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人口・少子高齢化 行政・自治体
「地方は観光で稼ぎなさい」という号令が、甚だ見当違いである理由
「学芸員はがん」発言の根底にあるもの

観光振興で「稼ぐ力」をつけよというが…

平成26年秋に始まった地方創生(まち・ひと・しごと創生)。各自治体では人口ビジョン・総合戦略を策定し、28年度からは地域の「稼ぐ力」を鍛えるべく、その本格的な事業化が進められている。中でも期待されているのが観光分野の振興だ。

平成29年4月17日に山本幸三地方創生大臣が「学芸員はがん。一掃しないと」と発言して問題となったが、これも地方の「稼ぐ力」に関係したものだ。

行き過ぎた発言に大臣の陳謝もあったが、大臣は「地方創生とは稼ぐことだ」と定義し、この発言は「学芸員に観光マインドを持ってもらう必要がある」という意味だったと釈明している。

要するに、「地方が観光に取り組み、『稼ぐ力』をつければ再生する。だから学芸員もふくめ、地方は観光で稼ぐ努力をせよ」ということらしい。

そして実際にインバウンドの受け入れにむけて、多くの自治体が事業を展開しはじめており、一般の国民にも観光振興で地方は再生すると考えている人は少なくないようだ。民間でも様々な形でその尻馬に乗ろうとしているようだから、これはいまのこの国全体が向かっている方向性だといってもよい。

だが、観光は地方にとって本当に稼げる普遍的な手段なのだろうか。

 

もちろん東京や京都、観光消費の受け皿(宿泊施設や土産物開発などの観光インフラ)を実現してきたいくつかの諸都市では、観光振興によってなんらかの正の経済効果はもたらされよう。

しかし観光振興をすればどこでも地方は救われる、そういうことがいえるのだろうか。

観光コンテンツづくりは儲からない

たしかに観光客が一人でも増えれば、そのぶん地方に落ちるお金が増え、経済は少しばかり潤う。

しかし、たとえば次のような具体的なケースを考えたとき、観光振興で稼ぐことがあらゆる地域で率先して取り組むべきものなのかは疑問だ。

ある地域でお母さんたちのグループが埋もれていた郷土料理に付加価値を付け、絶品のメニューを開発したとしよう。それが地域で評判になり、全国放送で紹介された。それを見て、次の休暇の家族旅行先に悩んでいた東京のサラリーマンA氏が、行き先をそこに決めたとする。

たしかにA氏の家族がそこに旅行し、その料理を味わったことで、家族4人、1食750円として計3000円がその地域に落ちた。お母さんたちはお客さんが来てくれたことを喜び、お客さんも思った以上の料理とおもてなしに感激、「来年もまた来る」と次の販路が開拓されて人々の交流が始まったとすれば、たしかにここに悪いものは見当たらない。だが、筆者にはどうも次のことが引っかかる。

このお母さんたちの稼ぎ3000円に対し、A氏一家が東京からこの地に来るまでの交通費、その日の宿泊代、さらにはその間の、例えば朝、新幹線に乗るときに駅で購入した飲み物代や弁当代、帰りの駅の土産物屋で購入した土産の品々の代金などを考えると、このお母さんたちの努力がきっかけとなってA氏らはこれらのお金を落としたのにもかかわらず、お母さんたちに入った金額は微々たるものだ。

報道したメディアも一見、観光客を善意でつないだように見えるが、それはそれでスポンサーから制作費をもらっている。むしろこのお母さんたちのおかげで番組ができたとさえいえる。要するに言いたいことはこういうことだ。

観光開発はたしかに経済を潤す。

だがそこで生じた利益の多くは、必ずしもコンテンツを開発した人や地方にではなく、観光の基盤をなす、交通会社や旅行会社、要するに観光インフラ事業者に落ちる仕組みになっている。

そしてそうした観光インフラ事業者の多くは東京をはじめ大都市に本拠を置く。観光振興の儲けのほとんどはそうした業者に落ちる仕組みだ。

観光コンテンツづくりは基本的には儲からない。儲かってもたいていの地方においてはそんなに大きな金にはならない。むしろ頑張って生まれた利益は、そのほとんどを中央に持っていかれてしまう。