10:30:00
24
自分の行いにきちんと「けり」を付けることもできない、そんな人の書く言葉は、読み手の心を迷わすことさえできません。

読み手は、自分の頭で、考え、読み、答えを出す。
4月14日 菜菜の言い分の記事より、一部転記。
えありす100
えありす200

もしあなたが、事実でないことを流布されたら、どんな気持ちになりますか。
もしあなたが、

そう、

自分の行いを、
あなたの位置に置き換えて考える事をしないと、何を書いても言葉が汚れるだけです。

このblogを立ち上げた理由。

それは事実に反することをblog主とコメント者に流布されたからです。
blogのできた理由をここに置きます。


事実とは、「記憶」ではなく、事実を示す裏付けにより、事実と認識されるのだと思います。

麦さんのblogにかれん桜さんからの抗議コメントは、書きこまれていないと存じます。
私のアメーバーblogに2つのコメントが入ったことは、すでに、4月17日の「菜菜の証明」に明記してありますし、何度も機会があるごとに、証明の言葉を残しています。
そして、醜いコメントを投稿した人のIPをその時に保存したことも明記していました。

コメントの投稿が無ければIPは保存できません。
書いたからこそ、残っている、コメント投稿拒否の設定が出来ている。
これ以上言葉での説明は不可能です。

もし万が一、麦さんのblogにも書いたのであれば、かれん桜さんの記憶に、2か所に抗議コメントを入れたと残るはず。
「菜菜のblogには入れていない、麦さんのblogだ!」と書くから、私は事実を証明すべく、記事を書いたのです。


引用 菜菜の証明

ところが、それには一切応えず、彼女の抗議コメントを、貴女は数日後に削除されました。
【菜菜のblogに投稿された2つのコメントは、気付いた時点で即座に削除をしました、投稿者のIPだけは保存をしました、投稿者の確認の為に。麦さんのblogコメント欄には抗議コメントは投稿されていない、だから、削除もできない、これが事実です】



花水木さん。
あなたがこのblogを読まれてかれん桜さんに伝言されたのであれば、この答えは?

引用
正直者だと仰る、あなたに問いかけよう。
ロム専門の男性読者さんは、あなただね、



これはとても大事な事ですよ、きちんとお返事を頂きたいです、blog記事がこのままになりますよ。
スルーできることではないはずです、事実無根であれば即座に抗議が来るものだと待機しています。
私がもし、思うことの先に間違いの言葉を記しているのであれば、それは、訂正をしてお詫びを入れないといけませんから。
(私が思う事=過去に幾度もHNを変えられて、実名漢字を投稿された嫌がらせの数々を思いだすから)

なのに、今回頂いた抗議内容にはこの質問への抗議は含まれていません、触れておりませんね。
*抗議コメントは菜菜のblogになんて書いていない「嘘つき」
*書いてもいないのに?残ってもいない?かれん桜さんのIPをこの場で晒した!と言う。
この2つの言い分はかみ合わないのです。
私のblogにコメントを入れていないのであれば、先に掲載したIPはかれん桜さんのものではないと言うことになって来る。

コメントを書いたからIPを保存できた。
IPを載せましたが、読み取れない工夫を施してから載せています。
もし読み取れた人がいたのであれば、コメント欄に申し出て下さい、照合しますので。

確かでない言葉だけを並べられても、それだけでは受け入れられません。
既に何度もコメントに関しては書いてきているにも関わらず、かれん桜さんが認めないから先日「載せた」
そのいきさつを無視して、ここで「コメントの事は初めての発言」だとの指摘こそ虚言であります。
自分の行為に対して裏付けを示しながら発言をされたらいかがですか。



私への抗議内容を整理してみてください、でないと求められた答えをこちらが提示することもできません。

株の掲示板で〇遥かさんが行った出来事は全て保存していますが、その内容を載せてはいけないと私が自分の相談役から注意を受けたので、削除をしました。

FC2blog管理者?連絡はないですから、なんのことかわからないけど、
保存画像を一度記事内に掲載後に削除した件は事実ですが、その理由につきましては、あなた方の勘違いですと明記しておきます。
15:00:00
20

瓜の藤枝氏

株式相場では、買いのみしか行えない。
専業主婦の私には信用取引ができないため、株の空売りが出来ませんでした。

買って利益が出て(或いは損切で)売る。
言わば片側の売買形式しかできないのです。

はめ込み株で、のちにそれが倒産株になり投げ売りの中で残った数十万をFXの口座に移して新しい取り組みが始まりました。
家族の会いに支えられたことは、例え家族と言えど、深謝の気持ちで一杯でした。

