三遊亭圓歌師匠が今月の23日にお亡くなりになった。師匠の「中沢家の人々」という落語は、自叙伝のような内容で、完全版は1時間を超える内容になる。この噺は数ある落語のなかでもいちばん好きな噺だ。
師匠が昭和4年生まれであるから、昭和のほとんどを網羅した内容となっている。この噺はぜひ音声だけで、目をつむって聴いてほしい。寝るヒトは寝るかもしれないけど。ていうかYouTubeにあげたヒトも「安眠用」とか書くんじゃない(笑)
でもほんとうに聴いているだけで、そのときどきの情景が目に浮かぶのである。生まれてもいないというのに。いちばん好きなエピソードは、18分ごろに出てくる、3軒隣に住んでいた小川宏さんの話だ。
子どもの時分、小川さんが吃音で、そのマネをしていたら、自分もなってしまったという、テレビじゃまずできないであろう話。吃音のせいで戦時中殴られたり、斬られそうになったというのに、それを爆笑ネタに変えてしまう。
その江戸っ子らしい、きっぷのいいあっけらかんとした話術はさすがとしかいいようがない。自分の両親、亡くなった先妻の両親、再婚した妻の両親の6人との同居の話も爆笑ネタに早変わりである。
「中沢家の人々」は現代社会においても存在する、普遍的な生きるテーマがふんだんに盛り込まれているし、自分が大変だったころのことをさらけ出しつつ笑わせることは、笑っているヒトを楽しい気分にさせる。「中沢家の人々」のベースは人間愛だ。
小川宏さんも去年の11月にお亡くなりになり、天国で子どものころを思い出したのだろうか。もしかしたら「あ・あきおちゃん。ががが学校にいこう。」なんていって、師匠を僕らの前から連れていってしまったのかもしれない。
今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。