「通州事件」日本軍全滅、中国軍の略奪、暴行、強姦惨状
日本と中国がなぜイガミ合うのか。さかのぼって中国、日本の歴史を知らないと、よくわからない。靖国史観でも、自虐史観でもなく、ましてや、中国人を憎む材料として書くつもりはない。
あくまでも、客観的に日中に起きた事件として見てみたい。国と民族が違うと、人間の歴史には、こういうことが、一定の条件下ではいつでも起こり得るのだ。
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私たちは、中国と日本がこの満州事変(昭和6年)以来、盧溝橋事件(昭和12年)の混乱を経て、宣戦布告なしに日中戦争(支那事変)、そしてアメリカとの太平洋戦争へと突入した。
日本国として、今次戦争をはどう考えるかを学校や教科書で学んだ記憶がない。戦後日本の国民に、なにも情報の伝達が行われていない。旧兵士の祖父たちは、黙して、戦争経験を墓へ持ち込むのだろうか。
今、日本人は、自らの力で知るしかない。
客観的に正確な情報を拾い上げて、「通州事件」を調べてみたい。そして、「南京虐殺」においては、中国側がどう加工したのか、あるいは、「南京虐殺」は日本兵の個々の行為か、軍主導の考えで行われたか、それを(日中の争いにすることなく)検証したい。
「南京の大虐殺」は、東京裁判で取り上げられて以来、日本人のやった事件として喧伝されて、戦後の(戦争に参加しなかった)日本国民に大きな負い目になっている。部分部分では、兵士の告白で伝えられているが、その実体は、全体でどう位置づけされるか・・・。
個々の戦闘、あるいは虐殺事件を拾い上げることで、戦争の残酷さを知っておきたい。その一つ、日中戦争への道のりの重要ポイントである「通州事件」を書いてみたい。 「通州」(冀東きとう防共自治政府)とは、満州に接する中国の一地域である。そこは、北平(現:北京市)の東約12km、通県(現:北京市通州区北部)の中心都市。日本人妻を持つ殷汝耕が、(親日的な)「冀東(きとう)防共自治政府」を設立した。また、欧米列強同様に、北京議定書に基づき、昭和になっても、日本軍が邦人居留民保護の目的で駐留していた。
(北京議定書:1901年(明治34年)9月7日、列国と清国・義和団との戦闘の事後処理に関する最終議定書。日本の正式名称は、「北清事変に関する最終議定書」である。)
列国:ドイツ帝国:オーストリア:アメリカ合衆国:フランス:イギリス:大日本帝国:ロシア帝国:イタリア王国:(オブザーバー:オランダ:ベルギーが加わる)
1937年(昭和12年)7月29日、中国の通州において冀東(きとう)防共自治政府の保安隊(中国人部隊)と(中国人)自警団が、租界となっている地区へ入り、(日本軍部隊・特務機関が近郊へ警備活動中に)留守部隊と在留日本人を襲撃し、大量虐殺した事件。
日本軍は壊滅し、日本人居留民の385名のうち223名が虐殺され、女性はほとんど強姦されて殺害され、殺害方法も猟奇的なものが多かった。また居留地の朝鮮人慰安婦も殺害されている。
この事件を中国人群集の中にまぎれて、中国人の妻(日本S子)が見ていて、手記という体裁でYouTubeに掲載。掲載にいたるには、多くの手が加わっているが、真実に近いだろう。
S子さんの中国人夫は、大阪にいて、口八丁手八丁で面白い人であると思って、冗談で「妻になってくれ」「いいよ」と言い合う仲になっていたところ、友人を仲人にして結婚を申し込みに来て、前借金を清算して、強引に結婚して中国へわたる。(中略)
通州事件の真実 Sさんの体験談 1/5
http://youtu.be/U7vJtEzXog(現在抹消)
日本兵の駐屯地は景気がよさそうだと聞いて、通州へ引越し、日本兵と親しくなり、日本語をつかえるので信用され、駐屯地の御用聞きを商売をしていた。
ところが、昭和11年頃から、(通州の中国人地区は)抗日、反日機運が高まっていて、夫Tさんから
「日本語を使うな、中国人のように振舞え」と、中国人社会で浮き上がらないように仕向け始めた。
その頃から、日本兵舎には近づかないようにした。
