四月 26

黒煙の世界へようこそ

今年活動20周年を迎えた、東京の最狂集団BLACK SMOKERに迫る

By Yuko Asanuma

 

そのステージの上には3名の演者がいた。向かって左側には華奢な体に真っ白な長髪と髭をたたえた84歳のベーシスト、鈴木勲。ダブルベースではなくヴィオラ・ダ・ガンバをカスタムしたベースの弦を、その風貌には不釣り合いなほど機敏に荒々しく弾いている。右側にはシリアスな表情で、会場の空気を切り裂くようなエレクトリックトランペットを吹く近藤等則。いずれも日本ではジャズに特別な造詣がなくとも名前は知っているような、まさにレジェンドと言われるジャズミュージシャンたちだ。ここは中野のHeavy Sick ZERO。東京でアンダーグラウンドなヒップホップやブレイクビーツ、エレクトロのシーンに関わっていれば、一度は訪れているであろう小さめのライブハウス/クラブである。

 

この2人を同じステージ上に呼んだというだけでもなかなかの事件だが、その中心には、完全なる即興セッションをリードしている大柄の男、KILLER-BONGがいる。彼はマイクを握りしめ、何やら呪文のようなラップのような、唸りのような声を絞り出しながら、サンプラーでビートを叩いたり、エフェクターで音を歪めたりしている。明らかに従来のジャズミュージシャンではないが、なぜかこの日本が誇るジャズの巨匠たちに全く引けを取らない存在感と音で、今までに聴いたことがない音楽を鳴らし、それほど大きくはないフロアをぎっしりと埋め尽くした100名ほどの聴衆を圧倒している。皆が暴走する車が障害物にぶつかって大破しないよう見守っているかのように、ルートも目的地も見えないスリリングな3者の走りに釘付けになっていた。これはジャズなのか、実験音楽というやつなのか、それともヒップホップの進化系なのか? 当事者たちもこれにはっきりと答えることは出来ないだろうが、二つはっきりしていることがある。これが "ヤバイ" 音楽であるということと、BLACK SMOKERの仕業であるということだ。

 

これは先日3月26日に開催された、BLACK SMOKER主催のイベント、「JAZZNINO」での出来事。確かにこの日のハイライトとなるパフォーマンスだったが、彼らのイベントでこのような「事件」が起こることは珍しくない。それどころか、しょっちゅうだ。いや、いつも、と言ってしまってもいいかもしれない。主力イベントである「EL NINO」、DJ NOBUの主催する「FUTURE TERROR」との合同イベント「BLACK TERROR」、ビジュアルアート作品の展示を中心とした「BLACK GALLERY」、より実験的な音楽とアートに重点を置いた「BLACK XXX」、独自の切り口でジャズの新解釈を提示する「JAZZNINO」、ダンスや演劇的パフォーマンスアートと音楽を融合させた「BLACK OPERA」といった彼らのイベントには、ジャズの偉人から、パフォーマンスアーティスト、ハードコアバンドにコンテンポラリーダンサー、絵描きもラッパーも、テクノDJも執筆家も出る。標準を逸脱したような人たちばかりが、こぞって出る。

 

 

 

KILLER-OMA

 

 

イベント/パフォーマンス集団なのかと言えば、それだけではない。BLACK SMOKER RECORDSというレコードレーベルでもあり、こうしたイベントの企画制作と並行して、平均して約月1枚という驚異的なペースで作品を出しまくってもいる。それを彼らは20年もやっている。正確に言えば、今年が “公式には20周年” ということになっている。よほど組織的に展開しているのかと思えば、究極のインディペンデントで、実質的な運営スタッフは1人。作品のリリースはCDあるいはCDRというフォーマットが大半を占め、ディストリビューションもプロモーションも自分たちでやる。これまでデジタル配信もごく一部しかやってこなかったので、オンライン上で聴ける彼らの作品といえばYouTubeやSoundCloudでもほんの僅かだ。だが実際にはこれまで約250タイトルの作品を世に出してきた。その内容はオリジナルアルバムだけでなく、DJミックス、ライブ録音、謎のエディットやコラージュ作品で、扱う音楽ジャンルやスタイルもかなりストレートなヒップホップやダブ、テクノから、極めて抽象的なエレクトロニカやアンビエント、ノイズ、さらにジャズ、レゲエ、民族音楽など、掴みどころがないようで、揺るぎない芯が真ん中に通っている。そのほとんどは初回プレス売り切りで、滅多に再プレスされることはない。

