百田尚樹はバカである!
いきなり大文字でこう書かなければならないほどバカである。
このブログでは何度も百田尚樹については取り上げています。「日本国憲法を守ろうというのは反日だ」とか、「『保育園落ちた日本死ね』は山尾志桜里の自作自演だ」とか「デモはアルバイトだ」とか「マイク・ホンダは朝鮮人だ」とか、2ちゃんねるの情報そのまんま鵜呑みにしているとしか思えない、驚くべき知能の低さを何度も見せつけてくれている百田尚樹ですが、今回はさらに常軌を逸しています。
なんと、「中国は脅威だから漢文授業を廃止せよ」と言い出したのです!
(スポンサードリンク)

(『NEWSポスト7』4月6日)
百田氏によれば、「中国が本気で日本を奪りに来ていることは誰の目にも明らか」なのだそうです。百田氏の目には明らかなのでしょうが、それが「誰の目にも明らか」なのかどうか、私は知りません。ですが、中国がそんなにも脅威なのに、日本が適切な対抗策をとれないのは、『史記』とか『三国志』とか「中国四千年」とかに見られるように、「中国は歴史ある偉大な国」「文明的な国」という誤解に基づく「中国への漠然とした憧れ」があるからだそうです。
百田は「敵に塩を送るというメンタリティは中国人には通用しない」とか残酷刑とか科挙とか宦官とかを挙げ、「中国文化は根本的に日本文化に合わない」と言います。それ言ったら、欧米の文化だって根本的に日本文化と合わないことになっちゃうと思いますけどね。実際についこの間アメリカとうまく合わなくて全面戦争したのに。
百田の中国論の妥当性はともかくとして、百田は中国は脅威なのだから、中国に対する漠然とした憧れを捨てろと言います。そして、なんとこんなことを言いだしたのです。
どこまでバカなんだ百田尚樹!!
太平洋戦争中に英語を敵性語だとして禁止した時代がありましたが、百田の発想はそれと同じレベルか、それ以下です。百田は作家のくせに、本当にどうして学校で漢文の授業があるのかわからないですかね?
百田自身が指摘している通り、日本では『史記』や『三国志』が昔から親しまれ、「江戸時代の儒学者たち」はもちろん、明治に入るまで四書五経というものは教養の基礎でした。特に論語は明治になっても尊重され続けてきました。日本人にとっての漢文は、ヨーロッパにおけるラテン語のように、日本の教養の基礎を形作ってきたのです。
現在の日本は漢文なしには決して成り立ちません。現在われわれは「教育」「科学」「技術」「哲学」「自由」「権利」「義務」「宗教」「進化」「経済」「人民」「民主」「共和国」「憲法」「立法」「司法」などの言葉を日常的に使いますが、これらは全て幕末から明治にかけて、西周、夏目漱石、福沢諭吉などが、漢字の教養を基に、西洋語の翻訳語として作り上げたものです。
「日本のルソー」と呼ばれる中江兆民に至っては、フランス語を訳すために漢文塾に入りなおして漢文の勉強をしています。当時の日本の語彙だけではルソーの書物に書かれた西洋概念を翻訳することができなかったので、新しい言葉を作り上げる必要があったのです。その時に彼らが活用したのが漢文知識であり、彼らの優れた翻訳により、日本が作り上げた様々な新漢語は、日本のみならず、朝鮮やベトナム、そして漢文の本国である中国でも使われるようになりました。
もしも日本人に漢文の素養がなかったのなら、日本の文明開化は著しく遅れていただろうことは想像に難くありません。翻訳語を作ることができず、「憲法には国民の権利と義務が書かれており、信教の自由は保証されている」という文は、「コンスティチューションにはピープルのライツとデューティーが書かれており、リリジョンのリバティーはセキュアされている」となっていた可能性が十二分にあるのです。アジアやアフリカではこれに近いことが起きている国が少なくなく、高等教育は現地語で行えない国がたくさんあると聞きます。フィリピンでは小学校でも数学と理科は英語で授業を受けるそうです。我々が日本語で高等教育を受けることができるのは、疑いようもなく、幕末~明治の教養人たちの漢文知識のおかげです。
漢文知識が失われた現在、日本人は翻訳能力を無くしました。constitution を「憲法」と訳すようなことができず、カタカナ語が氾濫。我が家の近くの自動車メンテナンスの広告なんて「快適なカーライフをトータルにサポートします」って書いてあります。
近年カタカナ語の氾濫に抗い、identity を「自己同一性」、informed consent を「納得診療」と訳すなどの努力が行われていますが、これも幕末明治のような漢文教養があれば、とっくの昔に適切な訳語が作られていたことでしょう。
それに、日本の漢文は、単なる中国語とは違います。日本人は中国語をそのまま読むのではなく、返り点を付けたり独自の読み方を開発したりして、日本文化として取り入れてきました。現在でも日常的に使う「~すべからず」とか「~がごとし」とかも、漢文書き下しの中で生まれてきた日本文化です。百田が教育勅語についてどう思っているか知りませんが、明治憲法だって教育勅語だって、漢文書き下し調の文章で書かれています。明治に二葉亭四迷だとか尾崎紅葉だとか夏目漱石だとか言文一致の文章を作り上げるまで、日本の文章、特に正式なものは基本的に漢文書き下しだったのです。漢文が読めなくなっているからこそ、教育勅語を原文で読むことができなくなり、原文を読まずに現代語訳だけに頼って教育勅語論を書いてしまう阿比留瑠比(産経新聞)のようなバカが出てくるわけですので、やはり漢文知識が必要だということがわかりますね。
百田は記事の中で「朝鮮半島はそれらすべて(中国文化)を無条件に受け入れましたが、日本は取捨選択をキチッとして独自の文明を育んだのです」と述べていますが、漢文はまさに中国文明を変化させて日本文化の中に入れ込んだ例だと言えます。百田は中国語を学ぶことと漢文を学ぶことの区別さえついていません。漢文はもう中国語というより日本語です。中国文法や中国音なんて全く気にせず、日本語に書き下して読むわけですからね。
(※ちなみに、百田はわざわざ朝鮮半島を引き合いに出して卑下し、朝鮮が「無条件に受け入れた」文化の中に纏足を入れていますが、朝鮮は纏足は受け入れていません)
また、「英語と違って使う機会がない」というのなら、古文だって全く同じです。「いづれの御時にか、 女御、更衣あまた さぶらひたまひけるなかに…」なんていつ使うんですかね? 漢文以上に使う機会がない気もしますが、百田は古文も廃止するべきだというんでしょうか?