株式掲示板で知り合えた多くの仲間たちにも支えられ、FXでは、相場に関する勉強をしっかり行いました。

売りから入れるFX.。
口座を開設したら、売りからでも仕掛ける事が出来る、売買の幅が広がった。

いきなり売りから入れたのも、株式相場に関わっていた3年の間に「2ちゃんねる」のスレッドで売りを学んだからです。
瓜の藤枝氏。
毎日何時間も入り浸りで、「「売り」とは、売る」事とは、それらについて多くを教えてもらいました。
もし私にあの学習の場がなく、FXでも、買いしかできなければ、2008年のリーマンショックで退場していたことでしょう。

株式は2004年から2007年まで居て退場させられました。
FXの方は2007年に始動開始。
2009年には手ごたえを感じるまでになっていました。

移行してから今年で10年目です。
生き残れた一番の動機が売りを学んでいたからこそ、と、改めて言えます。

今でもチャートを見ながら思う。
上げを売った時、さらなる上げが怖いのではなく、上げた位置から落ちることなく静かに横に値が動いている時。
その静けさが怖い。

もしまだ藤枝氏のスレッドが過去ログに残っているのであれば読んでみたい。
そしてお礼を言いたい、ここまでやってこれたのは藤枝氏の言葉を読めたからです、と。

1月から3月まで、今年も春相場まで頑張った。
この後家族旅行に行き、今の私を支えてくれる家族に年に一度のプレゼントを渡す。

5月までは休養を取り、再び相場の世界に戻る。
仲間のいる場所に。

家族の為に、またトレードに精を出す。
あの時の私の無知な行いを責める事もしないでずぅと支えてくれている家族が居るからこそ、私は頑張れる。

相場の中に居て、自分で在り続ける事は難しい。
だが、それを貫かねばならぬ。

相場とは独りで戦うものである。
相場に関わる時は他者本願では成りゆかない。
いかなる時も自分で考え、自分で答えを出し、そして行動に移す。
出てきた答えは利益であれ、損失であれ、自分が受け取るしかない、誰にもそれを代わってもらうことはできないのである。


自分のblogで書かねばならぬ出来事が起きました。
だからそれを成すべ、くこのblogを開きました。

私の証言は、私にしかできない事だから証言しました。

私の怒りは、言葉にはできません、怒りを言葉に置き換えても解決にはならない。

私が私を振り返ることで、これまで見えていなかった部分が見えるのではないかと思い、気付きの日をきっかけに過去に戻ってきました。

気付かせて下さる人がいることは、何物にも代えがたいと思う時があります。

7編の記事の中で、引用した「記事、コメント」が多数ございます。
関係各位様、
身勝手な行いにご不満もあろうかと思いますが、ご指摘を受ければ即座に対応を致しますのでお申し出の程よろしくお願いいたします。


なお読者様に対しては、ここは私の心の整理として開いたblogゆえ、ご意見、ご感想、ご指導の趣旨はお受けかねません。
皆々様からのコメントはお断りいたします。


このblogの存在はここまで、記事の更新は終了します。
05:00:00
20
サルでも儲かる株式相場と後に歌われた2005年~後で思えば、天を付けて流れが変わる日が近づいていたようです。

サル以下と言われたど素人はそのような相場の流れが解るどころか、まんまと大きな穴に落ちました。
「嵌め込み」です。
そこで言われるがまま同じ銘柄を買い続けて、大きなかごからあふれんばかりの卵を買い占め、それが全て割れた!

ひと財産失い、初めて自分で自分をとことん責め続けた日々。

家族に支えられて。
株仲間に支えられて。
あのどん底からよく這い上がれたことだと、今では思える。

人はどん底から這い上がれると「強く」なれるものです。

でも、それは相場に向かう私の技量が向上したとか、私の知識が豊かになり「相場に強くなれた」事を指しているのではなく、家族の愛に守られて自分が幸せを感じていられることが、明るく暮らせていただけのこと、トレーダーとしての努力は惜しまなく続けていたが、持ち合わせている技量と、掲示板での人気とには乖離があったのです、そこに気付けないのは私一人。

今だから、こう書けますが、当時は何も気づけていない、自分なりに苦境を乗り越え、株式からFXに移一から頑張っていたことは、当時の私なりには、事実だったから。
それでも相場は甘くはない、1つのかごの卵を落として割った経験はそう容易く身に付くわけでもなく十分生かされないまま、株からFXに移行した後も相場の話を書き続けていました。

