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【サイモン・クーパーのフットボール・オンライン】ロベルト・エンケの悲劇(前編)



 2009年11月10日、ドイツ人GKのロベルト・エンケは幼い娘にキスをして、妻にじゃあねと言って家を出た。所属するクラブ、ハノーファーの練習に出て、6時半ごろには戻るから、と。



 暗くなってもエンケは帰ってこなかった。妻はGKコーチのヨルング・シーベルスに電話した。今日の練習の後、うちの人は何時ごろ帰れるでしょうか?



「電話の向こうに沈黙が走った」と、ロナルト・レングは著書『短すぎた命──ロベルト・エンケの悲劇』に書いている。「ようやくシーベルスが言葉を選ぶように言った。『今日は……練習はありませんでした』」



 エンケは家を出てから8時間ほど車を走らせ、その後、ブレーメン発の特急列車がやって来る線路に身を横たえた。彼はうつ病だったが、フットボール界では公にしていなかった。



 エンケは友人である作家のレングに、一緒に本を書こうという話をよくしていた。本はレングがひとりで書くことになったが、これが実にすばらしい。



 彼ほどフットボール界の内実に食い込める書き手は、そういるものではない。エンケの妻はレングに、エンケの日記や彼が携帯電話に書いていた詩を提供した。実のところレングは、日記に書かれていたことでも「あまりに生々しい部分はわざと引用しなかった」と書いている。並みの伝記作家にそんなことはできない。



 こうして生まれたのが、エンケとうつ病だけではなく、多くのフットボール選手が抱えるストレスについて書いた本だった。本書は今年の英ウィリアム・ヒル・スポーツ・ブック賞に輝いた。



 旧東ドイツに生まれたエンケは、すぐに頭角を現わした。20歳のときには、もうブンデスリーガでゴールを守っていた。



 やがてポルトガルのベンフィカに移籍する。今にして思えば、ベンフィカと契約を結んだ直後、パニックを起こして行方をくらましたのは不吉な前兆だった。



 レングはエンケと初めて会ったとき、リスボンでランチを共にした。当時の印象は「もっと遠くへ、もっと高い場所をめざさなくてはならないと信じるプロフェッショナルなアスリート」というものだった。ふたりは友人になり、レングは本の中にも自分を一瞬だけ、うまく登場させている。



 高い場所をめざしたエンケは、ついにバルセロナに入った。しかしバルサでプレイしたのは1試合だけ、それも3部リーグのノベルダが相手のカップ戦だった。



 不安にさいなまれたエンケは、何でもないシュートを3つ入れられ、バルセロナは敗れた。試合後の記者会見ではキャプテンが彼を批判した。これがエンケのうつ病の引き金になった。エンケはイスタンブールのクラブへ逃げたが、ここでも1試合しか出場できず、やがてトルコを離れた。その後しばらく、この優れたGKは失業状態になった。



 エンケはもっと小さく静かなクラブでなら、心の平穏を保つことができた。最初はスペインのテネリフェ。それからハノーファー。だが、ここが彼にとって最後のクラブになった。(続く)



サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper

森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

photo by Getty Images





(この記事はサッカー(webスポルティーバ)から引用させて頂きました)



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