↓漢文を学ぶ理由がわからない百田の知性はこのレベル

また、百田は、「漢文は趣味の世界だから、学校で学ばなくてもいい」と主張しています。これも完全に間違いです。
趣味の世界だから学ばなくていいのなら短歌も俳句も、国語の授業で学ぶ意味はないことになります。小説だって、趣味の世界と言えば趣味の世界です。
音楽だって美術だって書道だって、間違いなく趣味の世界です。百田はこれらも学校で学ばせる意味はないというのでしょうか。どうやら、百田尚樹という男の脳内には、「教養」という概念がないようです。
「役に立つか役に立たないか」という尺度で教育を考えることは非常に危険です。「役に立つこと」ばかりを教えるようになれば、政府の考える「役に立つこと」だけが残り、自由な研究は失われます。例えば、ノーベル賞を受賞したニュートリノの研究が、何かの役に立つかというと、小柴教授は「役に立たない」と言い切っています(こちらの記事参照)。
役に立つか立たないかという尺度で考えると、文系分野なんて大体役に立ちません。夏目漱石も、ロンドンに留学中、自分のやっている文学研究がいったい何の役に立つのかと悩み苦しんだそうです。しかし、音楽にしろ美術にしろ書道にしろ文学にしろ、そういう直接的に役に立たないものが、この国の文化を豊かにしているのです。
「漢文授業は趣味の世界で役に立たないから授業から外せ」という主張は、日本文化に対しても、日本の歴史に対しても、リスペクトの全く感じられない愚かな発言です。このような主張がまかり通れば、この国は「役に立つこと」「金になること」ばかりがもてはやされる、モノトーンのつまらない国になってしまうことでしょう。大体独裁国ってそうなってますよね。
中国やソ連では共産主義という政治イデオロギーが学問の上にきました。ルイセンコのマルクス・レーニン主義に基づいてメンデル遺伝学を否定するニセ化学がソ連を支配し、国家規模の被害を出しました。中国や朝鮮では科学よりも共産党や労働党の指導が優先され、作物は育たず、土砂崩れは起き、ソ連同様に国家規模の被害を出しました。イデオロギーが学問を上回れば、待っているのは停滞と破滅です。
百田尚樹は作家ですので、どちらかというと一般には「教養人」にカテゴライズされる立場にあると思うのですが、実際にはこの男の発想はソ連、中国、北朝鮮なみです。このような男が力を握った国がどうなるかは言うまでもありません。すでに百田のお友達がこの国で最も強大な権力を握っていますが、ソ連や中国や北朝鮮がどうなったかを見れば、どういう結果を産むかは想像に難くありません。
学校でちゃんと勉強し、こういう無教養人に騙されないようにしましょう。漢文で身につく教養は、百田のような浅薄な無教養人から身を守ることにきっと役立ちます。そのためにも、漢文を含め、学校でちゃんと勉強して教養を身につけましょう。

にほんブログ村 政治 ブログランキング(スポンサードリンク)
いきなり大文字でこう書かなければならないほどバカである。
このブログでは何度も百田尚樹については取り上げています。「日本国憲法を守ろうというのは反日だ」とか、「『保育園落ちた日本死ね』は山尾志桜里の自作自演だ」とか「デモはアルバイトだ」とか「マイク・ホンダは朝鮮人だ」とか、2ちゃんねるの情報そのまんま鵜呑みにしているとしか思えない、驚くべき知能の低さを何度も見せつけてくれている百田尚樹ですが、今回はさらに常軌を逸しています。
なんと、「中国は脅威だから漢文授業を廃止せよ」と言い出したのです!
(『NEWSポスト7』4月6日)
百田氏によれば、「中国が本気で日本を奪りに来ていることは誰の目にも明らか」なのだそうです。百田氏の目には明らかなのでしょうが、それが「誰の目にも明らか」なのかどうか、私は知りません。ですが、中国がそんなにも脅威なのに、日本が適切な対抗策をとれないのは、『史記』とか『三国志』とか「中国四千年」とかに見られるように、「中国は歴史ある偉大な国」「文明的な国」という誤解に基づく「中国への漠然とした憧れ」があるからだそうです。
百田は「敵に塩を送るというメンタリティは中国人には通用しない」とか残酷刑とか科挙とか宦官とかを挙げ、「中国文化は根本的に日本文化に合わない」と言います。それ言ったら、欧米の文化だって根本的に日本文化と合わないことになっちゃうと思いますけどね。実際についこの間アメリカとうまく合わなくて全面戦争したのに。
百田の中国論の妥当性はともかくとして、百田は中国は脅威なのだから、中国に対する漠然とした憧れを捨てろと言います。そして、なんとこんなことを言いだしたのです。
そもそも、なぜ学校で「漢文」の授業があるのか。英語と違って使う機会なんてないし、あれは趣味の世界だと思うんです。
中国に対する漠然とした憧れを持つことはやめるべきだし、そんな勘違いを育む漢文の授業も廃止したらいいのです。
どこまでバカなんだ百田尚樹!!