 

BLACK SMOKERとは何なのか、誰なのか。彼ら以外に、はっきり答えられる人はいないし、彼ら自身はっきりとした定義はどこにも出していない。当事者たちは顔を明かそうとしないし、ファンもそれを尊重してきた。でも、過去20年間(か、それ以上)に日本国内でオルタナティブな音楽シーンに少しでも関わってきた人なら、必ずその名前を知っている存在だ。だがこのご時世に、画像検索してもWikipediaで調べても、はっきりとした情報はない。日本語でさえもそうなのだから、日本国外においてはほとんど情報が出ていない。Discogsにさえ、カタログのほんの一部しか記載されていない。これだけ日本の音楽やアーティストに注目が集まっている現在でも、BLACK SMOKERはアノニマスかつアンタッチャブルな存在だ。しかし、日本各地の地下シーンのあらゆるジャンルの異端児、あるいは奇才たちをまるで巨大なマグネットのように引き寄せ、得体の知れない黒い創造性の塊となったBLACK SMOKERは、もっと多くの人に知られるべきだし、聴かれるべきだ。その20年の軌跡、ましてや全貌をこのような記事一つで伝えることは到底出来ないが、これが彼らを知るきっかけになればと思う。

 

 

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都内某所、取材という名目で彼らの事務所を訪れた。K-BOMB(aka KILLER-BONG)とJUBEがそれぞれの定位置らしい、パソコンの乗ったデスクの前に置かれたオフィスチェアに腰掛けている。片側の壁にはぎっしりと過去のリリース作品がストックされているが、それ以外はオフィスというよりは同好会の部室のような雰囲気だ。

 

「BLACK SMOKER RECORDSは俺が若すぎる頃に作ったから、THINK TANK結成より前なんだ。他に所属するより自分でレーベルやった方が全てがいいからさ。最初っから全部自分で出してたんだよ。だから本当は20周年じゃない。25周年くらいなんだ」と、その始まりを語り出したK-BOMB。それを聞いて苦笑するJUBEを横目に、「一緒にやり始めて20年ってことなんだよ。THINK TANK始めた年から20年だから20周年ってこと」と続けた。

 

THINK TANKとは、現在は活動を休止しているヒップホップグループで、K-BOMB JUBE、BABA、NOX(D.N.A.)という4名のMCと、DJ YAZI、WADAKEそしてサックス奏者兼エンジニアのCHI3-CHEEから成る。結成は97年、西麻布のクラブSpace Lab Yellowで開催されたBusta Rhymesのコンサート中の楽屋だったという。この時点でJUBE、BABA、YAZI、NOXは既に共に活動しており、Shot Shell Clickというグループのメンバーとしてこの日のフロントアクトを務めていた。「YAZIは地元の後輩で、一番付き合いが長い。Naked ArtzのMILIの紹介で最初JUBEに会ったのが94年くらいかな」とBABAが記憶を辿る。「96年にはJUBE+BABAでCD出してるもんね。この日のBusta Rhymes以外にもOrganized Konfusionとか、Big L、Show Biz & AGとか… 客が千人くらいいるのに俺がリリック忘れたこともあったなぁ」とJUBEも当時を思い出す。「あったね! Bustaの時は “DJ YAZI!” って言ってもらって録ったりしたよね。すげー何回も言ってくれてさ。あれまだ残ってんじゃない?」と言うBABAに、「結局あれ、まだ使ってないっすね」とYAZIが応えてみんなが笑った。

 

 

 

 

