雑種路線でいこう

2017年04月23日

先祖返りしたMastodonと、Webという楽園追放の物語

Mastodonが流行り、さくらのクラウド馬鹿売れしてると聞いて、そんなこともあるのかと驚いた。世間ではp2pといわれるけどMastodon自体典型的サーバーだ。昔ながらのクラサバと違うのは他のインスタンス連携するサーバーだという点だ。id:shi3zはそれをp2p2eといってるけど珍しいトポロジではなくて、みんなも普段から使っているインターネット自体の経路制御とか、名前解決のDNSとか、電子メールSMTPとか、インターネット上の仕組みはそういう風に設計されてきたし、だから分散システムと呼べたのである

僕はMastodonP2P(+Edge)だと思っている。こんな用語は聴いたことないが、P2P2Eと略しても良い。

んで、P2P2Eとはどういうことかというと、少数のサーバント(server + client)が相互に対等な関係を保ちながら、各サーヴァントに対してエッジ(端末)がアクセスする構造

MastodonはP2Pか? そしてMastodon以外の最近注目すべきP2P技術 - shi3zの長文日記

そうはいってもSNSのようなコミュニティーは違うじゃないかと思われるかも知れないが、昔からNet NewsとかIRCという仕組みがあって、オンラインコミュニティーも永い間p2p2eで動いていた。

Tim Berners-LeeWorld Wide Web発明した時、当初はWebもまたp2p2eの仕組みをひとつ増やしただけのように思われた。WebサーバーWebサーバーリンクで繋がって、そこにendのブラウザがぶら下がっていたからだ。Tim自身Semantic Webといって紐付いたオープンデータを通じて意味を疎通させようとしたけれども、残念ながらWebはそっちの方向には進化しなかった。

Webがどうやってp2p2eから乖離していったか、ひとことで説明することは難しい。当初の設計自体にも原因は内在しているし、インターネット商業化を推進する過程で、生き残るために進化してきた面もある。Webは公開された情報だけでなく、個別認証コンテクストを扱えるようにしたことで、公での情報共有だけでなく商取引個人的メッセージの交換など様々なことに使えるようになった。

一方で開かれた意味ネットワーク入り口として構築されたはずのWebブラウザは、ユニーク機能サービス提供する様々なサーバーにまたがってアクセスできる汎用端末アプリとして普及し、ひいてはディスプレイサーバーそのものに匹敵するUXの柔軟性を手に入れた。

しかしWebサイトが複雑になればなるほど、個々のサーバーで異なるサービス提供し、それぞれが異なる状態を持ち、独自データロジックWebサーバー内部に抱え込んで、インターネットらしいp2p2eからかけ離れていった。しかもcookieの登場でパーソナライズが可能となり、SSLで暗号化をサポートしてクレジットカード決済などを通すようになり、ユーザー毎にログインしなければ見られない情報が増えていくことで、Webリンクによって緩やかに繋がった仕組みではなく、サイト毎に個人向けにカスタマイズされたサービス提供するクライアントサーバー型のサービスへと変質していった。

こうしたWebの変質はWebの商用化を牽引したNetscapeによって牽引され、ブラウザ戦争を通じてMicrosoftも参戦する中で加速した。WebサイトNet NewsIRCのようなコモディティーとしての公共財ではなく、成長の期待できる独自サービスとしての成長を志向した。様々なサイトがこれまでのインターネットでは提供できなかった付加価値サービス提供したが、それらは独自データバックエンドに溜め込み、独自IDログインしなければデータアクセスできない仕組みとなった。Netscapeブラウザ戦争に負けた際に資産として再認識されたブラウザを立ち上げた時のスタートページをポータルサイト入り口)として活かす戦略は、個々のサイト機能特化型のサービスではなく全方位的にサービスポートフォリオを揃えさせる方向に働いた。Googleが登場して、検索サービスだけでなく、gmailなどの様々なサービス独自の分散アーキテクチャーで提供したことで、Webはこれまでのインターネットのようなp2p2eから遠く離れた、少数の超巨大サイトを中心としたトポロジとなった。

この間に分散型アーキテクチャーを再興する動きもいくつかあった。ひとつはNapsterGnutella嚆矢としたp2pであり、もうひとつはトラックバックリンク構造双方向にしたBlog、その記事メタデータを緩やかに相互連携させるRSSなどのWeb 2.0関連技術であるBitcoinやBlockchainは前者の末裔だし、MastodonのOStatusなんかは後者末裔といえる。いずれも1990年代末に登場したものの、階層型のCDNやGoogleをはじめとした巨大サービス太刀打ちできず、残念ながらニッチでの利用に留まっているのが実態だ。