太平洋戦争中に英語を敵性語だとして禁止した時代がありましたが、百田の発想はそれと同じレベルか、それ以下です。百田は作家のくせに、本当にどうして学校で漢文の授業があるのかわからないですかね?
・日本の教養を基礎作る漢文
百田自身が指摘している通り、日本では『史記』や『三国志』が昔から親しまれ、「江戸時代の儒学者たち」はもちろん、明治に入るまで四書五経というものは教養の基礎でした。特に論語は明治になっても尊重され続けてきました。日本人にとっての漢文は、ヨーロッパにおけるラテン語のように、日本の教養の基礎を形作ってきたのです。
現在の日本は漢文なしには決して成り立ちません。現在われわれは「教育」「科学」「技術」「哲学」「自由」「権利」「義務」「宗教」「進化」「経済」「人民」「民主」「共和国」「憲法」「立法」「司法」などの言葉を日常的に使いますが、これらは全て幕末から明治にかけて、西周、夏目漱石、福沢諭吉などが、漢字の教養を基に、西洋語の翻訳語として作り上げたものです。
「日本のルソー」と呼ばれる中江兆民に至っては、フランス語を訳すために漢文塾に入りなおして漢文の勉強をしています。当時の日本の語彙だけではルソーの書物に書かれた西洋概念を翻訳することができなかったので、新しい言葉を作り上げる必要があったのです。その時に彼らが活用したのが漢文知識であり、彼らの優れた翻訳により、日本が作り上げた様々な新漢語は、日本のみならず、朝鮮やベトナム、そして漢文の本国である中国でも使われるようになりました。
もしも日本人に漢文の素養がなかったのなら、日本の文明開化は著しく遅れていただろうことは想像に難くありません。翻訳語を作ることができず、「憲法には国民の権利と義務が書かれており、信教の自由は保証されている」という文は、「コンスティチューションにはピープルのライツとデューティーが書かれており、リリジョンのリバティーはセキュアされている」となっていた可能性が十二分にあるのです。アジアやアフリカではこれに近いことが起きている国が少なくなく、高等教育は現地語で行えない国がたくさんあると聞きます。フィリピンでは小学校でも数学と理科は英語で授業を受けるそうです。我々が日本語で高等教育を受けることができるのは、疑いようもなく、幕末~明治の教養人たちの漢文知識のおかげです。
漢文知識が失われた現在、日本人は翻訳能力を無くしました。constitution を「憲法」と訳すようなことができず、カタカナ語が氾濫。我が家の近くの自動車メンテナンスの広告なんて「快適なカーライフをトータルにサポートします」って書いてあります。
近年カタカナ語の氾濫に抗い、identity を「自己同一性」、informed consent を「納得診療」と訳すなどの努力が行われていますが、これも幕末明治のような漢文教養があれば、とっくの昔に適切な訳語が作られていたことでしょう。
それに、日本の漢文は、単なる中国語とは違います。日本人は中国語をそのまま読むのではなく、返り点を付けたり独自の読み方を開発したりして、日本文化として取り入れてきました。現在でも日常的に使う「~すべからず」とか「~がごとし」とかも、漢文書き下しの中で生まれてきた日本文化です。百田が教育勅語についてどう思っているか知りませんが、明治憲法だって教育勅語だって、漢文書き下し調の文章で書かれています。明治に二葉亭四迷だとか尾崎紅葉だとか夏目漱石だとか言文一致の文章を作り上げるまで、日本の文章、特に正式なものは基本的に漢文書き下しだったのです。漢文が読めなくなっているからこそ、教育勅語を原文で読むことができなくなり、原文を読まずに現代語訳だけに頼って教育勅語論を書いてしまう阿比留瑠比(産経新聞)のようなバカが出てくるわけですので、やはり漢文知識が必要だということがわかりますね。
百田は記事の中で「朝鮮半島はそれらすべて(中国文化)を無条件に受け入れましたが、日本は取捨選択をキチッとして独自の文明を育んだのです」と述べていますが、漢文はまさに中国文明を変化させて日本文化の中に入れ込んだ例だと言えます。百田は中国語を学ぶことと漢文を学ぶことの区別さえついていません。漢文はもう中国語というより日本語です。中国文法や中国音なんて全く気にせず、日本語に書き下して読むわけですからね。
(※ちなみに、百田はわざわざ朝鮮半島を引き合いに出して卑下し、朝鮮が「無条件に受け入れた」文化の中に纏足を入れていますが、朝鮮は纏足は受け入れていません)
また、「英語と違って使う機会がない」というのなら、古文だって全く同じです。「いづれの御時にか、 女御、更衣あまた さぶらひたまひけるなかに…」なんていつ使うんですかね? 漢文以上に使う機会がない気もしますが、百田は古文も廃止するべきだというんでしょうか?