ここにいる4名が、THINK TANK結成から現在まで、継続的にBLACK SMOKERの中核を担っているメンバーだ。創設者はK-BOMBということになり、いわゆるレーベルマネージャーの役割をJUBEが担っている。二人はそれぞれMCとしても活躍し、THE LEFTYというユニットも組んでいる。K-BOMBは彼の呼び名にもなっているが、アーティスト名としてはラップをするときの名義であり、より幅広い音楽活動はKILLER-BONGの名前でやっている。即興パフォーマーでありながら、スタジオプロデューサーとしての顔も持ち、LORD PUFFだとかBMOBKだとかPlantaziaだとか気まぐれに名義を変えたり作ったり、また鈴木勲とのKILLER-OMA、ダモ鈴木とのKILLER-DAMOといったコラボレーションも多数あったり、とにかく誰も把握し切れていないほどの膨大な作品を出し続けている。少し後になって事務所に現れたYAZIは、唯一のBLACK SMOKER専属のDJ。彼は長い間グループのバックDJを務めながら、個人でクラブDJとしても活躍しており、近年ではFUTURE TERRORのHARUKAと共にTWIN PEAKSというライブユニットとしても活動。仕事の後に遅れて駆けつけてくれたBABAもまた、マルチな才能の持ち主で、MCとしてだけでなくBLUE BERRY名義でプロデュースとDJも精力的に行いながら、Skunk Headsというバンドをやったり、WRENCHのMurochinとDooomboysというユニットをやったり、Black Mob Addictというレーベルを主宰したりもしている。4名が揃って事務所に集合したのはかなり久々だという。ビールやつまみが持ち込まれ、これから宴会が始まりそうな雰囲気だ。4人目のBABAが仕事後に駆けつけ部屋に入ってきた時、K-BOMBが実に嬉しそうにこう言った。「BABAはいい人間になったよな〜。もう最高なんだ、一緒にいるだけで。家族みたいなもんだよなぁ。年を重ねるほどに関係性は良くなってる気がするね。」20年の間には様々なドラマもあっただろうが、この年齢になっても同じ感性と好奇心と美学を共有し、まるでティーンエイジャーの仲間同士のように、ふざけて笑い合う彼らが何だかとても羨ましく感じた。

 

 

 

DOOOMBOYS - Black Dali

 

 

話を97年に戻そう。Busta RhymesがYellowのステージで「Woo Hah!」と歌っているその裏で、K-BOMBがJUBEらの楽屋を訪れて一緒に組まないかという話を持ちかけていた。「その頃K-BOMBはDABO君と組んでましたからね。しょっちゅう顔は合わせていたけど、いわばライバル関係にあった」とJUBEが言う。DABOはご存知のように、その後間もなくしてNITRO MICROPHONE UNDERGROUNDを結成して人気を博し、Def Jam Japanの顔とも言える存在となり、日本のヒップホップ界で最も成功したアーティストの一人である。そのDABOと当時はChannel 5というユニットを組んでいたK-BOMBだったが、彼は全く異なるキャリアを選んだ。「その頃メジャーからのオファーも何社も来たけど全部断った。で、何が面白いのかなって考えた時に、“敵と組むのが一番面白い” って。何で敵なのかっていったら、良いからであって、悪ければ敵にすらならない。だから、他から面白い奴引き抜いて、新たに作ったグループがTHINK TANKなんだ。」

 

 

 

THINK TANK - Right Here Right Now

 

 

ここに、それほどまだ長くなかったジャパニーズヒップホップ史上でも類を見ない、異端のグループが誕生した。「それぞれ少なからずTHINKTANKを組むに当たって迷惑をかけた人がいるわけで… 自分たちだけの色を作る事や自分たちだけで全部やるみたいな事に躍起になってましたね。そんな時レゲエやジャズの人達とセッションすることは一時の安らぎであり、また新しい発見の場でした。みんな優しい人たちだったし…」と、JUBEが豪快に笑いながら、彼らの音楽性がいわゆる正統派なヒップホップから外れていった、もう一つの背景を暴露する。「キャッチーな普通の曲なんて誰でも作れんだから、つまらない。あとね、歌が覚えられないってのもあるんだよね。全然覚えられない。自分の曲をまともにライブでできない」と、どこまで本気なのかよく分からないK-BOMBが言う。