通州事件の真実 Sさんの体験談 2/5 http://youtu.be/8lFoaBcKAPY★★
通州事件の真実 Sさんの体験談 3/5 http://youtu.be/D11JzEsu5hc★★
通州事件の真実 Sさんの体験談 4/5
http://youtu.be/xpv2a9s_mfU ★★
通州事件の真実 Sさんの体験談 5/5 http://youtu.be/WcINl5PCAMA(現在抹消)
「通州事件の真実」は、Sさん個人的な体験であるが、その裏に、蒋介石国民党軍と中国人民の反日意識が高まり、浸透し、反日暴動のように爆発した。中国人社会に反日機運が横溢して、日本人に近づくと中国人から敵視される雰囲気が昭和11年頃から高まって、昭和12年の盧溝橋事件が勃発し、中国国民党軍の誘導で、巧みな挑発や宣伝放送などに乗せられ、中国人、親日政府軍が一気に火がついたように暴動になった。
1937年(昭和12年)
7月7日(盧溝橋事件)に中国軍による駐留日本軍への銃撃に端を発し、宋哲元の第二十九軍と日本軍が衝突した。まもなく停戦協定が結ばれたが、日本人大量虐殺事件がおきる。
7月13日、再び日本軍に銃撃する事件が起きて(大紅門事件)、
7月25日、三度日本軍に攻撃を仕掛け(廊坊事件)、
続く7月26日にも、日本軍に攻撃を加えた(広安門事件)。
そして、「通州事件」7月29日早朝2時、異様な音が響いてきて、日本人妻Sさんは、夫に促され、事件現場に駆けつける。野次馬の一人になって見守る。
見たのは、
15歳くらいの(日本人)少女が連れ出され、その子が裸にされ、今にも犯されそうになったとき、父親らしい男の人が出てきて、裸の少女の上の被さると、中国民兵はその父親の頭を銃の台尻で殴ると、父親の頭蓋はくだけて、脳漿が飛び出す。その後、娘の陰部を銃で刺し、腹を刺し・・・
(日本人)おばあさんが逃げ出してくると、それを保安隊の青年が追いかけて、捕まえてきりつけるが、失敗して肩を切る。そののちに首を切る。
成人(日本人)女性二人が連れ出され、一人は反抗してセックスを許さず、切り殺すが声も出さず倒れる。もう一人は、衆人環視の中で、セックスを(中国民兵)一人、二人、三人、四人と・・・その後、殺された。腹を切り、陰部の箒状の木を立てる。
(日本人)妊婦が連れ出される。抵抗もせずに無言で立っている。夫と目される男が抵抗して殺されたあと、妊婦は腹を切り裂かれ、胎児を取り出し、踏み潰す。
(日本人)男性は、剣道の有段者らしく、木刀で立ち向かい、相手の中国人の肩口を打ちのめし、数人倒したが、後ろから切りつけられて、倒れるとむちゃくちゃにされて、殺されたあと、腸をを引き出して、10メートルも引き出したあと、十数cmに切り刻み、投げつけたり、持って帰った(食べたのだろうか)。
もう、(Sさんは)見るに耐えられなくて、帰ろうとしたら、その途中で、人だかりがあった。そこでは、裸にされた(日本人)男四、五十人が集められて、中国人民軍の機関銃で一斉殺人、死んだあと確認のためにその死体の上に上がって、ケリ飛ばして少しでも動いたら、青龍刀で留めを刺す。兵士たちが帰ったあと、取り巻いた民衆が死体の集まり、身につけていたパンツ等をはがし始めた。
(Sさんは)もういやだ、日本人が殺されるのを見るのは、いやだと思って、夫のTサンを引っ張って帰ろうと思ったら、手の平にアナをあけて、針金状のものでつなぎ、十数人の日本人が連れ出されてきた。
回りに中国人がいるときに、「(日本人が可哀想だから)見たくない」とか、中国に聞こえると、ヘンに思われる。だから、次々と青龍刀で切りつけ殺す姿を最後まで見てしまった。
夫Tさん、親切であったが、日本人を殺すシーンを見ていて、彼との違和感を感じて、その後、離婚して日本に帰った。
という話を朗読する長いYouTubeであった。
(私は)詳細を記憶だけで書いたので、勘違い部分があるかもしれないので、各自でYouTubeをごらんになって、ご確認ください。
