他には光ファイバーとプロバイダ料金もそうだし、ダックスフンドを飼っているから、毎月のおやつ代として5000円くらい支給されるのと、旅行へ出発する際には10万円程度だが手渡してくれる。
とは言いつつも僕はお金に執着しないタイプだから、自分で支払いを済ませたって良いんだけれど、喜んで受け取ることが親孝行になると思っているため、断るようなことはしない。
微々たるものだが一般家庭よりは資金力があるから、親のすねをかじったところで血は流れない。
(これは僕のデスク周り写真だが、こうしたトリプルモニタの環境さえ揃っていれば、他には何もいらない。どれも27インで左から順にAcer、EIZO、Dellである。中でもEIZOにはPaperモードという目にすこぶる優しい機能がついていて、この地球上で一番お買い得な品だと思う。近々全部EIZOにする)
我が子を守るセーフティーネット
ではなぜ親はこんなにも手厚くもてなしてくれるのかと言えば、20代前半の頃に、家賃の不払いや、消費者金融で三桁の借金、クレジットカード破産寸前、という僕の赤字転落っぷりを知っているためである。
すなわち、あらかじめ安全網を僕の全身にぐるりんぐるりん巻き付けて、ブラックな身動きを封じようという策略なのだ。
金がなくとも幸せに生きられるという金銭観
僕は昔から、「貧乏は不幸せじゃないよね? 転落とかレールから外れたことを悲劇と考えている人も沢山いるけれど、そうなったらそうなったで図書館に入り浸ったり、テレアポバイトで瞬時に数百万円の貯金を貯めて世界一周旅行を満喫出来る。日本で最悪な事態って存在しなくない? 破滅的な生き方でも幸せになれる土台が出来ているよね。だから貯金をする必要がまったく無い。日本で生活して詰むのは逆に難しい」という考えが根強くあるため、向こう見ずの消費をしてしまう。
破滅的消費に歯止めを掛けるための社内預金
そうした僕の金銭観を心配してか、親の会社から支給される給料の半分以上を、社内預金という形で積み立てておいて将来に備えるということまでやらされている。
僕の個人的見解としては、お金を使うという遊びは、若ければ若いほど幸福と快楽を手にしやすい性質があるような気がするから、なるべく毎月の給料は一円残らず今のうちに使ってしまいたいと思っているのだけれど、かつて迷惑を散々掛けたことも考えると、ここは一歩身を引いて、親への感謝と承諾の意を表しておく方が、互いにハピネスだから文句なしという結論に至ったのである。
まるでこれは、マキアヴェッリが政略論で語っている、『場合によっては、人を屈服させるのに、非情で暴力的な行為よりも温情に満ちた人間的なあつかいのほうが、有効である』というのを実践されているみたいだ。
上手く親に丸め込まれた子、という構図がここに完成した。
なんにせよ、「社内預金というのは悪くないアイデアだね」と、父や母には伝えておいたし、無謀型消費スタイルの僕にはマッチしたもてなしである。
楽して稼いでいるがために散財してしまうという不運
というのも、今僕は親のコンサル会社で基本9時~17時まで業務に励んでいる訳だが、緊張感がまるでなくて、お気楽感が狂おしいほどに凄まじい。
他人の運営する営業会社で働いていた頃は、疲れたら床に転がるとか、頭の回転をよくするために逆立ちをするとか、気分転換にアニメを視聴するといったようなことは許されていなかった。
でも今は真逆で、やるべきタスクさえこなせば、どんな自由な働き方も許されるから、たとえ業務量が多いときでも、プライベートビーチでメロンソーダの湖に浮かんだホワイトアイスにスプーンをさっくりと突き刺しているような気分で働ける。
それに僕は我が強くて、こうしたいああしたい、これをこうしてくれ、などといった注文をすぐに付けてしまい、以前の会社では上司に煙たがられていたが、今だと経営者である父に、飾らない言葉で直談判出来るから、返事がYESであれNOであれ、納得感を持って仕事をこなせる。
他人の会社だとやはり、七面倒なぼんくら老害のために稟議書を書かされたり、陰険な出来損ないの腐れ上司に相談してからじゃないと、トップの人間に物申せず、不平不満が蓄積して、果ては無気力になってしまうんだよね。
それどころか、「僕が人生オワタ症候群に苛まれたときは、必ずこの恨みを果たさねば」という復讐欲に駆られた不健康な人生を送る羽目になってしまい、ますます脳回転が遅々としてきて、働くことそのものが芯から嫌になってしまう。
そういう過去の重苦しい職業人生と、今の働き方を比較すると、月並みだがインフェルノとヘブンくらいの差があり、さながら悪徳なバックストリートビジネスによって、楽々悠々とメイクマネーをしているような気がしてしまい、毎月給料を支給されてもそこに努力の実感がなくて、浮ついてしまうからこそ、金遣いが荒くなり、平日にいくら丼を食べに行ったりしてしまうのだ。
その辺りの事情も勘案すれば、社内預金は身の破滅を防ぐために有効な施策であるし、さすが親というのは、我が子のことを、しかと観察し熟知しているのだなと気づかされた。
社内預金と小遣い別途支給という方法は、実によく練られた親子関係としての模範解答であり、手を叩くに値する優れた企てである、と僕は賞賛しつつ感謝している。
なぜ親のすねをかじって生きるのは悪とされているのか?