↓漢文を学ぶ理由がわからない百田の知性はこのレベル
・趣味だから学校で学ばなくていいという間違い
また、百田は、「漢文は趣味の世界だから、学校で学ばなくてもいい」と主張しています。これも完全に間違いです。
趣味の世界だから学ばなくていいのなら短歌も俳句も、国語の授業で学ぶ意味はないことになります。小説だって、趣味の世界と言えば趣味の世界です。
音楽だって美術だって書道だって、間違いなく趣味の世界です。百田はこれらも学校で学ばせる意味はないというのでしょうか。どうやら、百田尚樹という男の脳内には、「教養」という概念がないようです。
「役に立つか役に立たないか」という尺度で教育を考えることは非常に危険です。「役に立つこと」ばかりを教えるようになれば、政府の考える「役に立つこと」だけが残り、自由な研究は失われます。例えば、ノーベル賞を受賞したニュートリノの研究が、何かの役に立つかというと、小柴教授は「役に立たない」と言い切っています(こちらの記事参照)。
役に立つか立たないかという尺度で考えると、文系分野なんて大体役に立ちません。夏目漱石も、ロンドンに留学中、自分のやっている文学研究がいったい何の役に立つのかと悩み苦しんだそうです。しかし、音楽にしろ美術にしろ書道にしろ文学にしろ、そういう直接的に役に立たないものが、この国の文化を豊かにしているのです。
「漢文授業は趣味の世界で役に立たないから授業から外せ」という主張は、日本文化に対しても、日本の歴史に対しても、リスペクトの全く感じられない愚かな発言です。このような主張がまかり通れば、この国は「役に立つこと」「金になること」ばかりがもてはやされる、モノトーンのつまらない国になってしまうことでしょう。大体独裁国ってそうなってますよね。
・ネット上の反応
当然のことながら、ネット上の反応は百田を嘲笑するものばかり。百田のような著名人が、こんな知性や教養の欠片のないことを堂々と言ってのけるということに驚愕ですが、同意する者がほとんど見当たらないのがせめてもの救いというものです。百田尚樹「そもそもなぜ学校で『漢文』の授業があるのか。英語と違って使う機会なんてないし、あれは趣味の世界だと思うんです」
— 盛田隆二📎🖇 (@product1954) 2017年4月4日
↑
これは失笑。お仲間が好きな漢文訓読の教育勅語、読めなくなりますよ?
>百田尚樹:中国を偉大な国と勘違いさせる「漢文」授業は廃止せよ(SAPIO5月号) https://t.co/kXlJYCCzUh
教育勅語が漢文書き下しじゃないか(嗤)。百田尚樹は知ってて言っているから悪質です! 中国への敵対心をむき出しにすることによって、そうした空気を作り出そうとしている。要は「中国は敵だ!」と叫ぶ代わりに「漢文授業はやめろ」になるのでしょうね。 https://t.co/sA2MC3gx8R
— 北林あずみ (@kitabayasiazumi) 2017年4月5日
▼こうした戯論が、無知無学の底辺ネトウヨからではなく、日本の著名作家から臆面もなく出て来て、個人のツイートでもなく、公刊されている雑誌に堂々と掲載されたのは、百田氏の漢文授業廃止論が今後保守に支持されるか否かとは別に、日本社会が「狂気」に突入しているのを認識すべき現象と私は考える
— 黒色中国 (@bci_) 2017年4月6日
日本会議・百田尚樹の漢文授業廃止論には、中国嫌いの他に、反知性主義というか知性や学問、論理や教養などといったものに対する反感やルサンチマンなどといった、あの界隈の人たちに観られる特徴が現れていると思う。ああいう人たちを放置したままだと、いずれ日本は野蛮で偏狭な文化破壊の国になる。
— 小路 (@komichi2) 2017年4月5日
・イデオロギーが学問を上回ってはならない
端的に言えば、百田は「中国が嫌いだ」というイデオロギーを、漢文という学問・教養の上に置けと言っているわけです。アメリカは敵だから英語を勉強するなとか、神の教えに反するから進化論は認めないとか、歴史上そんなことをやってろくなことになったことはありません。中国やソ連では共産主義という政治イデオロギーが学問の上にきました。ルイセンコのマルクス・レーニン主義に基づいてメンデル遺伝学を否定するニセ化学がソ連を支配し、国家規模の被害を出しました。中国や朝鮮では科学よりも共産党や労働党の指導が優先され、作物は育たず、土砂崩れは起き、ソ連同様に国家規模の被害を出しました。イデオロギーが学問を上回れば、待っているのは停滞と破滅です。
百田尚樹は作家ですので、どちらかというと一般には「教養人」にカテゴライズされる立場にあると思うのですが、実際にはこの男の発想はソ連、中国、北朝鮮なみです。このような男が力を握った国がどうなるかは言うまでもありません。すでに百田のお友達がこの国で最も強大な権力を握っていますが、ソ連や中国や北朝鮮がどうなったかを見れば、どういう結果を産むかは想像に難くありません。
学校でちゃんと勉強し、こういう無教養人に騙されないようにしましょう。漢文で身につく教養は、百田のような浅薄な無教養人から身を守ることにきっと役立ちます。そのためにも、漢文を含め、学校でちゃんと勉強して教養を身につけましょう。
にほんブログ村 政治 ブログランキング
コメント
日本文化が中国文化や、その他多くの国々の文化の寄せ集めであることを知れば、「純粋な日本文化」への幻想が無意味だと気付くだろう
「パン屋は非国民」みたいなバカげた発想は、そろそろやめよう
ところでLIG社長のあいさつはネタ(あそこはそういう会社です)なので、「このままだとこうなっちゃうよ」的な注釈をつけて取り扱ったほうが良いと思う。
ところが恐ろしい事に、ネトウヨ君達の中には「日本人は精神的・文化的には欧米人に近い存在なのだ!」とか主張してる人が普通にいたりするのですよ。
「それなら何故日本は欧米メディアから事有るごとにバッシングされるのだ?」と言う疑問は彼らの頭には出てこないわけです。
誤解を拡散してしまいそうなので、削除・修正しました。
…以前は保守・右翼でも中国を完全否定する人間はあまりいなかったと思うのですが、2010年代に入ってからは「とにかく中国は全否定しなきゃダメなんだ!」と言わんばかりの意見が普通に表に出てくるようになったような気がしますな。
ちなみに韓国や北朝鮮は実質的に漢字使用はほぼやめてハングルで統一してるようですが、百田氏はそういうのが理想なんでしょうか?
