「交渉学」とは?――誰もが幸せになる問題解決のために

日常生活で友人や家族と話し合いによって物事を決める場面はたくさんありますが、こうした身近な「交渉」もビジネスや外交における交渉も、同じフレームワークで分析しようというのが、「交渉学」という学問です。小手先のテクニックに終始しない、交渉学の理論とはどのようなものなのか。みんなが納得できる合意形成にたどり着くには、どうすれば良いのか? 『実践!交渉学――いかに合意形成を図るか』(ちくま新書)の著者、明治大学専門職大学院ガバナンス研究科教授の松浦正浩さんにお話を伺いました。(聞き手・山本菜々子/構成・大谷佳名)

 

 

当事者全員にメリットのある解決策を

 

――今日は、『実践!交渉学』の著者の松浦正浩さんにお話を伺います。よろしくお願いします。

 

よろしくお願いします。

 

 

――「交渉術」のビジネス書は数多く出版されていますが、「交渉学」と「交渉術」の違いは何なのでしょうか。

 

まず、学問かどうかという違いですね。ある個人の属人的な経験に基づいて論じられているものなのか、それとも科学的に導かれる根拠があるのか。また「交渉術」の特徴は自分自身が交渉の当事者ということで、どうすれば自分が得する結果になるのかという視点から論じられることがほとんどです。一方、「交渉学」では、より客観的な立場から分析する、交渉の外から交渉を捉えるという違いがあります。

 

ですから、交渉学を学んでも自分の交渉が上達するとは限りません。むしろ、自分自身が置かれている立場を見つめることで、「なぜ交渉が上手くいかないのか」という説明が得られるかもしれませんね。

 

 

――交渉の必勝法ではなく、客観的に分析をする学問なんですね。

 

はい。交渉学では小手先のテクニックではなく、いろいろな場面で応用できる体系的な枠組みが作られています。たとえば今夜の食事は何にするか、家事の分担はどうするか、あるいはビジネスの取引や国家間の紛争の調停まで、様々な交渉がありますよね。これらの問題をすべて共通のフレームワークで分析しようというのが、交渉学という学問なのです。

 

 

――交渉学の考え方の特徴などはありますか。

 

交渉学はもともと経済学の影響が強く、参加者はみな自由な存在と考えられます。規制はすべて存在しないものとして、自由な話し合いで物事を決定する。社会的便益や倫理的観点はひとまず置いておいて、個人の効用をいかに最大化するかを目指します。

 

しかし、自分だけが利益を得て相手が不幸になるような結果は、交渉学では「失敗」と考えられます。重要なのは、当事者全員にメリットがある解決策を見つけることです。お互いに利益をもたらす物々交換、取引を探し出す。「相互利益交渉」「Win/Win(ウィン・ウィン)交渉」とも言われますが、これこそが交渉学におけるゴールです。

 

 

――みんなが幸せになる交渉が「良い交渉」とされているんですね。松浦先生はどのようななきっかけで交渉学の研究を始められたんですか?

 

もともと大学ではまちづくりや都市計画を学んでいました。子どもの頃から車が好きで高校生の頃までは自動車のデザインに興味があったのですが、大学に入ってから、カッコいいクルマを作っても走る道路がなければ意味がないことに気が付いて。そこから土木や建築などの勉強を始めました。ただ、道路を作ろうとすると当然、地域の住民から反対されることがあります。特に学生時代の1990年代はそうした反対運動が激しい時期でした。そこで、どうすればみんなが納得するような都市開発ができるのか。そこから交渉に興味を持つようになりました。

 

 

松浦氏

松浦氏

 

 

「配分型交渉」と「統合的交渉」

 

――ただ、誰もが納得するような話し合いって、一番難しいような気がします。

 

そうです。交渉が上手くいかないケースとしては、参加者が話し合いに協力的でない場合、交渉相手に対する信用がない場合、お互い持っている情報に差異がある場合、お互いが相手を出し抜いて自分だけ得しようと考えている場合など、さまざまな原因が考えられます。そうした中で交渉の行き詰まりから脱し、お互いに納得できる条件を見つけることは容易ではありません。

 

たとえば、よく起こりうる交渉の一形態として、「配分型交渉」と呼ばれるケースがあります。これは片方が得をすれば、もう片方は損をするという状況です。

 

分かりやすい例を挙げると、お店で商品の値切りをする時。最初に5,000円という値札がついていた商品を、

「4,500円に負けてくれませんか?」

「申し訳ございませんが、4,900円までしか値引きはできません。」

「じゃあ4,600円にしてくれたら買います。」

「いや、せめて4,800円まで……」

 

というように、初めにお互い極端な条件を出して、少しずつ譲歩していく。ある一つの条件を決めて、その中でどうやって取り合い(配分)をするかという交渉です。この例では値段という一つの条件に着目して、お互いできる限り得しようと躍起になっています。つまり「言ったもん勝ち」の交渉ですね。

 

