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>総本山が先生を総講頭に再任した昭和59年は未だ、五代会長就任3年であるとの理由で却下。
その年の10月に先生をもう一度会長に、と、進言された池田城久氏が胃穿孔で急死。
医療技術は進んだ現在、耐えられない激痛を伴う胃穿孔で亡くなる事は考えられないとの医師数人の言葉。当日、先生御夫妻は和歌山県白浜町にて、要人を迎える為に不在。
五代会長は腸閉塞で入院。理事長も捻挫で動けず。
詳細に綴られた記録によると、胃痛を訴える城久さんを本部車両が乗せて、病院に行かず何故か八王子の大学へ。その後数時間都内を走行し、夕方女医の石川医院へ搬送。
なにをしてたの!と医師より厳しく叱責され、石川信一の名前で帝京病院に搬送。
城久氏死亡。
総本山を通しての確認によれば、名誉会長の御子息が病に倒れては恥だとの、御本人の指示により大学や、都内を回りました。病院に参りましょうとの言葉にも耳を傾ける事なく、耐えておられました。等などのようです。
事件の真相解明のポイントは、起きた事実によって、一番得した人間は誰か、を調べると良く解る、とは、戦時中は特務機関コダマに、所属し、戦後は警察だった父の言である。<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/67763
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激怒!
これって、殺されたようなものじゃないですか!!
城久さんを良くご存じの先輩が、城久さんを語る時、いつも涙を浮かべていました。
「城久さんが生きていらっしゃったら、創価学会は大きく(良い方向へ)変わった!」と。
その先輩は、城久さんの仇討ちを強く叫んでいました。
しかし昔の自分は、城久さんの名前さえ知らす、いったい何のことかわからないでいました。
しかし今は違う!何か見えてきた気がします。
宮川様、ダメ様、誠にありがとうございました。
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