シリーズ記事の途中ですが、リテラの記事で『安倍政権が関東大震災「朝鮮人虐殺」の史実を削除!ヘイトデマを正当化す″ネトウヨ脳″に唖然』とう記事(http://lite-ra.com/2017/04/post-3090.html )にて、安倍政権が南京大虐殺や従軍慰安婦(日本軍性奴隷)の歴史的事実を次々と否定し、歴史を汚し、自らの現実逃避の妄想を展開する始末において、ここに来ていよいよこのレベルにまで達したのかと、つくづくこの未開政権を嗤うにファクトには事欠きません。
同時に、そんなレベルの政権を支持しているこの日本の有権者のお里が知れて、恥辱と屈辱にまみれ非常に嫌なのですが、その主たる犯人である「ネトウヨ」たちが、サブカル思想全開で「戦前を二次創作する」行為に耽る現代の極右政権である安倍自民と一緒くたになって、内閣府のホームページから「なぜこんな内容が載っているんだ」という陳腐な理由を引っ提げ、江戸時代以降の災害を教訓とするために作られた政府の中央防災会議の報告書の核心部分たる一部を、こうもいとも簡単に「消してしまった」ということです。
世の中の物事を考える際に、人間は常に「過去の『歴史』」から認識や事実を「素材」として、現代の文明を維持発展していくために「使用しつづけ」ております。それは自然科学・人文科学・社会科学の「三種の『部門学』」の知識はじめ、今現在の非常に高度な文明社会を営んでいく上には、これらは根底的かつ日常的に、この世界に食い込んで、世の中の仕組みを動かす「大きな歯車」として役立っています。
無論、現代社会に生きていくために、それらを自らの認識に組み込むとなると、刻苦勉励は必至、それ自体とてもつらい作業になります。しかしながら、多くの人間が高等教育を受けていく過程の中で、どうしてこのような学びの「課程」をこなさなければならないのかという理由は、すべて上述に起因するからなのです。
ましてそれは「学問」に限った話ではなく、音楽や芸術、世の中のすべての仕事、各種技術の話にも通底することで、臆見や、自分の「頭の中だけ」で想像し、それでもって物事に取り込もうとすることは、たとえば専門的な話になりますが、「絵を描くこと」を例に置くとするなら、さも「見ないで描ける」こと自体が素晴らしいことだと勘違いされることがありますが、それは全くの「間違い」です。
先にも述べた通り、人間が「自らの頭の中だけで想像」(本人が理解するところの「オリジナル(笑)」)するものは、端的に貧相かつショボいものであり、一切の「過去の見識」(歴代の名作絵画や映像作品・漫画、アニメその他もろもろ)によらず、「名作」をつくろうならば、人間の寿命がいくらあっても足りないくらいの時間を労することになります。
なぜそんな膨大な年月を要するのかというと、「そのレベル」まで到達するまで、人類が足かせ1万年の歴史を費やしているからなのです。その中で、過去に開発された技術にしろ、写真自体は200年の歴史があり、絵に限っては1万年以上は確実にあります。そうした原始時代から始まった膨大な「歴史」の中で培われてきた技術や技法が山積し(西洋の絵画技術やアジア・東洋の絵画技術然り)、巨大な「アーカイブス」を構築するわけですから、それらをすべて無視して自分で「一から」やるということは、「原始時代からはじめる」行為に等しいのです。
素晴らしい絵や映像作品を作りたいのならば、これらの膨大な情報倉庫から自らの作品に適する「素材」を集めまくって、それらを「引用」することによってはじめて名作が生まれるのです。
無論、映像作品ならばそこに「音楽」も加わり、またこの「音楽」自体も古今東西の「歴史」があるわけですから、それらの「素材」も名作の必要十分条件なのです。
こうしたエンターテインメントや芸術などの話以外にも、前述で語った学術や世の中の仕事、建築・工学などありとあらゆる「人類の英知」たる技術群は、それぞれ「膨大な歴史」を持ち、「巨大な情報倉庫」を持っているがゆえに、「引き継ぎ」の中でその歴史のアーカイブスから「素材」を適宜にまとめて、理論化したり、実践に応用することが、多くの人々が現実に行っているはずです。
この行為自体を、誰も「パクリ」だとかいう人間はいないですし、そうした行為で新たな「技術」や「文明」を生み出し、より良い社会への昇華させていく人類の「理性」そのものでありましょう。
そして、今回の関東大震災における朝鮮人虐殺否定のニュースの問題然り、過去の歴史を無視したり消し去ろうとするならば、それは自らの手足を切り落とす行為に等しく、人間が自分で立って歩いていく「思考的素材」を捨てることによって、考える力を失い、文明や認識のレベルを後退させる結果を招きます。
またこの問題に限らず、北朝鮮のニュースにしろ、前の記事で述べたように、マスコミをはじめ多くの日本人が「ヒステリックな感情を引き起こす」行為自体も、朝鮮に関する過去の歴史やアーカイブスがすっぽり抜け落ちているがゆえに、あのような惨状を招いてしまうのであり、本来この問題を語ろうならば、朝鮮や日本に関する膨大な歴史書を読んで、それらを読み解く歴史理論の勉強然り、長きに渡って北朝鮮に行って暮らし情報をかき集めたり、在日コリアンとのコネクションの構築諸々の作業を経なければ語っていい問題ではありません。
というか、ニュースを知る上で物事すべてが「そのような過程」で成り立っているのですが、「そんなコネクションはない!」「面倒くさい」「テレビや新聞、ネットがそういっているのだから事実なんだ」とか、日本においてはその肝心の「テレビや新聞・ネット」があの体たらくですから、どうしようもないのですが、彼らマスコミの人間にも忠告すべきこととして、過去の「歴史」を無視するものは、世の中の仕組みを否定することであり、「専門家」と称されるべき人間は、その名の通り、各方面における膨大な「素材」を集め、それを集積し、新たな認識として提示し、少しでも事実ににじり寄ろうとアプローチする努力を示さなければ、到底そのような立場になれないことだけ述べておきましょう。
すなわち、歴史を無視する人間は「原始人」「未開人」であると。
<参考資料>
・リテラ『安倍政権が関東大震災「朝鮮人虐殺」の史実を削除!ヘイトデマを正当化す″ネトウヨ脳″に唖然』(http://lite-ra.com/2017/04/post-3090.html)2017.4.19
・『引用以外するな!! 』(室井康雄氏の動画) https://www.youtube.com/watch?v=YCPOoPH065w