2017.4.25

「ひとり」と「ふたり」と「みんなで」を、
行ったり来たりする人生が理想

どれも選べて、どれも楽しめるような社会になったなら…

チェコ好き おひとりさまのあたらしい住処 ふたり みんな ©Nikolaj Erema

結婚していない、子どもがいない。男性でもそうだけど、女性の場合は特に、こういった生き方を否定的に見られてしまう機会はまだまだ多い。

 私は現在、一人暮らしではあるのだけど、実はけっこう長く連れ添っているパートナーの男性がいる。年も年だし、長く連れ添っているんであれば、当然結婚を、せめて同棲を、と周囲は思うのだろう。だから、私が煮え切らないことをいうと、少し怪訝な顔をされる(気がする)。
やっぱり、パートナーとは常に近い距離にいて、年相応になったら結婚したり、せめて一緒に住んだりしなければダメなのだろうか…と、自信がなくなることもある。おそらく、「未婚で一人暮らし」という生き方は、未成熟で宙ぶらりんな印象を周囲にあたえるのだろう。

「一度決めたら死ぬまで一緒」が正しい姿?


 反面、入籍することを「身を固めた」なんて言い方で表現するように、結婚や出産は人生において重大な最終決定を下したかのようなイメージをあたえる。一度決めたら夫婦で住む、子どもが産まれたら家族で住む。離婚という形でチーム解散となる場合もあるけれど、基本的に「身を固めた」その決定は、互いの人生に死ぬまで作用することが想定されている。

 だけど、今後ますます多様化し、様々な選択肢が増えていくであろう未来の社会において、こういった従来の夫婦・家族像を社会で共有し続けることは、逆に結婚や同棲のハードルを上げてしまうことにはならないだろうか。

 一度は一緒に住むことを選んだものの、パートナーのどちらかが地方や海外へ転勤になったり、突如長期の一人旅をしたくなったり、寺にこもりたくなったり──人生の分岐点は無数にあるはずだ。
夫婦に子どもがいる場合は、小さいうちは当然ながら多少の制約を負わなければならないだろうけど、手が離れたら「ちょっと留学してくる!」と夫や子どもを置いて一人でふらっと海外に行けるような余裕があってもいい。
「夫婦・家族は常に一緒にいなければならない」という固定観念は、ときに未来を生きる人々の重圧になったりはしないだろうか。

まだまだ自分の生き方を模索したっていい


 現在は一人暮らしの私だけど、誰にもこの自由を邪魔されたくない、他人と共同生活なんて無理、などと思っているわけではない。
この先パートナーと一緒に住む機会が巡ってきたら、互いの生活習慣の違いに驚いたり、あたふたしたり喧嘩したりしながら、それはそれでけっこう楽しく生活するのではないかなと思う。だけどその後にまた、一人でふらっと海外へ出かけたり、孤独な時間が欲しいと思うタイミングもやってきてしまいそうだ。
そういうとき、家庭や仕事を少し調整する程度でどこにでも行ける、「ひとり」と「ふたり」と「家族みんな」を行ったり来たりできる人生が、私の理想だ。

 今はまだ非現実的かもしれないけれど、人生の最終決定を下していないのは「おひとりさま」だけではない──結婚している人も、子どもがいる人も、皆一人で生きているし、まだまだ身を固めてなんておらず、死ぬまで自分の生き方や思想を模索できる。
この「おひとりさまのあたらしい住処」特集の佐々木俊尚さんのインタビューを読んでも、そんな人生を選択する人は、そう遠くない未来に増えていくのではないかと思う。「ひとり」も「ふたり」も「みんなで」も全部選べるし、全部楽しめるような社会になったら、未婚の女性も既婚の女性も、救われる人は多いはずだ。

 個人的な話をすると、私は昨年末に引っ越しをした。新しい部屋は、前より少しだけ広くて、雨の日はしとしとと水滴が地面を打つ音が響く。雨の音を聴いていると、昨年旅したバリ島を思い出して、寂しいような、でも温かいような、少し不思議な気持ちになる。
いつか「ふたり」や「みんなで」を楽しむ日もやってくると思うけれど、今はまだ、この静かな雨の音を、一人で聴いているのも悪くないかなという気がしている。

Text/チェコ好き

特集「おひとりさまのあたらしい住処」もあわせてご覧ください!
これからの社会は「弱い繋がり」で生きやすくなる/ジャーナリスト・佐々木俊尚さん(前編)
同世代の繋がりだけではキツイ!崩壊する老後の生き方/ジャーナリスト・佐々木俊尚さん(後編)