「
」
だったら、お前はは漢字も使うなとでも言うつもりなんですかね??
それと、ひらがなやカタカナも元をたどれば漢字がるーつなのですが…
本気で言っているなら、百田直樹は日本を破壊する極左ですね!
そもそも、中韓を脅威と感じるならハングル語、中国語の読解、翻訳、聞き取りができる人間は多ければ多いほど良い。
はっきりいって日本国民全員に義務付けてもよいくらいです。
敵対国の情報入手および解析が誰でもできるなど、究極の安全保障でしょう。
無論、日本の漢文と中国語は異なりますが、漢文でも中国語の基礎的な読解は習得できます。
それすらも授業から廃止し場合、例え話ですが中国人が電車の隣で「明日には我が軍が日本を奇襲する予定だ」などと呟いていても、「うるせーなー」と思うだけで貴重な情報を聞き逃すだけになります。
百田にしろ籠池にしろ中韓国語の読解ができる日本人をゼロにしたい=日本が中韓の情報を取得できる手段をゼロにたいようですね。
はっきりいって右翼的、ネトウヨ的にも日本滅亡を推進する反日思想家と言って差し支えないでしょう
しかしどうなんでしょう、まさか本気で言っているんですかね。いろいろと考えてみましたが、漫談的なノリで主張したのか、あるいは炎上商法的にわざとこんな極端なことを言ってみたのか、やけくそになっているのか、それとも本気でやるべきだと思っているのか・・・。
また敵国の言葉だから学ばない、そうして日本がやっている間アメリカは日本兵の日記を集めて分析してますからね。中国のことを知るなら尚更漢文を学ぶ意味は大きいと思いますがね。
百田とてめえらマスコミは、日本の教育が気に入らねぇのか?
なら日本から出てけやバカヤロー、ゴルァ!!!
悔しかったら日本会議に不利なことでも報道しろや!
おいどうした!?やってみろよ、おいこらぁあ!
(キレてないですよ)
冗談でよく、「越えられない壁云々」といいますけど、この人と村上春樹との間にはそれ以上のもの・・・が何かあるのではないかという気がしてきた。
勅撰の詩集も編まれてることも知らないのか?
不敬にもほどがあると思うが
さらにいえば篭池氏でさえ中国は嫌いだけど四書五経などの
中国古典を授業に取り入れてましたよねたしか
日本の伝統的価値観が儒教に由来するところが大なんて
文学者なら常識以前だと思うんですが
おそらくお仲間の宗教系アメリカ右派コメンテーター
ケント・ギルバートあたりの本のパクリじゃないんですか?
また、この男は無数の人々が行き交う渋谷の交差点で堂々と全裸公開自慰していると言ってもいいくらい『人間的知能』が極端に欠け、本能(その多くを性欲が占める)に依存したことばかりを公の場やtwitter(=社会的知名度という立場に加え、世界中の人が目にすることの出来る場)で公言している異常な物体であることも、今更言及して批判するには及ばないと思います。
ですが、私が本当に問題にすべきだと思うのは
『極端にバカであることを全く恥じない』
『発言に思考なんて必要ない(いちいち考えて言葉にするなんてアホらしい)』
という百田の言動は、今この国を覆い尽くす風潮の象徴に過ぎないと感じられることです。
かつては形のない・残らない口頭の発言だけでも「失言」「暴言」と問題にされ、大臣や社会的地位を失った人々は多くいましたが、いまや数日で完全に忘れ去られて誰も問題にしませんしね。
そして私自身、仕事をする上で「会話に脳を通すな。脊髄反射で話せ。だからお前はコミュニケーション能力ゼロなんだ」とどれほどの職場、現場で言われたか…。
無責任なことは口にしたくないと思って相手の反応を推測し、慎重に言葉や言い回しを考えて話すのは非常識だと言わんばかりにまくし立て、言葉という手数で相手を圧倒して踏みつける手法(例:今もテレビでチヤホヤされる元大阪市長)は半ば常識となっているのではないでしょうか?
はっきり言って「考えて考えてから発言なんて、それこそがバカ。愚の骨頂」というのが常識となってしまった、「バカのバカによるバカのための国(極めて少数の政治家などの貴族がそれらを家畜のように飼育する国)」それが今の日本としか思えない。
ムダに長い乱文失礼しました。
彼はそういった歴史的事象もわかっていて言っているのだろうか?
