2016-04-18-Mon
こうしてブログにむかっているということは、自分の中に消化しきれない何かを文章を書くことによって発散しようとしているということ。順風満帆だったら、私はインターネットに文字なんかきっと残さない。
もうすぐ家を出る。仕事が変わる。私の大好きな夏に、私の生活は一変する。まだどこに住むかも決まってないし、今後どういう風に自分の生活が新しくはじまっていくのかはわからないけれど楽しみでもあるし、憂鬱でもある。決まったルーティーンが壊れるのはとてもストレスだなぁ。
友人が恋人のことで悩んでいる話を大きなハンバーガーに食らいつきながら聞く。一通りきいたあと隣で聞いていたもう1人の友人が「これが22とか25だったら、やめなよ。次次っていうんだけど…」と言葉を濁らせた。私たち30代は、もうあとがないと実感する。もちろん別れて、新しい恋をすればいいと思う。年齢に関係なく。でも親のこと、出産のこと、適齢期とか、もう1度好きな人に出会って恋をして自分のことは云々ってそういうたくさんのしがらみにチクチクとされるのが「30代」なのだと改めて思う。私は仕事も恋愛もこれから作り上げていく生活もしがらみなんか関係なく進んでいきたいと思う。精神年齢が若いからだろうか、アホだからだろうか。年齢のせいで何かを諦めるのは何か違う気がする。でも世の中には確実に年齢のせいで諦めなきゃいけないことは存在する。
2016-01-27-Wed
記録/ アッシュとの。
先日、 飼っていた犬が息を引き取った。彼女はもう目を覚ますことがない長い長い夢の中だ。一家族の、一ペットが死んだ話。動物を飼っていたらいつかは直面しなくてはならない、よくある話。でも私にとってアッシュは言葉のない静かで、それでいて強い結びつきを感じる事ができたはじめての動物だった。
犬を飼う事での責任感なんて芽生えなかった。去年ですら彼女が皮膚病で病院に行かなくちゃいけない状況で自分の予定を優先させたぐらいだ。そのあと母にこっぴどく怒られたけど。
小学生ではじめて家にきた犬、名前は私たち家族の頭文字Hをフランス語読みしたものと、毛が灰色だったことからアッシュと付けられた。記憶が確かなら母親がつけた、なかなかのセンスだ。端正な顔立ちの、頭がいい、誰にすりよることもしないクールな番犬。その数年後、呼べばすぐにくる愛くるしいトッティが家族に加わる。ロールカーテンにおしっこをしたり、ゴミ箱をひっくりかえしたり、噛まれたりするたびに怒ったけど彼女たちがいたことで私たち家族がどんなに穏やかな気持ちになれたことか。
りんごが好物で、匂いや音がすると急に背筋がのびたり、散歩中に他の犬を見つけると自分より大きな犬にも吠えてかかった。中学生の頃、好きな人と夜遅くに外で話せたのも彼女と一緒だったからだ。寒い中、アッシュを抱きながら好きな人と話していた時を思い出す。そんな秘密の共有だってした。
私が小学生から30歳になる間に彼女はゆっくりと赤ちゃんからおばあちゃんになっていった。私だけが若いままで、彼女は1年に4歳年を重ねて着実に老いていった。
もう走り回ることもせず、1日の大半を眠りに費やしていた。もちろん病気がちだったし、手術も入院もした。死にそうだったこともある。それでも生きながらえて、強い子です、と医者から言われれば今年もきちんと季節を超えていくのだろう、ずっとそこにいるのだろうと思っていた。
母からアッシュが死んだとメールをもらったとき。不思議とお疲れ様でした、と思った。
全うした、19年間という短く、長すぎる人生を。
いまはいないことをあまり実感できず、それでももう暖かいあの灰色の毛並みや端正な顔や細い足に触れることができないのは、とてもつらい。日々の忙しさにひっぱられて、いつしかいないことが当たり前になるからその前にたくさん泣いて、記録しておく。
トッティとアッシュがいなくなって、家のなかが静かになると思いきや、姉に子供が生まれたから変わらずに騒がしく、幸せに満ち満ちしている。
全うされた命と、新しい命、それから自分の。
2015-11-29-Sun
10年前父がベルギーで個展をやることが決まり、その時にお世話になった家族の奥さんが日本にやって来た。
新横浜から出てきた彼女から懐かしい香りがして、五感の鋭さに自分のことなのに関心してしまった。真横で見て聞いていても口では決して真似のできない早口のフランス語を聞きながら日本であるのにもかかわらず、ここでもまた取り残されたように感じてしまう。言語というものが持つパワーに私はいつもいつも負けてきたように思う。
前の恋人は半分日本語、半分英語を話す人で彼は私に英語の楽しさを教えてくれた。それからずっと今日まで勉強してきた。でもまぁ日本でちょろちょろっと半年やったような英語が、伝わるはずもなかったし(相手のイマジネーションがあってこその会話だった)褒められたものでもない発音や、語彙の少なさに私はまた自信をなくすのだった。けどそれは逆にここで終わらないことも意味するんだけど。
今日、彼女と一緒に鎌倉に行った。大仏をみて、長谷から由比ヶ浜へ。母と彼女と姉と姪と来る海は、いつもサーフィンするアクティブな場所じゃないみたいだった。なんか、なんだろう、一緒にいる人が違うだけで景色はこんなに変わるのかって。こんなにも暖かくて、守りたくなるものに。
夜に恋人から電話があり「長谷にとってもいい物件があった。海の目の前なの」と伝えるとそれって最高じゃん、と賛同してくれた。嬉しかった。来年の8月に空きがでるといいなって、そう思う。そこで彼と暮らしたらどんなに素敵かってそんなことばかり考えている。
いつか私がまた彼女に会った時、いまよりももっと深い言葉と言葉のつながりで分かり合えたらいい。「今日がいい日だった」ってそれだけでも、もっとたくさんの言葉で彼女に伝えられたいい。明日は早起きしてお見送りをする。いつか彼女も日本の海の香りを思い出して、今日の日に想いを馳せてくれるのだろうか。