壁の向こうにいるしんざきおにいさんまでありとあらゆるものに助けを求めるコメントが溢れていて、少し笑ったのをよく覚えています。んで、サーバルちゃんが木登りを教えてくれるところで、予測はしていたのにやっぱりぼろぼろ泣いてしまいました。
 12話の放映後の1話は一転して、「たつきありがとう」と監督を賛美するコメントや、森羅万象に感謝を捧げるコメントで一新されていたので、またまた笑ってしまいました。あの時の一体感、ライブ感は、例えようがなく心地よかったですね。『けもフレ』は動画コメントの文化や匿名掲示板・SNS文化とも奇跡的にマッチしたアニメだったと思います。

 以上、長々と語ってしまいましたが、みなさんのひいきはどのエピソードで、どのフレンズでしたか? 『けものフレンズは』はそれをいろんな人に聞いてみたくなるアニメでした。
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tags: 百合 

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