大衆はいつも見誤る。
大衆はいつも見落とす。
だから流された大衆の意思によるいわゆる「ポピュリズム」に陥ることは、非常に危険だ。
しかし僕らは、チャーチルの言う「他に代替手段がないから仕方なく採用している史上最低の政治システム」である民主主義に、これからも渋々世話になることだろう。
アニメがもはや多数決ゲームだ、とは良く述べているが、そもそも民主政治がただの多数決ゲームに過ぎないのだから、僕の言葉の説得力も半減だろう。
だから僕はいかなる選挙にも行かなくなった。
どうすればいいのか?話し合いか?熟議か?
正直、僕はこれも何度も述べているが、「必ず人は解り合える」と思っていない。
ひとまず話に乗ってみるが、議論として成立する最低限の共通項が見つからない場合、議論を打ち切る。
そもそも議論としては成立しないのだ、未来永劫。
僕がせいぜいできることと言えば、提言は広く万民に伝えるが、議論は「話の噛み合う」相手しかしない。それ以上は無理。
そう痛感して、僕は業界(のコアの部分)を捨てた。
この社会を多数決ゲームにしないためには、そもそも多数決ゲームを極力しないということがもっとも大事だ。
政治の世界ではそれも仕方ない。しかしアニメにまで導入する必要はなかろう。
カオスとなった自由からは今すぐ逃げ出さなければならない。
それが僕の言う「民意」だ。