2000年代前半にWeb 2.0関連技術が注目された背景に9.11があった。9.11既存メディア言論空間が政府から圧力によって画一化する中で、ユニークで鋭い言説が個人ブログ上で展開され、トラックバックで緩やかに連携した。MTWordpressなどオープンソースCMSを使って簡単サーバーを立てることができ、各社からブログサービス提供されたBlogシーンは、昨今のMastodonと非常に近いエコシステムといえるだろう。Blogが定着したものの、TwitterFacebookほどのマスには届かなかった理由再考することは、Mastodon未来予測する上で、参考となるのではないだろうか。

この点を突き詰めて考えると、結局のところミドルウェアをばら撒く仕組みでは、俊敏にアーキテクチャーを刷新できないという問題に行き着くのではないだろうか。同時に粗結合よりも密結合の方が様々な機能を容易に実現できる。Mastodon自体、10年前のTwitterをやっとp2p2e型のアーキテクチャーで置き換えたという話でしかないし、アプリや他サイトとの連携といったエコシステム形成もこれからだ。不正対策なんかもやろうとすると、データが散らばっておらず企業としてチームを抱えているTwitterと比べて困難を極める。Web世界で従来のインターネットを支えてきたp2p2eモデルではなく、より肥大化したサーバークラウド)とクライアントとの関係へと変質していったことには、それなりの技術的、ビジネス的な合理性があった訳だ。

もうひとつの分散アーキテクチャであるp2pは、Webと棲み分けることを選んで生き延びた。海賊版ファイル流通に使われてきた時代から、表のWebでやりとりできない情報を交換する仕組みとして普及した。信頼できないが故にクレジットカード番号などの決済情報を流すことが難しく、それ故にビジネス的な広がりを持たない時代が続いてきたが、Bitcoin発明価値をやりとりすることも可能になった。アーキテクチャーとしてはp2pビットコインだが、フルノードの運営には数十GBストレージ必要でp2p2eモデルに近くなり、信頼の源泉となるマイニングも8割近くが中国内陸部に集中するなど、トポロジーとしての集中化が進んでいる。p2pビジネスにしようとしたグループウェアGrooveVoIPSkypeは、いずれもマイクロソフトに買収されてクラウド化した。競争のために運用の手間を減らしつつ管理要素を集約して俊敏に更新するモデルは、そもそもp2p思想やトポロジと合わないのだろう。

このように生き残ったはずのp2pでさえ、生き残りのために集約の道を歩んでいる。Webに君臨する巨大Webサイトの内部は、PCサーバーエコシステムを最大限に活用してスケールアウトさせるために、大規模な分散アーキテクチャーを採用しており、結果としてその差は徐々に縮んでいる。蓋を開けてみると結局のところ、対極にありそうなp2pとBig Giantともに似たようなノードで、違いは管理主体とノード間の通信速度・遅延くらいなのかも知れない。そしてエンジニアリングの水準が同様であれば、ガバナンスが単純でノード間の通信容量が大きい方が自由度が高く、より多くのことが実現できるし、細かくアクセス制御を行い、囲い込むことも容易だからビジネスモデルを立てやすい現実がある。

そういった現実を踏まえてp2p2eモデル復権を考えるには「資本に苦手なことは何か」を考え抜く必要がある。例えば資本論理では儲からないサービス継続することが難しいが、主体を変えつつも同じサービス提供し続けるにはp2p2eモデル有効かも知れない。大企業であればコンプライアンスが求められるので、BitcoinTorがそう使われているように、違法とされている行為単独企業に独占されていない基盤の上で行われるだろう。またインターネットLinuxがそう発展してきたように、多くの企業にとって必要公共財で、非競争領域として多くの企業による研究開発の受け皿として機能できれば、オープンであっても発展する余地は十分にある。BitcoinやBlockchainはそのような成長軌道に載ることができるのか、ちょうど岐路に差し掛かっているのではないだろうか。

Mastodonもそうなって欲しいところではあるが、様々な企業がMastodonをカスタマイズしていても、新たな機能なりを寄贈する段階には至っていないようにも見える。とはいソーシャルメディアが少数の企業に独占されているよりも、緩やかに連携する公共財として運営された方が物事を仕掛けやすいと考えるマーケッターが増えた場合に、OStatusのようなソーシャルオープン化が、再び試みられる可能性は残っている。この十数年の間に繰り返し試みられてきたAtomFOAFOpen Socialといったソーシャルオープン化に対する取り組みが何故キャズムを超えられなかったのか、振り返ってみても面白そうだ。

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