こうした親から支援されている事実を大声で話すと、「お前は穀潰しだな」「ちゃんと自分で頑張れよ」という謎の怒りが漲る口撃をされることがあるのだが、それって摩訶不思議な流れだよなと思ってしまう。
世の中には努力型の寄生虫もいて、親から資金を提供して貰ってそれをぐるぐる回すことで莫大な財産や、知識知恵を得て、社会に有効な働きかけをする人だっていくらでもいる訳だ。
仮にその過程で親に迷惑が掛かっていたとしても、それはこちらの親子関係上の問題だけであって、他人の人生にはなんの影響も及ぼさないはずである。
それなのに踏み込んでくるお節介な人々を見ていると、「感情動物だなぁ~。野蛮だなぁ~。おかしいな~、誠にこわいなー」と怯えてしまうし、「人様に変化を加えようとしないで、あなたが幸せになるために変わりなよ」と逆にアドバイスしたくなる。
精神性が幼く、他人に依存した人々が増加中
僕は人生を生きる上で大切なのは、自己目的的に暮らすことだと思っているから、ただ生きていることが楽しく、ただ生きていることが喜びで、ただ生きていることに感謝して日々を過ごしている。
であるから他人なんて関係なくて、他人は他人、自分は自分の想いが強くある。
地に足が着いているというか、地球と一体化しているような感覚というか、真の自立精神を持てているなと自負している。
もちろん僕だって、文句をぶちまける人のように、我が儘で野蛮で他力本願な考えを抱いてしまうことがあり、「お年玉の額が少ないなあ」「防音室を家に設置してくれないかなあ。YAMAHAかなあ」などと我欲の発動は止まらない訳だが、それでも見ず知らずの他人の生き方を変更させる目的で、オラオラ恐喝タックルを決めるような真似は一度たりともしたことがない。
責任を放棄した人頼みの精神、を持って生きている人が増え過ぎているよね。
足るを知るという言葉もあるとおり、もう少し人々が身の程をわきまえ、今あるものに深謝し、生きていることそのものに感動を覚えてくれるようになって欲しいな、と心より願う。
EIZO FlexScan 27.0インチ カラー液晶モニター ( 2560×1440 / IPSパネル / 5ms / ノングレア/ ブラック ) EV2750-BKR
- 出版社/メーカー: EIZO
- 発売日: 2015/09/11
- メディア: Personal Computers
- この商品を含むブログを見る
(自室にも職場にも置いてある最強のモニタであり、セール期間ならば10万円を切っていて、コスパを考えれば激安商品とも呼べる。目の疲れが圧倒的に違う。もうこれ以外は、メインモニターとして使用出来ないレベル)
(この暴君の登場する話が好きで何冊か読んだけれど、やはりこちらが一番肩の力を抜いて娯楽として楽しめる。『人間というものは、恵まれていなければ悩み、恵まれていればいたで退屈する』と書いてあるように、人は金持ちだろうと貧乏だろうと何も変わらないんだよね。どんな状況であれマンネリ化してしまうから、必要十分のリソース(食うに困らない。寝るに困らない。病院に困らない)さえ揃っていれば、それ以上はいくら裕福になろうと本人の喜びは一瞬だけで、大した意味はない。幸せは自分自身で生成するものだからだ)