投資家としての技量も知識も伴わないのに、立ち直れた自分を褒めていたようです。
そして周りでも色々な事でもてはやされて、天狗の鼻は伸び放題。
本物の投資家さん達、できる人から見たら「何を偉そうに・・・」の状態であった様子が、今の私なら想像できます。
あの頃の自分の姿が、「出る杭は打たれる」にも値しない、まだそれにさえ成れないのに、人気だけが先行していた。

そういう有様は、必ず、どこかで、反動が来る。

2010年の我が身に降りかかった災難は、実は、身から出た災難だったのかもしれないと、思うこともたまにはあります。
でもだからと言って、私の個人情報を不特定多数の人に漏洩した人の行為は認めるわけにはいきません。

人として、超えてはならない一線がそこにはあったはずです。
なぜ、超えてしまったのかは、その人の胸の内にあるだけで、私には聞こえてこない。
10:00:00
19

あの頃は華やかな時代に思えた

だが、それはもう、終わりに近い「時代」だったようだ。

私が株式の世界に飛び込んだのが2004年の秋、初めて買った銘柄が「スターバックス」

翌年の2005年売買にも慣れてきたので株式の掲示板に参加をしました。
バカでも、チョンでも、買えば上がる株式の華やいだ時代が、後にサルでも儲かる2005年と言われた年でした。
よくこんな言葉が飛び交いました、電話帳を無造作に開いて、下4桁の数字をオーダー表に書き入れて注文を出したら儲けが出ると。

私のようなど素人投資家でも錯覚を起こすぐらいのいい稼ぎを毎月出していました。

私のキャッチフレーズは「株の事は書けない〇〇姫です~」で登場。
そして「ふれあい掲示板」のサブ管理者として多くの人に可愛がって頂きました。
ここは裏掲示板なので、素人投資家でも気楽に株の勉強をさせてもらえました。

表の株式の掲示板は著名な方々が集う立派な掲示板でした。
後にテレビドラマになった株式青年、白〇さんや、本を出した時〇〇さん、200万を2億にまで増やしたぽ〇ぽ〇さんも、在籍していた掲示板です。

管理人1名。
副管理人が8名。
今でも同じ名前の「掲示板」が存在しますが、別物です。
私がお世話になった掲示板は運営会社の統廃合で掲示板が削除されてもう存在はしていません、もし今でもあれば、懐かしさのあまり、涙がこぼれそうです。

表掲示板に〇よかぜさんと言う方が書きこみをされると、よく板が荒れました。
この方は私よりも株の世界では先輩で、すでに掲示板には登場されていましたお見掛けしたのは2005年。

当時は携帯の通信費も高く、サラリーマンの皆様が、株の動向を知りたくて掲示板を覗けば、やたら長い文章で、私は投資顧問で大切なお金を無くしました、老婆心ながら・・・とコメントが入っている。

昼休みに、株価が気になり高いバケット代金を払いながら見ているのに、なんでこんな書きこみをするのか!と、夜になるとクレーム投稿が増える。

昼間の投稿者は裕福で時間もある投資家さん達が多い。
夜になるとサラリーマン投資家さん達が集う板。

それぞれひいきの投稿者(常連さん)が居るので、〇よかぜさんを好きな人が居るのも確かでした。

管理人さんはめったな事では「投稿拒否」の処置は取らない方で、どちらの言い分も聞き、〇よかぜさんに、長い投稿文は「昼休み時間を含めた場中」には入れない事などの提案をされて、しばらくは様子を見ていました。
ですが〇かぜさんは、時さえも気に掛けずにコメントを入れていました。

このお方は自分の行為で周りが迷惑をしていることに気づかないので、態度を改める事が出来ない。
掲示板が荒れ始めて、ついに管理人さんが〇よかぜさんに投稿禁止の処置を出しました。
長くつらい、板の 荒れた時期。
今度はその処置に対して副管理人数名が異議を申し立て、副管理の役目を辞退すると言い出しました。

良い掲示板でしたが、〇よかぜさんの登場で、ついに数名の副管理人さんが板を去って行かれました。

彼女が書きこみをするたびに、あ!なみかぜさんが来た、と、裏掲示板では息を呑んで表の様子をうかがっていましたよ。
うさぎさんは、今でも株式を頑張っておられるのだろうな。
うさぎさんをかばい共に、一度は板を離れたぞうさんはのちに管理人さんの許しが降りて板に戻りました。
うさぎさんとぞうさんと大変仲良しだったスロハンさんは、管理人様が正しいと、お二人と別れて始めから板に残りました。