日本人に、中国に親しみを持ってほしくないだけ。歴史よりも学問よりも教養よりも、自分のイデオロギーが大事なのです。
(「イデオロギー」って言葉も、漢文の素養がある明治の教養人たちなら、適切な漢語の訳を作ったんだろうなあ)
TV業界完全終了だな。
おバカタレントとして当時露出していたつるの 剛士なんかは、親学シンポジウムの講演をしていたり、3.11を「(民主政権に対しての)大地の怒り」だとか言ってましたね
百田氏は干されているのかもしれません。あるいはテレビ側も出すメリットがないのかも。そりゃあこんな意味不明な主張をしたり、沖縄の新聞はつぶせとかいう人を出さない方が自然でしょう(そこまでいって委員会などは別として)。しかしなぜかこの人はテレビに呼ばれなくなったのを全部メディアのせいにして地上波テレビは左翼だらけだとか言ってますからね。こんなことも言ってますし→https://twitter.com/hyakutanaoki/status/804355414246600704
マスコミが百田とグルになってこの話を隠しているのかと。
しかし、「地上波テレビは左翼だらけだ」って笑っちゃうね。その全く逆で、地上波クソテレビなんて右翼だらけなんだけど。
竹内由恵も日本会議メンバーで有名だし。
もうちょいテレビは右だらけじゃなく、真ん中や左の視点も入れるべき。
囲碁は中国発祥のゲームですよね。
日本文化に合わないのでは?
あーあ最近一個人買ってないなぁ。
と百田氏はしれっと朝鮮民族をけなしていますね。
「すべてを無条件に」という言葉に彼の反知性的な思考が伺えます。朝鮮の制度や文化を調べてから書くべきであり、とても知識人には思えません。
科挙は一応日本にも存在したそうです。社会に与えた影響は少なかったようですが。
http://kocho-3.hatenablog.com/entry/2013/11/09/121433
潜在敵国を知らずして、どう侵略を防ぐのか?
百田は馬鹿である。
以前、上念司と憲法とのことで管理人様が書かれた記事がありますが、「百田の主張を推し進めた結果、どうなるか」の典型がここにあると思います。
>22 たぼすこ様
津波我欲発言の石原とそっくり同じことを言っているタレントなどもいたんですね…初めてしりましたが、勉強になります。
三島由紀夫の生まれ変わりだと本気で思ってそうだ
同じ保守だけど
思想が全く違うのにw
そんなことも知らないんですかここの管理人は?w
まあ他人を頭が悪いとか馬鹿だとか悪口しか言えないんですからしかたないかw
ただ悪口を言い続ける事しかできないのによく自分は頭が良いなどと思えますねw
思ってるんですよね?他人に頭悪いと言ってるんですから?www
幼稚園児かお前は(大笑)
「他人を馬鹿という奴が馬鹿」ってのは、論理的に反論できない幼稚園児が言い返すときに使う言葉だね。君、幼稚園の頃から脳みそが一歩も進歩してないんじゃないの?
悪口しか言えない? 君、日本語も読めないんだねー。脳みそ本当に幼稚園レベルから進歩してないんだねえ。僕はどうして百田をバカだって言ってるのか、ちゃーんとぜーんぶ説明してるよねー。ちゃんと理由も筋立てて説明してるよねー。これが「悪口しか言えない」ように見えるって、君の脳みそってどれだけレベル低いの?
まあ、君のコメント、本当に悪口しか書いてないもんね(笑)。論理立てた言論なんてできるわけないわな。
実際に君、何一つ筋道立てて話さず、悪口しか書いてないのに、僕のことを「バカ」なんてよく言えますねーw 君みたいなのを、世間では典型的な「バカ」って呼ぶんですよ。
絵に描いたようなバカな君だけど、バカじゃじゃないって言うなら、「バカって言う奴がバカ」なんて幼稚園児レベルのこと書いてないで、せめて小学生レベルの書き込みしてみたら? ほれ。ちゃんと筋道立てて反論してみなよ。幼稚園児並みの脳みそしか持ってない頭の悪いおバカな774ちゃん。え? ほれ。やってみろよ。できないなら幼稚園に帰って脳みそ鍛えなおしてきな。
悪口雑言と批判の区別くらいはつけましょう。(政府広報)
でも平仮名は漢字からの変形だし、ひょっとしてこの21世紀に新しい日本の言語を創る事になるんだろうか?
そしてそれを覚えられない人間は非国民……
ナポレオンも高く評価した孫子兵法が戦国時代どころか今でも高く評価されているのを理解できないとか
あの人はやっぱりアホなのですね
ものすごいご都合主義ですが、百田の脳内では整合性が取れているのでしょう。
開戦だのなんだのほざくわりにマジで戦争舐めきってるよな
管理人様に聞きたいことがあります。
1 >「快適なカーライフをトータルにサポートします」
翻訳すれば「快適な車生活を総合的に支援します」といった文になりますか?
2 日本以外の国では(特に漢字文化圏以外で)似たような話は聞きますか?