 

BLACK SMOKERという名前は、2010年のとあるインタビューでK-BOMBが語ったところによると、たまたまテレビでやっていたドキュメンタリーで見た、多くの硫化物を含むため人間にとっては猛毒であり、海水に触れることで黒く変色するという、深海の熱水噴出孔「ブラックスモーカー」にちなんでいるという。「それがエルニーニョ現象の原因になってて、世界を狂わせてるっていう話で。それを観てたら、なるほど~ってなっちゃって。俺のことじゃないかと思って。」

 

これに従い、彼らのメインのイベントシリーズは「EL NINO」と名付けられ、同年97年に渋谷のOrgan Barで開始された。「当初は毎週やっていて、DJしたりラップしたり毎週ファミリーが集う場所みたいな。客も殆んどいなかったし、イベントなんて呼べるものではありませんでした。イベントが池袋のbedに移ってからは、DJ以外の人達とセッションライブをしたりして、異種格闘技戦のような感じで次々と交流が出来ていきました。何か音楽的なまとまりが出来たから別途 “JAZZNINO” をやってみたのはYellowが最初。当たり前だけど自分たちでリスクを負ってやってるから、何をやってもいい。それはやりすぎでしょうって人から言われるのが、次の挑戦への原動力です」と、イベントの企画・制作でも中心的な役割を担っているJUBEが説明する。

 

97年を区切りとして数えた最初の10年間は、BLACK SMOKER = THINK TANKであったと言っていい。レーベルからもTHINK TANKメンバーの変名やコラボレーション、別プロジェクトなどをリリースした。2002年には、THINK TANKの代表作と言える、その名も『BLACKSMOKER』というアルバムを出している。2004年にはジャズミュージシャンの永田利樹(ベース)と早坂紗知(サックス)、パーカッショニストのWagane Ndiaye Rose(父はセネガル国宝のDoudou Ndiaye Rose)とTHINK TANKメンバーのフリースタイルセッションを『JAZZNINO』という作品としてもリリースしている。

 

BLACK SMOKER RECORDSにとって一つのターニングポイントとなったのが、ちょうど(あくまで便宜上ではあるが)10年という節目の2007年に、初のミックスCDをリリースしたことだった。元Buddha Brandのラッパーで、当時すでにソロアーティストとして活躍していたNIPPSのミックスだ。「デミさん(NIPPS)には、俺が名前変えて曲作って提供したりしていたから頼みやすかった。最初はDJじゃない人にDJミックスを作ってもらおうって考えだったんだけど、そのうちいいDJの人たちといっぱい知り合っちゃって」と、K-BOMBが言う通り、彼はNIPPSが2002年にUniversal Musicから発表した初のソロアルバム『Midorinogohonyubi Presents Midorinogohonyubi Music / One Foot』収録のトラックをLORD PUFF名義で多く手がけている。現在では80枚以上(!)リリースしているというミックスCDシリーズは、その後BLACK SMOKER RECORDSの音楽性とネットワーク、さらにリーチを広げていく。原雅明や中原昌也、DRY & HEAVYの秋元武士、灰野敬二、根本敬、ラッパーのECDや田我流、LAのRas GやSan Gabrielなど、多彩な “DJ” がこれまでフィーチャーされてきた。そしてもうすぐMerzbowが次のミックスをリリースすることが決まっている。

 

2007年にはミックスCDだけでなく、初の外部プロジェクトGarblepoor!のオリジナルアルバムもリリースし、明らかにBLACK SMOKERが外向的に性格を変えている。「大人になるに連れて、まあ人とやってもいいかって気分になっていった。それまでは人が部屋に入ってくるのさえも嫌だったから。こういうインタビューも大嫌いだったし」とK-BOMBは心境の変化を語る。「この頃からあらゆる方面の人たちと一緒にパフォーマンスやったりイベントやったりってことを、積極的にやるようになっていった。俺たちはそれぞれが独立している個人の集まり。それぞれが共和国を持っていて、BLACK SMOKERはいわば連邦ってこと。10年前までは連邦同士でないと取引しないっていう鎖国状態だったのが、それぞれ共和国単位でも取引するようになったから可能性が4倍に増えた。同じ頃に、それまで練馬にあった拠点が高円寺に移ったことも大きいかもしれない。」(JUBE)

