自民党は今国会で「家庭教育支援法案」の提出をめざしている。
この法案に対しては、「改憲への布石」という議論もあるが、ここでは、別の視点からこの法案の問題点を洗い出してみたい。
全15条からなるこの法案は、建前上は、家庭教育のあり方自体を細かく定めたものではない。
国や地方自治体、学校や保育所、地域住民等が分担・連携して家庭教育を支援する仕組みを作ろうとするものである。この点は注意が必要である。
「家ニ対スル我ガ国固有ノ観念」とか「家族制度ノ真精神」とか「鍛錬ヲ重ンジ」とかが並んでいた戦時中の議論(1941年6月教育審議会「家庭教育ニ関スル要綱」答申)に比べると、家庭教育の中身を行政権力が直接いじり回そうとする法案ではないように見える(しかし、結果はそうなってしまう、ということを後で論じる)。
ただし、この法案は、家庭教育の中身にまったく触れていないわけではない。
「基本理念」を定めた第2条において、どういう家庭教育が望ましいのか、どういう保護者が望ましいのかを間接的に定義してしまっている。
下線を引いた箇所である。狡猾なやり方である。1項は教育基本法の文言をそのままなぞっており、2項はこの法案オリジナルである。
とはいうものの、このレベルの記述は、まだ抽象的なものにとどまっている。これを余計なおせっかいと思う人もいるだろうし、この程度のことはもっともなことが書かれていると思う人もいるだろう。
「もっともなことが書かれている」と思う人には、ぜひこの続きを読んでみてほしい。
だが、私の見立てでは、これはかなりヤバいことが起きてしまう。
後で述べるように、「教育のため」という論理は歯止めが利かないうえ、いかようにも解釈できてしまう。子育て中の家庭へのとめどない行政や地域権力の介入を許すことになってしまうのだ。