例えば、少し前に債務をめぐってドイツとギリシャが対立していましたが、百田のように「ギリシャへの憧れを持たないためには学校でギリシャ古典の授業を廃止するべきだ」とドイツの政治家や有名人が言ったなどという話ってあるんですかねえ?(私は聞いたことありませんが)
>>1
さあ、どう訳すのがいいかなあ? 多分カタカナ語を使うのがかっこいいと思って使ってるんだろうから、日本語に訳したら、意味は変わらなくても意図が伝わらないと思う。
>>2
いるのかもしれないけど、ドイツとギリシャの事情に詳しくないからわかりません。ドイツ語が読めないからドイツ人が何言ってるかわからない。
今まで見たことのある反ネトウヨブログは、みんな反日で辟易してた。
例 てきとうブログ
でもここのブログ主は、反日じゃないんですね。
書くことも理論的だし、集まっている人も右から左までいるし、
なんかいい雰囲気です。しばらく通わせていただきます。よろしく。
反日(笑)
あれですね、永遠に0の百田さんは「中国が嫌いだ!」ってのを鼓舞したいんでしょう。
この、嫌うってのは理由や釈明がいらないので非常に楽なんでしょうね、感情だから。
合理性なんてどうでも良く素直に中国に悪意を向けられる。
是々非々みたいにやっていくと嫌でも冷静になっちゃうから。
関係ないですが以前、amazonか何かで石平が書くタイプの嫌中本(のようなタイトル)があって、その手を好む読者が買って読んで行くと、実は中国が奥の深い国だったという話で、
「騙された」「詐欺だ」ってレビューで怒っている人がいたんですよ(笑)。
どうせ国益に与しない作家なら、こういうユーモアで売名すればいいのにね。
ドイツとギリシャとの対立はカネの問題(破綻しかけたギリシャにドイツがカネを出す是非)であって思想戦でも民族対立でも何でもないのでこれでここまでになるはずはありません。
フランスとドイツで国境が何度も入れ替わったアルザス・ロレーヌ地方(最後の授業)みたいなのはいくらかありますが、
近隣民族嫌悪が理由となるとそんなにはないですかね。南北朝鮮とか?
これも漢字を捨てたというだけではなく分断後はハングルでも南北で言い回しが違ってきます。ただ国語教育による後天的な理由で繁体字と簡体字の違いみたいなものですね。
まさか、平仮名もユダヤのナンタラガーだから使えるとか言い出したりしないでしょうね。
教養人とか作家とか・・・センセー、ほんま他所(外国)では言わんといてくださいよ
思ってるんですかねあの人は
この一行にすべてが詰まってる
テストに出るぞ
台湾は日本語使わせるという事でしょうな。
国籍にはあまり関心がないが
ハブとマングースですか?
そういえば、一部の愛国カルトは韓国が漢字教育をやめたことはボロクソに言うが、チュノム(漢字に類似したベトナムの文字)をやめたベトナムについては何も言わないんですね。
韓国で漢字教育をほとんどしなくなったことの弊害はあるそうですし、ベトナムでも漢字復活が議論されたことはあるそうですが。
http://dictionary.sanseido-publ.co.jp/wp/2011/06/14/漢字の現在ベトナムで漢字は復活する?/
超個人的美学
上記のブログは少し前ですが、安倍晋三の過去を記事にしていましたが何故か削除され(させられ)てました
百田にしろ安倍にしろ気に入らないものは押さえつけるって思考が酷いですね
すみません。もうやめますね
朝日放送制作なんで、今の百田氏には“黒歴史”扱いなんだろうか気になるが。
あの人ボケちゃったのかな?
もしかして逆に笑わせようとしているのかな?
短絡的思考のアホが増えた世の中って、息苦しいことこの上ないんでしょうなぁ。
http://yuruneto.com/hyakuta-tero/
ゆるねとにゅーす
この人は自分が権力の側にいるという甘い勘違いの中に生きているのでしょうね。
作家。権力の側にいるという勘違い。関西弁。村上龍の『愛と幻想のファシズム』に出てきそうなキャラクターですね。中盤でえぐい退場の仕方をしそうなキャラクターとして。
百田はレジスタンスと言いたかったんだろうなあ
「もし北朝鮮のミサイルで私の家族が死に、私が生き残れば、私はテロ組織を作って、日本国内の敵を潰していく。」
共謀罪が成立したら百田は逮捕されなければならない。
脅威だからこそ学ぶんだろうが
管理人さんの態度に疑問を感じます。
今回の記事に関して言えば、管理人さんは、百田氏を馬鹿だ、馬鹿だとおっしゃっていますが、
仮に彼がそうだとしても、言うべきでなかったように思います。
といいますのも、唯、間違っている箇所を指摘すればよいだけなのに、そこに罵詈雑言を入れてしまうと、記事に対して疑念が出でて、信頼性が落ちるように感じるからです。
評論文等で、「A氏の考えであるBはこういう点が考慮されていない。正しいのはこのような点が考慮されているCである。」 と書かれた文はあるでしょうが、「A氏は初歩的なことを見落としている。 馬鹿である。」 などと書かれた文があるでしょうか。
確かに百田氏は考えが足りなかったかもしれません。ですが、だからといって、馬鹿ということは、何かを主張したいブログにはまったくそぐわないと思います。
長文になり非常に恐縮ですが、あと一つ申させていただきますと、コメント欄31番の方に対する管理人さんの対応に非常に失望しました。
31番の方が間違っているとしても、管理人さんはただ反論すれば良かったのに、(大笑)や(笑)、wなど嘲りと捉えられる言動をしており、「頭の悪い774ちゃん」 などのこれは完全にふざけている言動をもしています。
いやしくも人に何かを主張、啓蒙したいのであれば、的外れなコメントに対してもきちんとした対応をすべきであり、煽るようなコメントは控えるべきだと思います。