良い掲示板が、たった一人の世間を知らないご婦人の為に分裂をした。
世間を知らないから、携帯の通信費が高いことも知らない、サラリーマン投資家が必死に情報を得ようとしている事さえ気づけない、周りが説明をしてもきく耳がない。

その後、表の板を投稿禁止にされたが、裏では皆さんと仲良くしたらいいと、管理人さんの配慮を得られて、当時板を子守していた私が〇よかぜさんを受け入れました。

忘れることもできない、ふれあい掲示板での〇よかぜさんの連続投稿。
表をなぜ私が投稿禁止になったのか?それが納得できないと、裏の掲示板を連続、〇スレッド占領して書き散らかし、ついに、裏からも消えろ~と追い出されました。

追い出されたのち、HNを〇遥かさんと変えて、他の板にも同様の投稿をされていた。
ご本人はそれがなぜ咎められるのかが理解できていないので、繰り返すのです。
周りは説明しようと頑張りますが、受け入れない心が理解まで結び付けてくれないから、こんなことも解らないか!で管理者は投稿制限を掛けていく。

同じような騒動を起こし、次々に投稿禁止になり、流れ着いたように受け入れてくれた掲示板がが、大吉さんの掲示板でした。
管理者の大吉さんはどなたへも「来る者を拒まず、去るものを追わず」と優しいお方でした。

〇よかぜさんの時代=私は〇〇姫で知り合ったのが2005年です。

〇遥かさんの時代=私は〇姫でしたが後に〇〇と菜菜に改名しました。
なぜ連続で名前を変えたかは、そうせざるを得ない事態が起きたからです。

それは2010年の事でした。

注意)作り話ではなく、実際に私が経験をしてきた株式掲示板の想いで話です。
なぜ鮮明に覚えているのかは、私が素人投資家で、掲示板も初心者にも関わらず、管理人さんに気に入られていきなり「ふれあい掲示板」の副管理人になり、その当時の記事や出来事を保存しているので、ファイルを全て紐解けば、〇月〇日、どんな出来事があったかも再現できます。

blog記事に「異論、反論、要望等」のある方はお申し出ください、すぐに対応を検討します。


***********************

2017年4月20日 2:30追記

あるコメントを読んで、「人は変わらないものだなぁ~」と感じた。
時だけが過ぎているだけで、変わらない姿を今日も見せられた。

ふれあい掲示板に、書き続けていた姿が重なる、蘇る。

我が身の行いを省見ることなく、被害者としての立場を強調しながら書きたいことを書きたいだけ書き続ける。
私は、悪くない、正直だ、被害者だ。
なぜこのような目にあう、なぜこのような扱いを受ける。
収まらない気持ちをそのまま文字に残そうとする。
たった一晩胸に納めて過ごす事さえ選択できない。
夜綴る言葉よりも、朝陽の中で綴る言葉の方が優しくなれるのに。

正直者だと仰る、あなたに問いかけよう。
ロム専門の男性読者さんは、あなただね
怒りに任せて、相手に言葉を投げつける姿が同じに見えて仕方がない私。

そういえば昔、私を「奈奈」と書いて、得意の意見をされた時にHNを「主婦投資家」として書いたことがありましたね。
あの時の言い訳が、〇遥かで書けば聞いてもらえないと思ったから、HNを変えたと言いました。

なんと身勝手な行為でしょう、自分の話を聞いてもらえそうにないのであれば、引けばいいのに、身分を偽ってでも「聞きなさい!」の発想になるとは、それは、身勝手というものです。

自分の意見を押し付ける為であれば、名前など変えても「他意はないと?」
株式掲示板ではかなりの人気板で閲覧者が多いこの場所に、奈奈の文字を投げ入れるなんて、あの時の貴女も「いつも正直で誠実に」生きていたのですか。

なぜ何年も貴女との関係が続いているのか考えた事があります。
私はあなたのblogに言葉を残すことは一度もない。
でもあなたは、前のアメーバーにも「奈奈」さんと、書きこみを入れた。
常に付きまとわれ、コメントを入れられて、どれほど苦痛であったか、解ろうはずもないです。

この言葉だけはお返しします。
【貴方方の心の闇を見る思いがしないでもありません。】
私の心に「闇」は存在していない。
日々を家族と謹んで暮らしています。

あなたの行動には、大きな影が付きまとう。
嘘付という陰ですよ。

知り合ってから今日まで、数えきれないぐらい、貴女が書くこの言葉を目にしてきました。
【もう二度と見ません。】
今日は私が書きましょう。
もう二度と私のblogを見るな!読むな!付きまとうな!