 

高円寺にはもともと独自のインディペンデントな音楽シーンがある。BLACK SMOKER作品のアートワークの多くを手がけ、KILLER-BONGと共にレーベルのビジュアルアイデンティティを作り上げたと言っていいKLEPTOMANIACを始め、一癖あるアーティストがたくさん住んでいて、そういった人たちの溜まり場のようになっている場所がいくつかある。その一つが、東高円寺の小さなDJバー、Grassrootsだ。「Grassrootsに行くようになったり、DJ HIKARU君と知り合ったくらいから凄い広がっていきましたね。MASA(Garblepoor!のバックDJも務めるDJ Conomark)がGrassrootsで働いてたのもあったし」と言うのはJUBEだ。YAZIもこう続ける。「その頃HIKARU君が月曜日に帯で “月光” っていうパーティをGrassrootsでやっていて、まだ月曜日は週末って感覚だったんで、毎週行ってましたね。そこで今に繋がる人にたくさん会ったかな。自分のDJも影響受けました。それまではインストのビートものとか、遅めのブレイクビーツみたいなものを中心にかけてました。パーティはテクノを含め色んなものに行ってたんですが、HIKARU君やNOBU君に出会い、自分のDJプレイの意識が大きく変わりましたね。だからって今まで培ってきたことも無駄にはしてません。THINK TANKのライブDJでスクラッチする時も、他のヒップホップDJが使ってるのと同じようなネタでは擦りたくなくて。気づいたらMorton Subotnickとか買ってました。」YAZIもGrassrootsでプレイすることが増え、K-BOMBもDJを始めるようになった。ConomarkもHIKARUも、その後彼らのミックスCDシリーズに登場している。

 

現在ではTakaaki Itohとテクノパーティの主催もしているYAZIについて、K-BOMBはこう言う。「俺はYAZIがテクノに行ったのは当然だと思ってる。テクノへの流れは必然。当たり前。それは随分若い時から曲を作っているからから何となく解明しちゃったんだよな。仮にレゲエやヒップホップから入って、ジャズ聴いてロックを聴くその最中にノイズ聞きながらダブみたいなものからハウスいって、テクノいって、っていうさ。DJとか見てると一流は全部を知っている。違うジャンルでも似た様な道を辿ってるんじゃねーかってのをある時発見しちゃって。世界的にそうなんじゃないかと。ま、俺がそう思ってるだけかもしんねえけど(笑)。YAZIは昔からTHINK TANKのライブでもテクノのトラック使ったりしてたから、そういう鳴りが好きなんだよ。」

 

 

DJ YAZI @ Black Smoker Records x New Assembly Tokyo

 

 

蛍光灯を楽器 “オプトロン” として演奏するアーティストで、Carsten Nicolaiと共にDiamond Versionのサブメンバーとしても活動する伊東篤宏も、この頃同じく高円寺にいたコンテンポラリーダンサー東野祥子の誘いで、K-BOMBと共演することになった。東野祥子のVJをよく担当していた映像アーティストRokapenisは、BLACK SMOKERの映像制作も多く手がけ、VJとしてもほとんどのイベントに出ているという繋がりがあった。伊東が最初の出会いをこう語る。「前からBLACK SMOKERの存在は一方的に知ってたけど、直接会ったことはなくて。2007年か2008年にBABY-Q(ダンスカンパニー)の東野祥子ちゃんの企画でK-BOMBと一緒にライブをやることになって。それをJUBE君が見ていて、面白がって “EL NINOに出ませんか?” って言われたんだよね。」

 

 

 

VELTZ+伊東篤弘+カイライバンチ @ Black Smoker Records x New Assembly Tokyo

 

 