百田尚樹氏を生贄にしたことで、『テロ等準備罪』の正当性は担保されたかのように扱われてはたまったものではありません。そのあと、好き放題に運用されてしまいます。
貴重なご意見ありがとうございます。また、不快にさせてすみません。
いくつかの疑問点にお答えさせていただきます。
1.このブログの目的は評論することではなく、「愛国カルト」のデマを暴き、注意喚起することです。百田の誤りを淡々と述べたところで、よほど興味がある人だけが読んでくれて、「ふーん」となるだけでしょう。まず読んでもらわないといけませんし、はっきりと「百田はバカである」と言わないと、伝わらないものもあると思います。
例えばこの記事の場合、最も伝えたいことは、単純に百田が歴史事実を間違えているという点ではなく、百田は信頼するに値しない、知性の低い思慮のない思い込みの激しい自分勝手な人間であるという点です。淡々とした評論では伝わらないし、そもそも読んでももらえないように思います。
貴方がこのブログで「愛国カルト」と呼んでいる人たちをどの程度知っているかわかりませんし、コメント31の「774」という人物の他のコメントを把握しているかはわかりませんが、あの手の人物には「ただ反論」したり「きちんとした対応」をしたりしても、全くの無駄です。なぜなら彼らは論理的な話し合いをすることが目的ではなく、ただ罵倒することだけが目的なのですから。
「愛国カルト」連中と一度実際に直接議論してみてください。いかに「ただ反論」したり「きちんと対応」したりすることが無駄であるか、体験できると思います。彼らに「ただ反論」して「きちんと対応」しても、決してまともな話し合いにはなりません。
あのような連中は私が「啓蒙したい」と思う対象から外れています。私が「啓蒙したい」「主張を聞いてもらいたい」と思うのは、人の話を聞くだけの知性がある人だけです。コメント31のような連中はもう更生不可能で、彼らに対する対応は「叩き潰す」以外にないと考えています。異論はあるでしょうが、これが3年近くもこのブログをやって様々な「愛国カルト」を見てきた私の実体験に基づく結論です。
3.
記事中の言葉遣いに関しては、これでも気をつけており、本当ならもっと滅茶苦茶言いたいところを抑えています。だからこのブログは丁寧語で書いていますが、ツイッターや、姉妹サイトの『アベノリスクニュース』のほうでは気にせず書いています。普段はできるだけ「バカ」という言葉も記事中では使わないようにしていますが、今回の百田の発言ははっきりと「バカ」と言わないとこちらの伝えたいことを伝えることができないと判断しました。
これでも気を付けてはいるつもりですが、それでも不快に思う人がいるということに考慮して、今後、より多くの人に読んでもらえ、受け入れてもらえる記事を書くようにしていきたいと思います。ご意見ありがとうございました。
かくいうオレも人のことは言えぬが。
初めて見た人が言葉づかいを見て、「なんだ、この桑原ってやつも批判してる奴と同レベルやん」と思うかもしれないから、なるべく荒くならないようにはしてほしいとは思いました。
麻生太郎と同じメンタリティなんだと思う。麻生も舌下でたびたび問題になっていた。
二人に共通するのは、想像力の欠如です。
今自分が言ったことで、一般大衆がどう反応するかという想像力がかけているんだね。
作家が想像力がないのは致命的な気がしますが。
そもそも、漢文を勉強することと中国礼賛は関係ないですね。英語を勉強することがアメリカ礼賛してるいうくらい短絡的な考えです。戦時中の日本を連想するね。
それ百田の釣りだって噂ありますが?
要は共謀罪反対する人への皮肉って意味らしいですが…。
※67は重要な桑原さんの考え方だと思います。
記事「このブログについて」にその旨を追加してみてはいかがでしょうか。
ごもっともな意見だとは思いますが、本ブログは「評論」ではなくむしろ「啓蒙」に焦点を当てていると思われます。
世の中は、eurekaさんのような思慮に溢れた心ある方ばかりではなく、ほとんどの人は「XはYという理由で間違っているが、Zという点においては納得できて…」というような「お上品」な文章に興味を示してくれません。理由は述べるまでもなく、身近なところに目を向ければおわかりでしょう(ex.売り上げの為下世話なゴシップを書く週刊誌、極端な対立意見ばかりまとめる2chコピペブログ、罵倒合戦の米大統領選etc...)。
もちろん世界の全ての人がeurekaさんのようなセンスを持ってくれるのが一番いいのですが、「啓蒙」というのはそうした理想で動いても意味がありません。実際、本記事の前の記事では、簡単な皮肉を理解できなかった人が何人かコメントしています。
本ブログは、評論を読んで「で、結局何が言いたいの?」と感じるような人々に対して向けられているものですから、eurekaさんのようなレベルの高い方には合わないかもしれません。
(管理人さんの意図をソンタクしてしまったので、間違ってたら消してください)
百田尚樹氏は、自分が嫌いな政党が政権与党になったとき、共謀罪があることを不安に思わないのでしょうか……不思議です。
あくまでも私が見たネットでの噂です。その噂の主も「本人がそう考えているかは分からないが」と言ってました。他人が何を考えてるかは、本当によく分かりませんので、私からは意見は言いかねます。m(__)mスミマセン、役立たずで。
>百田尚樹氏は、自分が嫌いな政党が政権与党になったとき、共謀罪があることを不安に思わないのでしょうか……不思議です。
そうですね。
『テロ等準備罪』が時の政権に恣意的に使われる可能性があることを考えると賛成できません。
百田氏が自身の発言で社会的制裁を受けたりポストからの辞任を要求されたりするのはあってしかるべきですが、逮捕はちょっとなと思います。
コメントする