少年サッカーが行われている場所へ行くと、そこにいる大人たちにの発する声に疑問を感じることが往々にしてある。
なぜ、子どもたちに対してそのような言葉を投げかけるのだろうか。
なぜ、子どもたちに対してそのような表現で伝えるのだろうか。
そのように感じることが多いのです。
サッカーを教えなければならない。
サッカーを通じて教育しなければならない。
サッカーを上手くさせなければならない。
チームを強くしなければならない。
このように考える大人が多いのだと思います。
育成年代のサッカーコーチに求められていることはなんだろうか。
私は子どもたちにサッカーの魅力を伝えたいと思うけれど、サッカーを教えたいとは思わない。サッカーは教えるものではなく、自らが感じて、考えて、クリエイトするものだからだ。
サッカーのコーチに求められていることは、サッカーの魅力を伝えることであり、表現することであり、 子供の好奇心を育むことだと思います。
サッカーを教育のツールだと思っている大人はいますぐに考えを改めてほしい。
そのように考える大人でまともな人間を私は知らない。
本気で遊ぶということがどういうことかを知らない人がサッカーの魅力を伝えることはできない。
想像すること、創造することの面白さを知らない人がサッカーの魅力を伝えることはできない。想像力を奪う大人はいても、想像力を養う大人は少ない。
子供の想像力を奪う大人は致命的に想像力が欠如している
サッカーを教えたがる人。子どもたちのプレーを強制、矯正しなければならないと思っている人が多くの場合、子どもたちの想像力を奪っている。
子どもに表現させてあげること。これを許容できなければならない。
言われたことをしっかりこなすことが大事だ!などと会社で求められていることをそのままサッカーの現場に持ってくる大人がたまにいるけれど、ナンセンスにもほどがある。サッカーの本質も、人間の本質もまるで見ようとしていない。致命的に想像力が欠如しているのだ。
サッカーの魅力ってなに?
世界水準でなければならないとか、スペインやドイツではこうだからこうするべきだという話はどうでもよい。世界が正で日本がダメなのではなくて、サッカーの魅力はそもそもなんなのかということをもっとセロベースで考えたほうが良い。
— KEI 粘り勝つ2017 (@Keivivito) 2017年4月22日
サッカーの魅力をもっと表現すれば良いのだと思う。メソッドの勉強ばかりしてないで、メソッドをクリエイトすれば良いと思う。サッカーは人間の根源的な喜びを呼び起こしてくれるものだと私は思う。もっと想像し創造して良いのだと思います。
サッカーが楽しめる環境をつくらねばならない
上手い選手を育てることは難しくない。でも、本当に上手い選手を育てることはとても難しい。そして、天才を育てることは不可能。ただ見守ることしかできない。
— KEI 粘り勝つ2017 (@Keivivito) 2017年4月21日
指導者が上手い選手を育てることはできる。でも、本当に上手い選手は環境が育てる。これを分かってない人が多い。
— KEI 粘り勝つ2017 (@Keivivito) 2017年4月21日
ロナウジーニョもネイマールも、イブラヒモビッチもリケルメもジダンも誰かにサッカーを教わって出来上がった選手なのだろうか?
彼らは想像し創造し続けた。そして自分のプレーを表現し続けたのだ。
いまの子どもたちには遊び場が不足している。表現する場所をつくらなければならない。文化は遊び場からいつの間にかつくられ、生み出されるものだ。
これまで私の考えを好き勝手書いてきたけれども、本当に大事なのは育成年代のサッカーのコーチ、また関わる大人がサッカーの本質を、子どもたち(それぞれ)の本質を理解した上でどのように魅力を引き出すかを考えることなのではないかと思います。いや、想像しクリエイトすることですね。
サッカーの本質を追求する旅はつづく…