世界に日本サッカーの存在感を示したメキシコ五輪の銅メダル獲得。故長沼健監督(元埼玉スタジアム2OO2場長)が率いた1968年メキシコ五輪銅メダリストである釜本邦茂氏、杉山隆一氏、70年代に日本代表の一員として活躍した藤口光紀氏、80年代の日本代表の中心選手である木村和司氏を招き、サッカー文化の中心地「さいたま」で、近年の「サムライブルー」躍進の源流とも言える、Jリーグやドーハの悲劇以前の取り組みを中心に、日本サッカーについて語るトークショーが行われる。さらに同日、4人が特別コーチとなり55歳以上の男女を対象したシニアサッカー教室が開催される。
1944年4月15日生まれ。京都府出身。山城高校、早稲田大を卒業後、ヤンマーディーゼル(現・C大阪)でプレー。引退後は松下電器(のちのG大阪)監督を務めた。
日本サッカーの歴史にその名を刻む異能の得点王。右45度の角度から放つ強烈な右足シュート、強さと巧みさを兼ね備えた空中戦を武器に、あらゆる大会で得点を量産。日本リーグ(Jリーグの前身)では通算7度の得点王に輝いており、日本代表では通算75得点という空前の記録を残した。そのキャリアのハイライトは、1968年に行われたメキシコ五輪だろう。ナイジェリアとの初戦でいきなりハットトリックを達成すると、準々決勝のフランス戦でも2得点を奪って勝利に貢献し、メキシコとの3位決定戦でも2得点。日本の全得点「9」のうち「7」まで稼ぎ出し、大会の得点王に輝き、銅メダルを獲得した。ちなみに残る2得点も、アシストは釜本だった。引退後は後にG大阪ユースの母体となる釜本FCを創設して後進の指導にあたり、G大阪の初代監督も務めた。その後は参議院議員、日本サッカー協会副会長としても活躍。現在は日本サッカー協会の顧問を務めている。
1941年7月4日生まれ。静岡県出身。清水東高校、明治大学を卒業後、三菱重工(現・浦和)でプレー。現在は静岡県サッカー協会副会長を務めている。
「黄金の左足」を持つ男として国際的にも高く評価された日本サッカー史上最高の左ウイング。俊足を生かしたドリブル突破と正確無比な左足クロスでのアシストで知られた。もっとも本来は右利きの選手であり、左足の精度は練習の結果として得た努力の人でもあった。
清水東高校在籍時から天賦の才を持つ選手として注目を集め、19歳で国際Aマッチにデビュー。1964年に行われた地元開催の東京五輪では日本代表をベスト8に導く原動力となり、世界的にも名を売った。続く1968年のメキシコ五輪ではセンターフォワードを務めた釜本邦茂と伝説的な名コンビを形成。5アシストを記録し、銅メダル獲得に大きく貢献した。引退後はヤマハ発動機(現・磐田)の監督に就任。静岡県2部リーグにいた弱小チームを日本リーグ(現・Jリーグ)1部まで導き、天皇杯を制覇。今日まで続く強豪クラブを育て上げ、指導者としても伝説的な実績を残すこととなった。
1949年8月17日生まれ。群馬県出身。新島学園高校、慶應義塾大学を卒業後、三菱重工(現・浦和)に入社。現在は広島経済大学経済学部にて教授を務める。
学生時代から文武両道ぶりで知られた知性派で、慶應義塾大学にも推薦入試ではなく、一般入試で合格している。さらには在学中から日本代表に選ばれ、ムルデカ大会(1980年代後半まで開催されていたマレーシアで行われる国際大会)でデビュー。ワールドカップ西ドイツ大会予選などにも出場した。卒業後は三菱重工(現・浦和)でプレーし、多彩な戦術的役割を担いつつ、ハートの強さも見せる選手として、ルーキーシーズンから活躍。引き続き日本代表にも招集され、特に1978年シーズンはレギュラーとしてムルデカ大会、アジアカップ予選、アジア競技大会などでプレーした。引退後は慶應義塾大学監督などを経て、日本リーグのプロ化に向けて奔走。名脇役、名参謀として前人未到の挑戦を実現すべく活躍した。その後はJリーグ事務局次長などを経て、2007年に浦和社長に就任。AFCチャンピオンズリーグ優勝を果たした。
1958年7月19日生まれ。広島県出身。広島工業高校から明治大学を経て、日産自動車で活躍。Jリーグ開幕後の1994年、惜しまれつつ引退した。
1980年代の日本サッカー界を代表するスター選手であり、「フリーキックの魔術師」。もともとは俊足を生かして右ウイングとして活躍していたが、所属していた日産自動車(現・横浜FM)で攻撃的MFへのコンバートされたことを機にその才能はさらに花開いた。168cmと体格的には恵まれていなかったが、それを補って余りある豊かなアイディアと高質の技巧でゲームを動かす選手だった。日本の国産プロ選手第1号にもなった。明治大学の2年生で日本代表に初招集されると、すぐに定着。特に森孝慈監督時代の1982年からは“森ジャパン”の中核選手としてロサンゼルスオリンピック予選などで活躍した。代表としてのハイライトは1985年のメキシコワールドカップ予選。特に国立で行われた日韓戦で決めたFKは、その軌道の美しさと共に日本サッカー史に深く刻み込まれた。引退後は横浜FM監督を務めたほか、解説者としても幅広く活躍している。
【開催日時】
2014年12月20日(土) 13:30~15:00(開場13:00)
【イベント会場】
埼玉スタジアム2002 ボールルーム
【イベント内容】
日本のサッカーおよび埼玉のサッカーの歴史を育んできた故長沼 健日本代表監督(元埼玉スタジアム場長)が率いたメキシコ五輪メンバーや70年代・80年代の日本代表メンバーをゲストに迎え、「J1開幕前、80年代の日本サッカー」、「ブラジルW杯を振り返る」、「日本代表への期待」をテーマにトークショーを開催する。
【ゲスト】
杉山隆一氏
釜本邦茂氏
藤口光紀氏
木村和司氏
小林達彦(ナビゲーター)
【定員】
200名(入場無料)
※事前申込あり(事前申込者は優先入場)
【開催日時】
2014年12月20日(土) 10:00~12:00(受付9:00)
【イベント会場】
埼玉スタジアム2002 メインピッチ
【イベント内容】
サムライブルーの源流の中心的な世代であるシニア層を対象としたサッカークリニックを実施。元日本代表の釜本氏・杉山氏・藤口氏・木村氏を迎え、Jリーグ公式戦や日本代表戦が行われる埼玉スタジアムのメインピッチでシニア向けのサッカー教室を行う。
【特別コーチ】
杉山隆一氏
釜本邦茂氏
藤口光紀氏
木村和司氏
【定員】
55歳以上の男女 100名
【参加費】
3000円/1名
【募集締切】
2014年11月20日(木)
【応募方法】
1.下記専用応募フォームをご利用ください。
参加申込み受付はこちら
2.下記事務局までご連絡ください。
電話:048-832-9977(サムライブルーの源流事務局 ㈱ランドガレージ内)
【主催/後援等】
主催:(公財)埼玉県公園緑地協会 埼玉スタジアム2002公園管理事務所
後援:(公財)埼玉県サッカー協会