「まだ東北で、あっちの方だったから良かった」。東日本大震災をめぐり、こう語った今村雅弘復興相が辞任した。

 関連死を含め2万2千人近い犠牲者が出た現実が目に入っているとは思えない暴言である。辞任は当然だ。

 今村氏の暴言は初めてではない。今月初めには原発事故の自主避難者が故郷に戻れないことを「本人の責任」とし、行政の対応に不服なら「裁判でも何でもやればいい」と述べた。

 被災者に寄り添うべき復興担当相として、許されるはずのない発言だった。

 ■首相が「忖度して」

 だが安倍首相は今村氏をこの時は続投させた。「安倍1強」の数の力をたのんだ、首相の明らかな判断ミスである。

 そしてそれは、巨大与党のおごりと慢心が次々に噴き出す現状の一コマにすぎない。

 「ボケ、土人が」と沖縄県で警察官が市民に言った問題で、鶴保庸介沖縄相は「『土人である』と言うことが差別であると断じることは到底できない」と繰り返し、取り消していない。

 山本幸三地方創生相は観光振興をめぐり「一番のがんは文化学芸員。普通の観光マインドがまったくない。この連中を一掃しないと」と、学芸員の仕事を一方的に批判した。

 「記憶に基づいた答弁であって、虚偽の答弁をしたという認識はない」と言ったのは稲田朋美防衛相だ。国会答弁がままならず、官僚に頼り切りの金田勝年法相も忘れてはならない。

 一連の閣僚の発言に通底するのは、国民を上から見下ろすような視線である。

 そして国民と同じ目の高さに立とうとしない閣僚の態度は、沖縄県や多くの県民の反対を押し切り、辺野古埋め立てを強行した政権の強権姿勢と重なる。

 政権を率いる安倍首相の発言も問題が多い。

 森友学園への国有地売却問題で、首相本人や妻昭恵氏に対する官僚の「忖度(そんたく)」がなかったか。そのことが焦点になるなか、首相は先週、「よく私が申し上げたことを忖度して頂きたい」と語り、笑いを取った。

 東京・銀座の商業施設で全国の名産品を読み上げた原稿に、地元・山口県産品がなかったことを指摘しての軽口だ。

 ■「1強」が生む慢心

 国会で野党議員から「(森友問題での)政府の説明に納得できないが8割」との世論調査結果を示されると、「その調査では内閣支持率は53%。自民、民進の支持率はご承知の通り」とはぐらかした。

 閣僚たちの言動は、こうした首相の姿を反映しているように見える。

 確かに内閣支持率は安定している。その理由を朝日新聞の世論調査でみると、「他よりよさそう」が最も多い。

 「安倍1強」のもと、直ちに政権を担えそうな野党が見当たらない政治の現状を、有権者があきらめ交じりの目で眺めている。そんな姿が浮かぶ。

 雇用が拡大して景気がそれなりに順調なことや、東アジアの緊張が高まっていることも、政治に変化を求めたがらない世論を形づくっているようだ。

 1980年代後半からの政治改革で、首相への権力集中が進んだことも背景にある。

 選挙の公認権や政党交付金の配布に加え、官僚の人事権も掌握した政権中枢には逆らえない雰囲気が自民党内に広がる。

 反主流派が消えたいま、閣僚の暴言への批判も、ましてや首相への異議申し立ても小さくなるばかりだ。

 ■反省しない巨大与党

 しかしここへ来て、政権の慢心は度を越している。

 「数におごり、謙虚さを忘れれば、国民の支持は一瞬にして失われる」

 2014年の衆院選に勝った時も、安保関連法をめぐって国会が混迷した時も、首相はそのように語った。だが昨年の参院選後の記者会見では口にしなかった。自民党が衆参両院で27年ぶりに単独過半数を獲得したからだろうか。

 自民党は反省していない。今村氏が辞任したきのうも、そう思わせる発言があった。

 二階俊博幹事長である。

 「政治家の話をマスコミが余すところなく記録をとって、一行悪い所があったら『けしからん、すぐ首を取れ』と。何ちゅうことか。それの方(マスコミ)の首、取った方がいいぐらい」

 悪いのは今村氏ではなく、メディアだと言いたいのか。

 安倍氏が2度目に首相に就いてから、閣僚の引責辞任は5人目だ。安倍氏はそのつど「任命責任は内閣総理大臣たる私にある」と述べてきた。

 だが首相は、国民へのおわびは口にしても、具体的な行動には出ようとしない。

 どんな政権も長期化すれば、ネジが緩み傲慢(ごうまん)になる。それを正すには、主権者である国民が声を上げてゆくしかない。