「通州事件」の背景にあるのは、昭和12年7月7日に盧溝橋事件が勃発すると、冀東(きとう)防共自治政府(中国人)保安隊は支那の抗日第二十九軍の開戦に呼応して、通州で(日本軍に対し)決起するよう指示をうけ、第二十九軍の戦闘序列に編入し、そして保安隊は通州城に集結していた。
抗日機運が高まると、(日本軍は)自治政府保安隊を防共軍として育成し、親日勢力の拡大を図っていたが、(国民党軍は)同じ中国民として、密かに抗日勢力の団結始めたと考えられる。
7月25日の廊坊事件翌日の26日、日本側は中国軍宝通寺部隊に対して、「北京への撤退を求める」最後通告を行ったが、中国軍からの回答はなかったため、7月27日早朝、日本軍は攻撃を開始、正午までに中国軍宝通寺部隊は潰滅した。
中国軍宝通寺部隊攻撃に援軍としてでかけて留守になった通州基地(租界)を中国軍が襲ったのだ。
1937年7月27日に中華国民政府は、ラジオでデマ放送を行い、
「盧溝橋で日本軍は国民政府二十九軍に惨敗し、豊台と廊坊は中国軍が奪還した」、続き
「最近北京における軍事会議の結果、?委員長は近く二十九軍を提げて、大挙冀東を攻撃し、偽都通州の敵を屠り、逆賊殷汝耕を血祭りにあげる」と、南京放送はデマを流した。
これを真に受けて、
冀東(きとう)保安隊が日本人を襲撃することとなった。通州保安隊はすでに人民戦線運動の影響を受けていたため、デマ放送で抗日態度を先鋭化させ、中国側に寝返った方が有利と判断した。
冀東(きとう)防共自治政府保安隊の幹部張慶餘と張硯田は密かに第二十九軍と接触した。冀東(きとう)防共自治政府は、親日的な政府であったので、保安隊(中国人部隊)が襲ってくるとは日本軍は考えていなかったので油断していた。
通州の日本軍守備隊主力は、南苑攻撃に向かっていたため留守部隊であり、藤尾小隊40名、山田自動車中隊50名、憲兵、兵站兵器部を合わせて110名程度であった。
一方、1937年7月29日、冀東(きとう)防共自治政府、中国保安隊3000人は、午前二時に攻撃を開始、長官公署を襲って殷汝耕を拉致。
保安隊3000名は、わずか100数十名の日本軍守備隊、特務機関を襲撃。日本軍守備隊は死傷者が続出、通州特務機関は全滅。守備隊40名の隊長藤尾心一中尉と通州特務機関長細木繁中佐も戦死。
中国保安隊は、恩賞に預かるため、手薄な日本守備隊を攻撃し、日本軍を全滅させると、日本人居留民の家を一軒残らず襲撃し略奪、暴行、強姦などを行なった。在留日本人385名のうち、260名が惨殺された。
しかしながら、例えば岩波新書「満州事変から日中戦争へ」(加藤陽子著)では、中国への気遣いか、この「通州事件」については一切触れていない。日本の歴史家は、重視していないようだ。
翌日7月30日、通州からの情報を聞きつけ、日本軍が爆撃機で通州へ上空から攻撃に向かうと、中国兵は全員通州から脱走していた。日本軍戦闘機は、誤爆問題を起こし、味方であった冀東(きとう)防共自治政府保安隊に死者数名が出て、一層離反する一因にもなった。
7月30日午後通州に急行した天津歩兵隊長、及び支那駐屯歩兵第2連隊長の萱島高の証言によれば、
「飲食店の旭軒では、40から17~8歳までの女7、8名が強姦後、裸体で陰部を露出したまま射殺され、うち4、5名は陰部を銃剣で刺殺されていた。
日本人男子の死体はほとんどすべてが首に縄をつけて引き回した跡があり、血潮は壁に散布し、言語に絶したもの」であった。
第2連隊歩兵隊長代理の桂鎮雄の証言によれば、
「旅館の近水楼では、入り口で女将らしき女性の遺体があり、着物がはがされ、銃剣で突き刺さされ、また陰部は刃物でえぐられていた。
帳場配膳室での男性の遺体は目玉をくりぬかれ上半身は蜂の巣のように突き刺されていた。
女性遺体は裸体で、局部などに刺突の跡があった。カフェの裏で殺害された親子の子は、手の指を揃えて切断されていた。
南城門の商店の男性遺体は、胸腹の骨が露出し、内臓が散乱していた。」
また支那駐屯歩兵第2連隊小隊長の桜井文雄の証言、
「守備隊の東門には、数間間隔に居留民男女の惨殺死体が横たわっていた。鼻に針金を通された子供や、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦等の死体が、ゴミばこや壕から続々発見され、
