仕事の目的はお金を稼ぐことだ。
親のすねをかじって暮らす人を忌み嫌う大人たちは、働くことの何が尊いと思っているのだろう?
「働きたくて働いているわけじゃないのに、自分がこんなに苦労をしているのに仕事もせずに楽して生活しているなんて許せない」
こんな本音が見えるのはわたしだけだろうか。
10年以上も接客業をしながら学業や音楽を並行してきた中で感じてきたことを書いていこうと思う。
ニートを恥じる背景
もともと生まれながらにして偉い身分というものがあり、王族や貴族がそれであった。
貴族などは特に仕事をせず、毎日のように遊んで暮らしていた。
しかし「あいつら貴族は仕事もせずにけしからん」とはならず、それが当たり前だった。
昔から、仕事は庶民の分野であった。
身分的な差別は良くないと憲法を定め、庶民にも対等な人権を与えられるようになってから、今や成金と呼ばれる一般庶民が労働によってのし上がってきた。
そういった背景から、仕事で巻き返せばお金持ちになって良い暮らしができると、働くことを「良いもの」と捉える傾向が生まれた。
経済的な成功を鼻高らかに豪語するバブル期の成金がまだまだ健在で、そんな大人から教育された子供が「働くのは尊いことだ」と幻想を抱いているから、ニートを恥じるのである。
働きたくないのが普通
働くのは間違いなくお金が欲しいからである。
「いや、自分は好きなことだから仕事にしてるんです」と反論がありそうだが、これから先一銭の収入にならずとも仕事として続けるかと問われたら、ほとんどの人は辞退するだろう。
誰しも遊んでいた方がいいに決まっている。
だから「遊びを仕事に」といったキャッチコピーが流行る。
どうせやらなければならないことなら楽しくやりたい、好きなことで稼ぎたい。
こう考えるのは人情というもので、当然である。
誰だって苦痛なことはしたくない。
ただ、働かなければお金が底を尽き、暮らしていくのが困難になるから仕事をしているのである。
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仕事とは
仕事とは、読んで字のごとく「事に仕える」である。
世の中には金銭の発生する仕事と無償の仕事がある。
歯を磨くとか食事をするとか、時として(もしくはいつでも)面倒な、やらなければならない人間として最低限のルーチンワークに給料は発生しない。
人間の生理的な営み(日常で必要なお風呂や、生存活動である呼吸も含める)は 、基本的に仕事とは呼ばれない。
女として言及するのは微妙かもしれないが、わたしにとってお風呂なんかは面倒な作業なので仕事という位置づけである。
やっても誰の役にも立たないが、やらなければ生きていけないのでやるしかない。
これが、仕事とは呼ばれない「仕事」である。
皿洗いや洗濯などの家事も、明確な金銭が発生しない仕事と呼んで差し支えないだろう。
やりたくてたまらないからやっているというよりは、仕方ないからこなしている人がほとんどだ。
金銭の発生する仕事にしても、休暇が設定されている時点で「やらなくても済むなら本当はやりたくない感」が出ている。
やりたくてたまらないのであれば、休日などなく毎日嬉々としてやってしまうものだ。
わたしが本を読むのが(仕事ではないけれども)日課であるように。
やりたくはないけれど、やらないと支障が出るから仕方なくやっていることを仕事と呼べそうである。
仕事はしたければすればいい
働かなくても暮らしていけるだけのお金があるのであれば、別に働かなくても良いのではないか。
好きなだけ遊んでいたらいい。
お金に困っているならどうにかして稼がなければならないが、あるのであれば何が問題なのだろう。
働いていないというだけで無条件に顔をしかめるのは、バブル時代の偏った教育に支配された価値観である。
人は働くために生まれてきたのではない。
「働かざるもの食うべからず」は奴隷制度の考え方である。
働くために生まれてきたというのならわたしは生まれたくなかったし、働かせるための子供など産みたくない。
働いていようといまいと、他人に迷惑をかけずに元気で健康に暮らせていればそれでいい。
働かない自由があって、もちろん働く自由もある。
「この仕事が生きがいだ」というのであれば仕事に邁進したらいい。
でも、それを他人に押し付けてはいけない。
働きたい人が働けばいい。
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働くことを尊いと語るのは
仕事をしないことを頭から否定するのは、働かない人が増えると困るからである。
老人に比べて体力も未来もある若者が働かないなんて、と嘆くのは、汗水垂らして働いてきた今までの自分を肯定するためだ。
働くことが尊くてニートは尊くない理論は、どこかズレている。
働かなくてもいいなんて認めたくない大人が都合よく発した言葉としか思えない。
わたしは仕事することを否定したいわけではない。
別に仕事をしているから偉いわけでもなければ、仕事をしていないから偉くないこともない、ということを言いたいだけである。
人間は条件付きで人権があるわけではなく、本来は生まれながらにして平等に権利があるはずだ。
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選択と創造
そうはいっても、働かなければお金が底を尽きて暮らしていけない場合が出てくる。
生きていけない場合は死ぬしかないので、そうなるとやはり資金調達せざるを得ない。
好きなことを仕事にする天才たち
ほとんどの人は、仕事は選ぶものだと思っている。
他に何があるんだと言われそうだが、天才と呼ばれる人たちは仕事を作り出している。
最初に車を生み出した人、
家電製品を発明して世の家事を圧倒的に短縮させた人、
こういった人々は、その時ある仕事から選んで仕えていたのではなく、
- 「もっとこうなったら便利になるんじゃないか?」
- 「これを研究して成果を出せたら新たな発見に繋がるんじゃないか?」
など、新たな仕事を創造している。
誰の許可なく熱心に研究していたら勝手に仕事になっていた、という感覚である。
手っ取り早く稼ぐには
しかし、誰しもが新しいものを生み出したいわけではない。
発展したものを維持する人も、現代社会においては欠かせない。
技術も時代も発達した日本において、手っ取り早く稼げるのが就職やバイトなどの雇用されて働くことである。
少し我慢してやりたくない仕事に労働力を提供し、対価としてお金をもらう。
仕事を創造するのは手間も時間もかかる。
自分がやりたい方をやればいい。
ちなみにギャンブルはリスクに対してリターンの悪さが割に合わないので、どうしてもやりたい場合は今ある財産をすべて失う覚悟を持ってやること。
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どう生きるかを明確にしよう
どんな生活を望んでいるかによって、必要な金額は変わってくる。
質素で慎ましく生活できるなら「人生=仕事」にする必要はない。
お金持ちになって贅沢三昧で暮らしたいなら、やりがいよりもまず稼ぐ方法を考える。
働き方に迷っている人、働くことに疑問を抱くすべての人々へ。
あなたはどんな人生を生きていきたいだろうか?
アニソンブロガー南 咲希(@minamix_syanari)より。
しゃなりぉー!(・ω・)/