貴女のblogにたった一度でも「言葉」を残したことは無い。
いつも、いつも、「醜い言葉を投げ込まれたのは私」。
二度とごめんです。

これを最後と信じて、ここにあなたが書いた言葉を残します。
【もう二度と見ません。】
11:00:00
18

気付かせて頂いた。

目覚めの夜中にそれは起きました。
目の前の霧が晴れて、迷っていた夜道の先に一筋の灯りが見えてた喜びのような感覚でした。

解っているようで、気付けない事は沢山あります。

とくに視点を変えるという行い、これは大変難しいです。
人は自分の変化を嫌うもの。
変化は受け入れがたいできごとです。

変化ではなく、気付きなら、話は少し変わってきます、己の行いも振り返ることが容易くなる。
気が付いたのに、方向性を修正できない事は、のちのちに大きな負を背負います。
それはFXのトレーダーに成り嫌でも覚えた事、相場の中では「我を張れない」それを人生の人付き合いにも生かしていく時です。

出来事1
もし私が麦さんの所に「コメント」を書き入れ無ければ、「菜菜の証明」の記事を書く必要は生まれなかったし、かれん桜さんに嫌な思いもさせることは起きなかった


事の発端は私が起こしたコメント投稿にある。
(ここで私がコメントを書き入れた時の心情には触れません、その時のblogの状況も私がここで書く意味はない、今書いていることは、もしあの時点でその行為を思いとどまっていたら・・・の話です。)

時間を巻き戻しに入り、戻りの道を駆け足で進みました。

出来事2 (ここは私本人の事ではないので架空話と受け取って下さい)
ある方Kさんのblogが削除されなければ、麦さんは「愚か者の・・・」ブログを書く事はなかったのかも。



出来事3 (ここは私本人の事ではないので架空話と受け取って下さい)
ある方Kさんのblog記事に、かれん桜さんがコメントを書き入れなければ、知り合いにはならなかったのかも、そしてその後のある方Kさんのblog削除への想いも起きなかったのかも。



人と人の接点になった出来事がもし起きていなければ、今のこの争いは生まれていなかったのだな。
そう思えたのは、傍観者さんのコメント文を読んだ時でした。

だから時間を戻し、自分の行為が生み出した事へのお詫びを書きました。
同時にblog管理者であります、麦さんにも同等のお詫びを書き入れるべきだとの想いは湧きましたが、これまで麦さんには、私のコメント投稿で生じたご迷惑については機会があるごとに、私なりの深謝と事実確認へのフォローをさせて頂きましたので、かれん桜さんへのお詫びを優先させて頂き、並べて書く事を控えました。

傍観者さんのコメントで気付かせて頂いたことをお伝えしたい気持ちが先に立ち、麦さんのblogにコメントを残しましたが、自分の記事「菜菜の証明」の文末にもかれん桜さんへの一言は追記しています。

出来事4 私の個人情報が47人64名の人の手に渡り
その後ある掲示板に、流した本人のメールの内容と共に、住所、氏名、電話番号、フォトが掲載されていた件については、今後このようなblogや掲示板、コメント欄でやり取りする趣旨のものではないので、闘うべき場で取り組んでまいります。



出来事 5 かれん桜さんが私の実名漢字を数年間書いてきた事に付いて
和解には至りませんでした。
人の心さえ感じられない身勝手な返信内容に闘い抜く決意を新たにいたしました。

あの掲示板に出向き、自分の目で確かめられたらいい、自分の書いた言葉を読んで、それが他人のナリスマシでないことは一目瞭然。
そして、幾度もHNを変えて「奈奈」を書き続けた時のあなたの心は、いかような色をしていたのかも思い出されたらいい。
私はあなたには、負けない。




今回、傍観者さまの言葉を、心を無にして耳を傾けて聞けたことが、なによりも大きな教えとなり、今後の人生に実を結ぶ事に繋がりますよう、努力を積んでまいります。


麦さんには、重ねて、あなた様の心を煩わす行為に出ました事を、この場で深くお詫び申し上げます。

麦さん、あなたのblogへの書き込み禁止は確かに受け取りました。
解除は必要ないことです、お別れの時です。