ある飲食店では一家全員が首と両手を切断され惨殺されていた。14、5歳以上の女性はほとんど強姦され殺害され、旭軒では陰部に箒を押し込んであったり、口に土砂をつめてあったり、腹を縦に断ち割った遺体があった。
東門近くの池には、首を縄で縛り、両手を合わせて鉄線を貫き、6人数珠つなぎにして引き回された形跡のある死体もあり、池は血で赤くなっていた。」
これらの証言は、YouTubeの日本人妻Sさんが手記として残した証言と合致する。日本人妻Sさんの目撃、全てを見ていることになっているが、やや十分過ぎる。これだけ全部を当夜現場で見たという証言は、ありえるのだろうか。
YouTubeを見て判断してほしい。
恨みは深し通州城 奥田英子
http://youtu.be/NG3TOn9uuAk ★★
事情がわかって聴くと、よくわかる。
ここで撮影された写真が、南京虐殺の場面として、中国側が被害者写真として利用している、とする説もある。どっちがどっち、という前に人間としてのあり方を考えたい。
これらを中国民兵の仕業だとして、中国での「南京虐殺」日本軍の罪が軽くなるわけではない。両軍、きわどい戦では、命をかけた兵は勝利の上前を頂きたいと、暴行、略奪が行われる。中国軍がやると、日本軍もやる。朝鮮も、ソ連もやる。やる側ではなく、やられる側は、女子供だ。男は殺すか殺される。
支那駐屯軍司令官香月清司中将の『支那事変回想録摘記』によれば、「犠牲者は、日本人104名と朝鮮人108名。殺害された朝鮮人の大多数はアヘン密貿易者、および慰安婦として在住未登録なりしもの」であった。
信夫清三郎は、朝鮮人のアヘン密貿易者が多数いたことは、通州がアヘンをもってする「中国毒化政策」の重要な拠点であったことを示している、とした。
東京日日新聞(現「毎日新聞」)は、1937年7月31日付号外で、「惨たる通州叛乱の真相 鬼畜も及ばぬ残虐」と事件を報道した。
日本共産党の創設に関わった山川均は、雑誌『改造』1937年(昭和12年)9月号に「支那軍の鬼畜性」と題し、
「鬼畜に等しい、残虐行為こそが、支那の新聞では(支那)国民感情の昂揚に役立っているのである」
「通州事件もまた、ひとえに国民政府が抗日教育を普及し、抗日意識を植え付け、抗日感情を煽った結果である」
「支那の抗日読本にも、日本人の鼻に針金を通せ、と書いてあるわけではない。しかし、人間の一皮下にかくれている鬼畜を排外主義と国民感情で煽動すると、鼻の孔に針金を通させることになる」と、事件の残虐性と、中国の反日政策との関連について論評した
小林よしのりは、通州事件によって、当時の日本で反中感情の世論が巻き起こり、軍部支持に傾いたとした。
また、江口圭一も「通州事件は日本を逆上させ、暴支膺懲(ヨウチョウ)を加速し増幅させた。中国は通州での非行について高すぎる代償を支払わされることとなる」と記した。
「暴支膺懲」(ボウシヨウチョウ)の機運が日本国内で高まっていくのが、その当時の国民には当たり前だった。しかし、今、現代の日本国民がどう対処できるだろうか?
尖閣諸島の日本領海へ中国海警の船、7艘、8艘が堂々と巡航して挑発している姿に、旧日本軍ならどうするのだろう。
日本の主張「東京裁判での南京事件」(映像13分)
http://www.youtube.com/watch?v=a3lMqHrhVIo ★
★
日中戦争始まり 満州事変の背景:
緒方貞子「満州事変―政策の形成過程」
9月18日満州事変、忘れたか 日本人!:
『南京戦 閉ざされた記憶訪ねて』深い傷に誠実に
南京戦元兵士102人の証言 その真実
征韓論から太平洋戦争まで 加藤陽子:
日本人は「戦争」を選んだ加藤陽子:
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「通州事件」日本軍全滅、中国軍の略奪、暴行、強姦惨状
投稿: 日本軍全滅 | 2014年11月 4日 (火) 12時53分