しかしこれでは当然、利益の奪い合いによって交渉が行き詰まりやすくなります。もし片方が、相手を脅して無理やり利益を得ようとすれば、度胸試しのような喧嘩にエスカレートしてしまうかもしれません。そうして生じた感情的なしこりは将来も残るので、この先の交渉にも支障をきたすかもしれない。

 

 

――では、どうやって対応すれば良いのでしょうか。

 

たとえば先ほどの例だと、

「この5,000円の商品、4,500円に負けてくれませんか?」

「う〜ん、値引きはできませんが、ポイントカードで500円分還元することはできますよ。」

「じゃあ、それでお願いします!」

 

というように、「値段」だけでなく「ポイント」という別の条件を取り入れることで、二人の間に合意する可能性が生まれるわけです。店員としては、現金値引はなかなか店長が許してくれないけど、ポイント還元は顧客の再来店につながるので比較的やりやすい。顧客としては、値段が安くなるなら手段は構わない。この思惑のズレが、交渉成立の鍵になっています。

 

交渉学ではこのような交渉を「統合的交渉」と言います。フレキシブルに条件(交渉事項)を加えていくことで、配分型交渉から統合的交渉に転換する。これは交渉が上手くいくための一つの鍵になります。

 

なお、統合的交渉は、違うものを欲している人が集まってはじめて成立します。それぞれの当事者にとって優先順位が異なる条件を探し出し交渉に持ち込むことにより、合意を見つけていこうというのが統合的交渉の考え方です。経済学の言葉を使えば、相手が自分よりも価値をおく財と、自分が相手よりも価値をおく財を交換することで、両者の効用水準を高める。これを「パレート改善」の考え方と言います。

 

 

交渉学の方法論

 

――良い交渉を行うためには、お互いの要求のズレを把握して、いかに妥協できる点を見つけていくかがポイントなんですね。今おっしゃった「パレート改善」とはどういう意味なのでしょうか。

 

これは、イタリアの経済学者ヴィルフレド・パレートが発案したと言われる考え方です。どんな交渉においても、達成される満足度には限界がありますよね。たとえば先ほどの例ですと、お店の側が値引きできる額には限りがあるので、それによってお客さんの側の満足度も制限される。そうした限界点にある取引条件のことを「パレート最適」と呼びます。そして、パレート最適により近い合意条件が「パレート改善」です。

 

分かりやすい例を考えてみましょう。たとえば、Aさん(売り手)とBさん(買い手)が、パソコンの売買価格について交渉をしていたとします。ここでは、統合型交渉を想定します。

 

この図を見てください。

 

 

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出典:松浦正浩『実践!交渉学―いかに合意形成を図るか』(ちくま新書)66ページ

 

 

図はAさんとBさんの交渉における二人の満足度、制約条件、どこで合意が取れるのかを示したものです。先ほど言った「パレート最適」はこの曲線で表されます。

 

まず、図に書かれている交渉学の専門用語を説明しましょう。縦軸に「AさんのBATNAがもたらす満足度」、横軸に「BさんのBATNAがもたらす満足度」とありますね。BATNA(バトナ)というのは、「Best Alternative To a Negotiated Agreement」の略で、今回の交渉が成立しなかった時の対処策として最も良い方法、という意味です。交渉学ではこの視点が非常に重視されていて、まず交渉を始める前にBATNAを知ることが重要だと考えられています。

 

具体的にいうと、みなさんもおそらく高価なものを購入する時などは、どこのお店で買うと安いのか、あるいは特典がつくかどうかなど、ある程度事前に情報を集めますよね。今回の例だと、たとえばこのパソコンが別の店では15万円で売られているすると、Bさんはその情報を頭に入れた上で交渉に臨みます。つまり、BATNAというのは「腹案」のことですね。そして、Aさんのお店が15万円より安く売ってくれるかどうかでBさんは購入を決めます。要するに、「これ以上悪い条件で買うと損をする」という基準になるわけです。

 

 

――図の黒く塗られている部分はなんですか? 

 

「合意可能領域」、「ZOPA(ゾーパ)」(Zone Of Possible Agreementの略)といって、この範囲に含まれる条件が二人の合意を成立させます。ZOPAは二人のBATNAの間の部分で、言い換えれば両方が損をしない形で合意できる条件です。この領域が広ければ広いほど交渉が合意に達する可能性が高まります。

 

 

――どちらのBATNAよりも満足度が高く、かつパレート最適の領域におさまる範囲がZOPAなんですね。

 

はい。この中でパレート改善となる合意を探しつづけることが、良い交渉を成立させる上で重要です。同じZOPAの中でも、図の点3より点4の方が両者にとって満足度の高い結果となります。お互いの満足度が高まる方向、つまり図の右上の方に向かって進めるような取引をつづけ、最終的にパレート最適に達するような合意条件を見つけられれば、お互いにとって最大限幸せな合意に達したということになります。【次ページにつづく】

 

 

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