「うわー! やべえのいた! って思って、すかさず誘いました」と言うJUBE。以来、ずっと付き合いが続いている。伊東との出会いによってBLACK SMOKERはまたこれまでとは異なるシーンへのパイプができ、チャレンジ精神旺盛な伊東にとっても彼らは退屈とは無縁のコラボレーション相手となった。「1回色物的にやって終わるのかと思ったら、“THINK TANKのラストツアー、一緒にやりませんか” ってメールが来て。活動休止前のTHINK TANKのライブで何度もやりましたね。僕は元々2000年代の前半はOFF SITEっていうギャラリーに関わっていて、もう少しアカデミックな人たちや、インプロヴィゼーションとかジャズ流れの人たち、ちょっとおかしなロックやノイズの人たちと交流があった。でもそれはそれで広がりがないなと感じていたところでした。僕もなるべく異種格闘技戦には挑むようにしている。だから感覚が合ったのかな。最初は4人のラッパーと一緒にどうやったらいいのか全然分かんなかったですけどね(笑)。アカデミックなものとストリートなものを繋げているレーベルって日本には他に見当たらない。とはいえ、BLACK SMOKERみたいな集団は他のどこにもいないと思いますけど!」(伊東)

 

 

 

BLACK XXX

 

 

「伊東さんのことは結構頼りにしてるんですよ」と言うJUBEに、伊東はこう応える。「ただくっつければいいってものじゃないから、合わせたら面白そうな組み合わせを考えて。紹介できる人は紹介するような図式には今なってますね。僕もそれが楽しいから一緒にやらせてもらってる。それに、何と言ってもBLACK SMOKERの実行力と速度! アカデミックな人たちと何かやろうとしても、アイディア出しから行動に移すまでのその遅さたるや(笑)。その点、BLACK SMOKERはちょっぱやです(笑)。その、スピード感で絶対にチャンスを逃さないっていうところには絶大な信用を置いてます。」

 

伊東が指摘するように、BLACK SMOKERのイベントの企画から実行、作品の決定から発売までの速さは尋常ではない。ほぼ毎月リリースがあるので、そのリリースパーティが毎月あり、さらに不定期で開催している「EL NINO」などの複数のショーケースイベントには相当数の出演者が毎回違った編成で違ったことをやる。「俺はいつも色んな人に聞いているんですよ、“誰かおもしれえ奴いないの?” って。“伊東さん、まだ隠してる人いるでしょ?” って(笑)。この前もK-BOMBが近藤等則さんとツアー回ったから、“今度鈴木勲も一緒にトリオで出ませんか?” ってすかさず誘いました。そういういい流れとか勢いは逃さないようにしてるかな」と言うJUBE。

 

 

 

BLACK OPERA vol.001

 

 

彼らについてもう一つ特筆すべきことは、その求心力である。既に触れた鈴木勲、近藤等則、ダモ鈴木、中原昌也らだけでなく、菊地成孔、大谷能生、山川冬樹など、BLACK SMOKERのイベントには錚々たる面子がセッションに参加してきた。JUBEによると、「最初はたまに、“K-BOMBさんにこの人と一緒にライブしてもらいたい” みたいなリクエストがメールで届く程度でした。全く知らない人からも来ます。K-BOMBから人を誘うことはほとんどありませんが、俺はいつだってK-BOMBの対戦相手になりそうな面白そうな人を探してます。だいたいの人は “大物” と対峙した時、相手を立てた上で自分も生きよう、上手くやろうと考えてやる。でもK-BOMBはそうじゃない。打合わせもなし、時には相手と一言も交わさずに凶暴な音とその声で、その瞬間、瞬間をメイクするんです。なんだこいつは? おもしれえ野郎だなってなるんですよ。鈴木勲さんからもラブコールが凄い。“俺とK-BOMBが最狂のデュオだ!” って麻雀しながらいつも言われます。」

 

 

KILLER-OMA @ Black Smoker Records x New Assembly Tokyo

 

 

「“K-BOMBちゃんは勘がいいから” って。それにカワイイからね、俺」とK-BOMBが言うように、40歳以上の年と経験の差があるはずの2人は、同年代の友達のように仲が良さそうで、全くギャップを感じさせない。「鈴木勲さんとの出会いは、鈴木さんの相棒だったドラマーの冨樫雅彦さんって人が亡くなった時に、冨樫さんの『シーン』っていうアルバムを、THINK TANKを最初に出してくれたAlpha Enterpriseっていうレーベルが(権利を)持っていて、“使えるけど何かやらないか” って話が来て。ダンスミュージックに再構築するっていうトリビュート作品(『Togashi Dub Murder Scene』)を作ったら、それがなんか先方に伝わったみたいで、鈴木さんに会ってみませんかって話になって。会ってみたら意気投合しちゃって。俺は1回一緒にやった人とはそんな何回もやらないんだけど、勲さんだけは何回やっても面白い。いろんなところに誘ってくれるしね。ジャズフェスティバルとか。Blue Noteとか。」尚、この『シーン』というアルバムは、昨年BLACK SMOKERが約30年ぶりに再発している。

 

 

 

最新作 skillkills - The Shape of Dope to Come feat. 向井秀徳、K-BOMB

 

 

「新しいこととか “初めて” やることにワクワクするんですよ。振り返ったり、立ち止まったりもほとんどしない。どんどん動いていって、その先にある点を線で繋いでいく。自分でももはや制御不能です。」(JUBE)

 

だからBLACK SMOKERを把握することは難しい。リリース全てをフォローするだけでも大変だが、CDに落とし込まれる前の最新の実験がイベントという形で行われ続けている。かと思えば、その間にこつこつと次なる作品がスタジオでも作られている。彼らは常に、先へ先へと進んでいる。誰にも追いつけないし、定義などできようがないのだ。「ずっとやってると上手くなっちゃうからね。ラップとかもうクソ上手いよ。だから上手くないことやりたい。米とかチャレンジしたい。すっごいやつ出したいね!」と、またK-BOMBがふざけているようで、真髄をついているようなことを言った。「一度ね、アルバムの制作からマスタリング、デザインから販売まで何日で出来るかっていう実験をしてみたことがあって。4日で出来た。俺はね、グラフの浮き沈みみたいに、山を登るような感じのものを出したら今度は降るようなもの、完成度の高いものを出したら今度はクソみたいな実験的なもの、っていう風に出すようにしてる。“売らない” っていうのもビジネスの一つの方針。みんな売ろうとするから売れなくてガッカリする。売らない、売る数を最初から決めてしまえば逆に楽。逆に価値のある面白いものが出せる。」

 

レーベルとしてのポリシーはいたってシンプルだ。JUBEが当たり前のようにはっきりと言い切った。「とにかく、カッコいいと思ったものしか出してません。知り合った “本物” の人たちを出すように心がけてます。こいつはヤベエな、って人たちを。これは出さなきゃマズいぞ、と思えるもの。今の流行りとかじゃなくて、一生モノだけ。それが売れたら最高ですよ。」ただ自分たちがカッコいい、ヤバイと信じること、面白いと思えることを続けてきただけ。そこには感動的なほど迷いがなくブレもない。それが本来のアーティストの姿であり、レーベルの姿であるはずなのに、いつの間にこの音楽産業というやつは打算的なことばかり考えるようになってしまったのだろうか。彼らほど、純粋にそう宣言し、実行に移し、継続できている者はどれくらいいるだろうか。彼らが築き上げる、真っ黒な煙に満たされた世界。実はその奥に強烈な光があり、そこに人々は一番強く惹きつけられてるのではないだろうか。BLACK SMOKERのやってきたこと、やり続けていることを振り返って、そんなことを考えた。

 

「全方向に、いろいろな人を巻き込みながら、あえて自分達ですらだれも予想できない方向へと転がり続ける。そうやってできた歪な塊がBLACK SMOKERなんです。」(JUBE)

 

「最初っからもうイカれたことばっか考えてたんだから。この先もイカれたことばっか考えていくんだよ。」(K-BOMB)

 

 

 

 

Photo: Jun Yokoyama

 

Header visual: Kleptomaniac for Black Gallery